プライド番外編【佐々木セイヤの話最終話】
数日後、僕はもう留学先への出発が来週に迫っていて準備に忙しいというのに半ば無理やりリクに呼び出された。
行かなければいけないところもあったし、必要なものも買わなければいけないし、僕は約束の時間を20分ほど過ぎてリクの家に到着した。
親がいないと聞いていたので、勝手に玄関を開けて階段を登る。ふと、違和感があって振り向いたけど約束に遅れていたから気にせずに部屋に入る。
部屋に一歩入ると、正面にカズキがいて僕にガラスのコップを投げつけた時に見た少し険しい顔をしていて
思い出すと頬が痛む気がした。
違和感の正体もわかった。玄関の靴はカズキの物だった。そこで気がついて引き返せば良かった。
僕が背を向けて出ていこうとするとリクが腕を掴んで止めた。
僕はリクを睨んだけれど、力で勝てるわけもないので大人しく座った。
すると、急にカズキが座っていたベッドから勢いよく降りて僕の手首を掴む。怖かったのと、傷跡を見られたくないのとで体が強ばる。
二度と顔を見せるなと言ったくせに
傷つけてごめんと謝る。
都合が良すぎる。
僕は腹が立って「二度と顔を見せるなと言っただろ?」と言って立ち上がると、またリクが引き留めるので今度は力いっぱい振りほどいた。
すると、カズキがテーブルを踏んで僕に駆け寄って僕のことを力いっぱい後ろから抱きしめた。
「やめろよ!こういうことしちゃダメなんだよ!」僕は怒鳴って振りほどこうとしたけど、カズキは「だってどうしていいかわからないんだよ!」と言った。
僕の気持ちには、前から少し気づき始めていたこと。
だから、たくさん考えたこと。
だけど、どう考えても僕の気持ちには答えられないと思ったこと。
僕を傷つけないためにはどうしたらいいか、考えても考えても答えが出なかったこと。
これ以上、僕の想いが募らないように自分から離れさせようとしたこと。
本心ではないけれど、離れさせるためには僕が傷つくことを言うしかなかったこと。
二度と会えない方が、僕のためだと思ったこと。
だけど、リクから僕の自傷行為の話を聞いて後悔したこと。そこまで追い詰めるつもりはなかったこと。
僕の背中で泣きながら言った。
「泣けばいいんだ…僕が泣いた分…」僕はそう言った。
泣いているカズキは、今までで一番情けなくて
今までで一番愛おしかった。
僕は今でも、今この瞬間もカズキのことを愛していたけれど
ここで、この気持ちは終わらせよう。
そう、誓った。
まだ辛いけれど、それでも一緒にいたい。
ずっと、友達でいよう。
僕達はその後、カズキの急な提案で海へ向かった。
誰もいない季節外れの夜の海水浴場で、ひたすら笑ったり話したりして
さっきまでの僕達からは考えられないくらい
楽しかった。
心の底から、楽しいと思えた。
「強くなるよ」
2人にそう言った。
リクは思い出を海に沈めて、静かに泣いていた。
日本を旅立つ朝、少し早めにリビングに降りて両親と向き合い「行かせてくれてありがとうございます。しっかり勉強して帰って来ます」と言った。
母は泣いていたけど、父が「すぐ帰ってくるんだから」と笑って慰めた。
思えば、僕は親不孝だ。
せっかく命をかけて産んでもらっておいて、体を傷つけて、心配をかけて、泣かせてばかりで。
「ごめん、もう大丈夫だから泣かないで」
そう言って玄関を出ると、少し先にカズキの車が停まっていた。
両親に送ってもらったら、母が泣きすぎてしまうし、僕も寂しくなるから、カズキとリクに空港まで送ってくれるよう頼んだ。
何より、少しでも長く一緒にいる時間が多い方が良かったから。
一度だけ振り返って、見送りに出てきた母に手を振ると、母は車の方に向かって深々と頭を下げた。
僕は運転席の窓を叩いて「トランク開けてよ」と言うと、助手席からリクが降りてきて開けてくれた。
「今どき、手動?」
「文句あるなら歩け!バカ!」運転席の窓からカズキが叫んだ。
空港までの車の中は、ただ笑っていた。
誰も怒らないし、誰も泣かないし、一度は終わりかけた僕達だけど、何事もなかったように笑った。
それでも、空港への連絡橋を渡る頃には自然とみんな黙ってしまった。
車を駐車場に停めて、カズキがトランクからスーツケースを出してくれたので受け取ろうとすると「いいよ」と言って前を歩いた。
「また甘やかしてる」リクが言ったけど、カズキは聞こえないふりをした。
「明日からひとりだよ?重いもの持てる?」
「持てるよ!バカ!」
早足で前を歩くカズキに追いつこうとして歩くスピードを速めると、リクが僕のコートの襟をつかむ。
「ゆっくり行こ。泣いてんじゃない?あいつ」
「泣いてねーよ!!!」
「やべー聞こえてた」
だけど、カズキは振り返らなかった。
僕は空港の玄関口でスーツケースを受け取った。
「駄目だったらすぐ帰ってくるよ、じゃあね」
そう言って2人に背中を向ける。
もう泣かないんだと決めたけど、なんとなく視界がボヤけて来たので慌てる。
振り返ってカズキに
「俺より可愛い彼女作らなかったら許さない」
少し、いじわるを言った。
あれから一度、留学を終えて日本に帰った。
喜んで出迎えてくれた母が、留守中に手紙が届いていたと渡してくれた。
「え…」
数日後、僕はその手紙の主と会う約束をした。
僕の家の最寄りの駅まで来ると言う。
ホームから改札へ降りる階段から、少しづつその姿が見えて、僕の心臓の音は大きくなっていった。
「美香!」
僕の声に気づいて、少し大人になった美香は変わらない笑顔を見せた。
長かった髪を短く切って、少しだけ派手目の化粧をしていたけれど、それ以外は何も変わっていない。
「久しぶり、変わらないねセイは」
「久しぶりとかじゃないだろ?」
「そうだね、ごめんね」
「ほんとに…心配したんだから…」
あまりに明るく謝るから、僕は呆れてしまっていた。
当たり前のように僕の家に向かうバスに乗ろうとして美香は振り返り「今日は何もしないでね」と笑った。
「は?なに言ってんの?こっちのセリフだよ」
今日は家に誰もいなかったから、そのまま部屋に向かって、あの時とおなじ場所に並んで座った。
「懐かしいね」
「うん」
「あの時はごめんね…困らせちゃって」
「いいよ、もう別に…それより何があったのかとか…あるじゃん、話すこと。みんな心配してたんだ…ほんとに」
「うん…話すよ。聞いてくれる?」
美香は、ゆっくりと時間をかけていなくなった理由とそれからのことを話し始めた。
あの日の夜、家族から夜逃げをすることを朝になって聞かされたこと。
そんな日が来るのはわかってはいたけれど、急に聞かされたこと。誰かに知られてはいけなかったから、家族も直前にしか知らせなかったこと。
「でも、最後の一日がセイとの一日で良かった…だから、本当は怖かったけど…好きな人に覚えてて欲しかったの。だって、きっと初めての人のことは忘れないでしょ?」
「まんまと忘れられなかったけどね」
「でしょ?」
「でも…ひどいよ…俺めっちゃ泣いたからね」
「ほんと?」
「ほんと」
「でも…私も忘れなかったよ」
新しい土地に引っ越して、そこで両親は離婚。
母親と2人で苦労はしながらも働きながら高卒認定を取り就職、今はひとりで暮らしているらしい。
記憶を頼りに住所を調べて、僕に連絡先を書いた手紙を送ったけれど、返事がないので諦めかけていたらしい。
帰ってきた僕が、やっと手紙を読んで連絡をして
そして、休みをもらって会いに来てくれた。
「留学してたんだね、すごいね」
「うん…また行くけどね…ていうか、俺の話も聞きたい?」
「話してくれるの?」
「話すよ…話すけど…ちょっと怖いかな」
そう言うと、美香は床に置いた僕の手をあの頃のように「大丈夫」とギュッと握った。
そして「これで話せる?」と微笑んだ。
あれから、女の子が好きになれないことが認めたくなくていろんな女の子と付き合ってみたこと。
それでも、やっぱり好きになれなかったこと。
カズキが好きだったこと。気持ちを伝えたこと。
二度と顔を見せるなと言われたこと。
話し終えるまで、美香は手を握ってくれていた。
「震えなくなったね…強くなったんだね」
「震えてない?」
「うん。あの時はめっちゃくちゃ震えてたけどね」
「は?美香もだろ?」
「16歳だもんね…早かったよね」
「そうだね」
少し恥ずかしかったけれど、2人とも思い出して笑った。
「…ねぇ、ごめん」
「ん?」
「カーディガンほつれちゃった」
美香は少し伸ばした爪を着ていたカーディガンにひっかけてしまって、出てきた糸を引っ張っている。
「ハサミ貸して」
「あー…ちょっと待って取ってくる」
「え?部屋に無いの?」
「えーっと…聞く?その話も」
僕が手首を切ってから、母は今でもハサミやカミソリや、切れるもの全てきっちりとしまい込む癖がついていて、僕も部屋には置かなくなっていた。
リビングから持ってきたハサミを渡して、僕はまた話をした。
美香はカーディガンの糸を切ってハサミをテーブルに置いて、僕の手をまた握る。さっきより、手に力が入っているように思えた。
全部、聞き終えて
「辛かったね」
と美香が泣いた。
たくさん話したかったけれど、少し遠くまで帰らないと行けないからと日が落ちる少し前に美香を駅まで送ることにした。
「歩こうよ」
美香はそう言って、僕達は手を繋いで歩いた。
「お父さんが車で送ってくれたでしょ?あの時」
「うん」
「あの時、もしこうやってゆっくり歩いてたら駄目だったと思う」
「なんで?」
「きっと、全部話しちゃったと思う。行きたくないって。助けてって」
「ごめん」
「それで良かったって言いたいの。だからって、16歳の子供だった私たちに何が出来たと思う?きっと大人を困らせただけだよ」
「カズキ達には会わないの?」
「怖いから会わない。怒るじゃん。あいつ無駄に熱いんだもん」
「確かに」
「元気だったって言っておいて」
「わかった」
駅に近づくと、美香の方からそっと手を離した。
「またね」
僕がそう言うと
「またね」
今度は、美香もそう返した。
「もう、私が手を握らなくても大丈夫だね」
「うん」
僕達はお互いに
人に言えない胸の中を全部吐き出すことが出来るし
お互いのために泣くことが出来る存在だ。
けれど何故か、一緒にいることは出来ない運命だった。
僕は彼女に恋愛感情を抱くことが出来なかったし、彼女は僕の元から消えなければいけなかった。
僕が彼女を好きになれていたら?
彼女が僕の傍にずっといられたら?
浮かんでは解決しない疑問で頭がいっぱいになるけれど
与えられた運命の中で生きていくことしか出来ないから
強くなるしかないんだと言い聞かせて
僕は美香の乗った電車を見えなくなるまで目で追った。
明日は、あの2人に会いに行こう。
【完】