妄想小説家panのブログ。

素人の小説です。

remember anotherstory【蓮⑧】

舞香の誕生日を祝いに行った次の日、僕は落ち込んだ気分のまま学校の授業を終えて、そのままアルバイトに行った。

 

その日は忙しくて、閉店時間を過ぎても片付けが終わらず、終電ギリギリに電車に乗って帰ったけど、駅から家までのバスはもう終わっていた。

そんな時は、亮太に頼んで迎えに来てもらうけど、今日は電話をしても亮太は出なかった。

寝てしまったのかと思って、僕は諦めて歩き出す。

 

歩いても20分ほどだから、疲れてさえいなければ良かったけど、今日はずっと忙しかったからなかなか家までたどり着けない気がした。

 

もう着くというところで亮太から折り返しの電話があったけど「もう着くから大丈夫」と言った。

 

「ただいま」

「おかえり、ごめん電話気づかなくて」

「ううん、俺こそいつもごめん」

「お風呂入って来な、疲れたでしょ?」

「うん…」

 

なんだろう。

 

帰った時は気づかなかったけど、お風呂に入って部屋に戻ると少し、部屋に違和感があった。

 

亮太のいつもの柑橘系の香水の匂いに混じって、いつもと違う、それでも嗅いだことのあるような匂いがした。

 

「何?どうした?」

 

「誰か来た?」

 

「来てないよ?なんで?」

 

「ううん…気のせいかも」

 

亮太はそれ以上は追求せず、テレビを消して「もう先に寝るね」と言って寝室に向かった。

 

「蓮ももう寝る?」と聞いたから、「うん、もう疲れた」と言ってリビングの電気を消して一緒について行った。

 

なんだか、さっきの変な違和感に何故か不安になって亮太にくっつくと「なに?疲れてんじゃないの?」と亮太が笑って、乾ききっていない髪をくしゃくしゃと撫でて、両腕で頭を包み込んだ。

僕が自分の手を背中に回して抱きつくと、亮太は僕のその背中に回した手をほどいて身体を起こし、僕の顔を撫でた。

 

「なに?くすぐったいよ」

 

僕がそう言うと、亮太は笑ってその手を顔から離して、しばらく宙に浮かせたその手を今度は首にかけた。

 

そして、顔をうつむき加減にして、そのまま力を入れて僕の喉に指をくい込ませた。

 

ほんの数秒だったけど、強い力で喉を押さえられて、苦しくて声も出なくて、僕は思わずその手を掴んだ。苦しさのあまり爪が亮太の腕に食い込んだ時、やっと亮太が顔をあげて我に返ったように手を離した。

 

急に息が吸えて咳き込むと、亮太は動揺した声で「ごめん…ごめん、蓮…」と言って背中をさする。

 

「なに?どうしたの?怖いよ…」

 

「ごめん…」

 

「やっぱり、なんかあった?変だよ、亮太」

 

「なんでもない、ごめん…本当に」

 

そしてそのまま、亮太は背を向けて黙り込んでしまった。

僕は、首を絞められて怖かったというより、亮太が心配で仕方がなかったけど、亮太はそれきり何も言ってくれなかった。

 

寝たふりをしてるだけで、眠れていないのもわかっていた。

 

朝になって、亮太は「昨日はごめん」と僕を抱きしめた。そして、昨日僕の首を絞めた時とは別人のように、優しく僕を抱いて何度も「蓮、好きだよ」と言った。

 

やっぱり…何かがおかしいと思ったけど、確信出来る理由がなくて、早くいつもの亮太に戻って欲しいと願うだけだった。

 

「亮太、もう起きないと遅れるよ」

「蓮は?今日は学校?」

「今日は何もないから、掃除でもしとく」

「まぁ、適当でいいよ」

 

仕事に行く亮太を見送った時には、いつもと何も変わらなかった。

 

「いってくるね」

 

また、変わらずいつものように亮太が帰ってくるのを疑わずに、背を向ける亮太に僕は手を振った。

 

 

 

亮太を見送り、部屋を片付けていると玄関のチャイムが鳴った。

亮太を訪ねて来る人なら、僕が出てもわからないからインターホンのモニターを見てみる。

 

「え…なんで?」

 

モニターに映っていたのは、僕の両親だった。

 

躊躇いながらドアを開ける。

 

「来ないでって言ったじゃん」

 

僕が不機嫌に言うのに被せるように「蓮、早く帰るぞ」と父が部屋に勢いよく入ってきて言った。

 

「は?なに言ってんの?前に話したよね?帰らないって」

 

「聞いてないのか」

 

「何が?なんの話?」

 

「昨日、あいつとは話をつけたから帰って来なさい」

 

父の言う意味が、僕には全くわからなかった。

 

 

 

言葉が足りない父の代わりに、母が僕の手を取って話した。

 

昨日の朝、僕が学校に行った後、父と母はここに来たと言った。

ここに来て、僕より少し遅れて仕事に行く前の亮太に会って話をしたんだと。

 

昨日の部屋の違和感、嗅いだことのあるような匂いはそうだったのかと気づく。

 

「は?なんでそんなとこしたの?なんて話したの?」

 

母は、言いにくそうに父が亮太に話したことを言った。

 

息子を騙すなと。

 

息子をたぶらかすなと。

 

拐かすなと。

 

息子を返せと。

 

「たぶらかすってなんだよ!」僕は母の手を振りほどいて、父の胸元を掴んだ。

その勢いで、父が亮太の本棚に肩をぶつけ、亮太の本が床に何冊も落ちた。

 

「たぶらかされてなんかいないってば!俺が亮太のこと好きで一緒にいるのになんでそんなこと言ったんだよ!」

 

「一時の気の迷いだ!」父が意外にも大きな声を出したので、僕は少し手を弛めた。

 

「なんで?わかってくれようとしたじゃん…」

 

「わかるわけないだろう!」

 

「嫌だよ、俺は帰らないよ。あんた達がわかってくれないなら…」

 

親子でいられなくていい。

 

そう言いかけた時、父が言った。

 

「あいつは手切れ金も受け取ったぞ」

 

「なにそれ…そんなの持ってきたの?」

 

「お前を取り返すためなら仕方ない。あいつはそれを受け取った」

 

僕は、身体中の力が全部抜けて、その場に座り込んだ。

親がそんなものを用意して来たこともショックだったし、亮太がそれを受け取ったことも信じられなかった。

僕は少なからず、もう少し親が僕を理解してくれるつもりでいると信じていたし、まさか金なんかで解決しようとするとは思っていなかった。

そして、亮太を傷つけたことも許せなかったけど、亮太がその金を受け取ったというのは、僕が捨てられたということだとわかった。

 

母が、僕の傍に来て「お父さんの言ってることは本当だから、もう帰って来なさい」と言った。

 

帰りたくはなかったけど、もうここにはいられないのもわかっていた。

 

だから僕は、親の前なのに泣きながら自分の荷物を集めて、カバンに詰めた。元々、そんなに自分の持ってきた荷物は多くなかったから、そんなに時間はかからなかった。

 

部屋を出る頃には、泣き疲れて、僕は家に帰るまで一言も話さなかったし、話すつもりもなかった。

 

あんなに幸せだった日々の終わりは、あまりに呆気なかった。

 

家に帰ると、このことを知っていたんだろう、姉が来ていて、僕たちを出迎えた。僕は姉の存在を無視して、そのまま自分の部屋に入って鍵をかけた。

子供たちの声が聞こえたけど、僕は触れるなとまで言われたから、知らないふりをした。

 

部屋は、僕が帰ってくることを見越して空気が入れ替えられて、掃除もされていた。

 

荷物を整理する気にもなれず、僕はそのまま数日部屋に引きこもった。

必要以上は部屋から出なかったし、その必要最低限の時も家族に会わない時間を選んだ。

父と母は、仕方がないと、そのうち機嫌が直るだろうと楽観視しているようだった。

ただ、姉は毎日のようにこの家に来ては、僕の様子を見に来た。

 

僕はドアの向こうの呼び掛けに返事をする気にもならなかったけど、あまりに毎日しつこかったから、少しだけドアを開けて「うるさいよ、俺みたいな気持ち悪いやつにかまうなよ」と言った。

姉は「ごめん…本当にごめん…」と、珍しく弱ったような顔で言った。

「どうでもいいよ、もう」

姉を廊下側に押して、僕はまたドアを閉めた。

 

それでも、ずっとこうしているわけにはいかなくて、僕の携帯には心配した康平から着信が何度もあった。

 

「どうした?蓮」

「康平…」

 

友達の声に安心して、ついまた泣き出してしまう。

 

「何があった?俺には話せない?」

 

半ば、ヤケになっていたと思う。

 

どうせ、失うなら全部失ってしまえと思ったんだと思う。

 

僕の話を聞いて康平はすぐに「そっか、辛かったな」と言った。

そして「別にお前を見る目なんて変わんないよ、そんなの関係ないじゃん」と笑った。

 

「つまんないから、早く学校来いよ」

 

康平のおかげで、少しは動く気になれて、とりあえず持って帰ってきた荷物から、いつも学校に持っていくカバンを取り出した。

財布を捜そうとして、ポケットを探っていると、覚えのない折りたたまれた白い封筒がこぼれ落ちた。

 

拾い上げると、少し厚みがあって糊でしっかりと封をされていて、部屋の電気に透かしてみて、僕は息を飲んだ。

驚きすぎて、一瞬だけ息の吸い方を忘れるくらいだった。

 

僕はそれを握りしめて部屋を飛び出し、居間にいた母の前に叩きつけた。

 

「なんだよ…これ…」

 

母も、それを見てハッとした顔をする。

 

「お前らが亮太に渡した金ってこれかよ…」

 

「どこで見つけたの…」

 

「受け取ってなんかいないじゃないか!!無理やり押し付けて帰ってきたんだろ?最低じゃないか!」

 

両親にも腹が立って仕方がなかったけど、それよりも自分に腹が立った。自分に怒りしかなかった。

 

どうして、僕は亮太のことを信じてやれなかったんだろう。

 

こんなものと僕を引き換えにするような人だなんて、一瞬でも思ってしまった自分が悔しい。

どんな気持ちでこれを受け取らされて、そして黙って僕のカバンに返したんだろう。

 

あの日、どんな気持ちで、最後に僕を抱いたのだろう。

 

そして、僕のいない部屋に帰って、何を思ったんだろう。

 

胸が張り裂けそうだと言うけど、もうこのまま本当に張り裂けて死んでしまえばいいとすら思えた。

 

僕は、今持てるだけの荷物を持って家を飛び出して、亮太の家に向かった。電話をかけてみるけど、電源も入っていなくて、不安ばかりが募った。

息を切らせて、焦って鍵が入らなくて、時間がかかる。

 

部屋に入ると、空気がこもっていて、人の住む気配がなかった。

あの時、父が本棚にぶつかって落ちた本はそのままで、それでも亮太が仕事から帰ってきて脱いだネクタイと白いシャツが無造作に放り投げられていた。

亮太はわりと神経質な性格だったから、こんなふうに無造作に脱ぎ散らかすことなんて今まで無かった。もちろん、落ちた本を戻さないなんてことも有り得ない。

 

亮太がここで暮らしていないことは、明らかだった。亮太のいつもの香水の匂いももう消えていた。

 

僕があの時、亮太を信じてここに残っていればと後悔するだけだ。

 

どこへ行ってしまったんだろう。

 

こんなに、なんの準備もせずに、何も持たずにどこへ消えたんだろう。

 

僕には、なんの手がかりもない。

 

その日は、微かな可能性だけを信じて、僕はその部屋で眠らないで亮太が帰って来るのを待った。

 

喧嘩をして、飛び出した時に亮太が眠らないで待ってくれていた時みたいに。

 

何度考えてもわからない。

 

亮太は、なんで僕の首を絞めたりしたんだろう。

 

僕の父に罵倒されて、憎しみのあまりなんだろうか。

 

僕を殺したいくらい憎んだんだろうか。

 

だったら、その後はどうするつもりだったんだろう。

 

もしかして自分も、死のうとしたんだろうか。

 

だったら、もう亮太は生きていないかも知れない。

 

もし、亮太が生きていなかったら、僕もすぐに死んで追いつこう。

 

そう考えていた。

 

結局、予想通り亮太は帰っては来なかった。

 

康平から電話があって「話を聞いてやるからとにかく外に出ろ」と言うから、僕は久しぶりに学校に行った。

 

そうはいっても、康平も本当に受け入れてくれているのか疑問ではあった。両親のように理解したふりをしているだけ、取り繕っているだけなんじゃないのかと疑っていた。

 

なのに、久しぶりに会った康平はいつもと1ミリも変わらなかった。

 

「お前、顔パンパンじゃん…そんなブスだっけ」と笑った。

 

「そっか…いなくなっちゃったのか」

 

「うん…どこに行ったのか見当もつかないし、もしかしたら死んじゃってるんじゃないかとか思って…」

 

「まぁ…可能性はあるよなぁ…でもさぁ、お前に嫌われたくはなかったんだね」

 

「なんで?」

 

「お前のカバンに金を返したのは、受け取らなかったって伝えたかったんだろ?」

 

「俺、最悪だよね。なんで親の言うこと真に受けて疑ったんだろ…」

 

「そりゃ仕方ないだろ、俺たちはまだ親のスネかじって生きてる身分なんだからさ…ていうか働いてるとこ知らないの?」

 

「知ってるけど…」

 

「そこしかもうアテはないじゃん、ダメ元で行ってみたら?一緒に行ってやろうか?」

 

「ううん…大丈夫。行ってみる…」

 

 

 

亮太の働いている職場は、バイト先の近くだったから捜せばすぐにわかったけど、なんて聞けばいいのかとか、どう説明すればいいのかとか、ずっと勇気が出なくて行くのを躊躇っていた。

 

駅から少し出たところの高いビルの1階から3階までが亮太の働いている職場になっていて、僕はドアの前で深呼吸した。

 

ドアを開けて中に入ると、その気配に気づいて女の人がひとり立ち上がってこちらに近づいて来てくれた。

 

優しそうな笑顔に少しホッとしたけど、やっぱりちょっと緊張して恐る恐る「神野亮太さん…いますか?」と聞いた。

 

すると、その人は少し眉をひそめて困ったような顔で「神野は今、休んでいるんですけど…なんの御用ですか?」と言った。

 

「あの…休みって…いつまでですか?今、何処にいるかとかわかりますか?」

 

その女の人は、僕の問いに困ってしまって後ろを振り向くと、それに気づいた上司らしき男の人がこちらに来て「申し訳ないんですけどね、社員の個人情報はお話出来ないので…」と言った。

 

ここで、諦めて帰ってしまったら、もう手がかりは全部なくなってしまう。

 

でも、それ以上は取り付く島もなくて、粘る方法もなくて

 

「すみません…ありがとうございました…」そう言って、僕は諦めて外に出た。