remember anotherstory【蓮⑨】
すると、後ろから誰かが追って出てきて、呼び止められた。
振り返ると、さっき僕に対応してくれた女の人と、亮太の友達だと言う男の人がいて、僕はその人を見たことがあった。
最初に亮太と出会った時に、亮太と一緒にいた人だ。
高畑と名乗ったその人は、僕のことを全く覚えていなかった。でも、僕が亮太と一緒に暮らしていたことを知っていた。
亮太が何処に言ったのか教えて欲しいと口に出した途端、僕はほとんど初対面の人の前で泣いてしまった。
高畑は、自分も何も分からない、でも亮太を心配しているから話を聞かせて欲しいと言った。
その日は、まだ学校の授業もあったし長く休んでいたアルバイトの予定も入っていたから、夜遅くで良ければと待ち合わせをした。
手がかりは何もなかったけど、僕と同じように亮太を心配している人がいるだけで嬉しかった。
この日は、平日だったのであまりバイトは忙しくはなかったけど、しばらく動いてなかったかし休んだ後だったから気持ち的にも疲れていた。
でも、なんの手がかりにもならなくても高畑に会って話をしたかった。
約束の時間より少し遅れて待ち合わせ場所に行くと、高畑と、昼間に会った女の人が待っていた。
高畑は、その人を沙和と呼んでいたけど恋人同士ではないようだった。
僕は、亮太がいなくなった時の話を出来るだけ詳しく話したけど、ただひとつだけ嘘をついた。
いなくなる前の日、うちの両親と亮太が話した日、普段と何も変わりはなかったと言った。
首を絞められたことなんて、言えるわけなかった。
冷静に話したかったけど、ふたりとも何も口を挟まずに、それでも心配そうな顔をして、今にも泣き出しそうな顔をして聞いてくれるから、僕も堪えきれなかった。
僕だけじゃなくて、こんなにも心配してくれている人が亮太にはいたことがわかって嬉しくもあったし、そんな気持ちも知らないで何処に行ってしまったのかと悔しくもあった。
そして高畑は「何もわからなくて申し訳ない」と言って、でも心配で仕方がないから何かあったら連絡をして欲しいと言って、連絡先を教えてくれた。
「亮太から連絡あったとかじゃなくていいから、誰かに吐き出したいことがあったらでもいいから、連絡して。俺で良かったら聞く。追い詰められる前に話して欲しい」
そう言った。
亮太がいなくなる前に会っていたのに、その時には亮太は辛い想いを隠していたのに、何も気づけなかったことを悔やんでいるようだった。
亮太の部屋で、帰ってくるのを待ち続けるのは考えただけで気が狂いそうだった。
ここで待っていたいけど、いつ来るかわからないその時まで、亮太との想い出が溢れるこの場所でひとりでは暮らし続けられない。
仕方がなく、僕は不本意ではあるけど一旦実家に帰ることにした。
僕が帰ってきたので、母は安心した顔をしていたけど父は仕事に出ていていないようだった。僕が出ていったことで母を心配した姉も、一番下の子だけを抱いて出迎えた。
「舞香と裕太は?」
「学校と保育園に行ってる」
「あんまり放ったらかしにするなよ、可哀想だろ」
「だって、心配じゃない…」
僕は、姉と母の前に座って「安心していいよ」と言ってやった。
「亮太はいなくなった。これで満足だろ?」
「いなくなった?」
「そう、どこにもいない。父さんにも言っておいてよ」
僕が立ち上がると、姉が腕を掴んで「ちょっと待ってよ」と引き止める。
「なに?もう出ていかないから離してよ」
「お父さんもお母さんも蓮が心配だったから…」
「だから良かったじゃんって言ってんの!お前らの望んだ通りだろ!」
勝手に、こんなに簡単に引き裂いておいて、心配したからなんて理屈が通るわけがないだろう?
僕は、実家で暮らしながら、日常を取り戻していった。
ただ、家族とはほとんど話さなかったし、姉が子供たちを連れて来た時には部屋から出ないようにした。
舞香も裕太も、僕がいるのに出ていかないので、寂しそうだと母が言った。
舞香も裕太も可愛かったし、会えないのは寂しかったけど、僕にだって許せないことはある。子供たちに触れるなと言われたことがどれだけ僕を傷つけたか、そんなこともわからない。
亮太がいなくなって、1ヶ月ほどが過ぎた頃に高畑から連絡があった。
彼は、とても言いにくそうに言った。
亮太が見つかったと。
ただ、亮太は自殺未遂を図ったんだと。
半分くらいは…いや、半分なんかじゃなくて、そんな気はずっとしてた。
亮太が最期に選んだ場所は、僕も知っていた。
亮太が、どこか出かけたいところはあるかと聞いてくれた時に、いい天気だったから海に行きたいと言った。
子供の頃、僕は家族と海の近くに住んでいて、中学生くらいまでは遊び半分で友達とサーフィンにハマっていたことがあった。
だから、久しぶりにやってみたいなと言ったら、亮太は「全然、興味無い」と言って嫌そうにしながらも連れていってくれて、でも亮太は僕が海に入るのをずっと砂浜に座ってつまらなさそうに見ていた。
でも、僕の気が済むまで付き合ってくれていた。
そんな、亮太にとってはつまらなかった思い出の場所を選んで、彼は死のうとした。
間違いないのは、ずっと僕のことを想ってくれたということだ。
亮太は死にたかったんだろうけど、僕は本当に死なないでいてくれて良かったと、心の底から思った。
今すぐにでも会いたかったけど、高畑がそれを止めて、今は亮太がどんな精神状態でいるかもわからないから、先に自分たちに会わせて欲しいと言った。蓮に会わせられると思ったら、連絡するから待っていて欲しいと。
その電話を切って、僕は自分の部屋から出て居間にいた父と母に「ごめん…俺やっぱり出ていくね」と言って家を飛び出した。
待っているなんて出来なかった。
会いに行ったとしても、亮太がまた僕を受け入れてくれるとも限らなかった。
でも、その時は僕が死のうと思っていた。
実家から亮太の家までは少し遠く、焦る気持ちを必死に抑えてたどり着いた時、高畑と沙和が駐車場から出てくるところに出会った。
咄嗟に建物の影に隠れて見過ごして、その姿が見えなくなってから、亮太の部屋の前まで行く。
疲れて、その場に座り込んで、膝を抱えて高畑たちが出てくるのを待った。
中から、微かに話す声がした。
それは、僕にとってはとても長い時間に思えた。
静かにドアが開いて、慌てて僕は顔をあげた。
「いつからそこにいたの?」
高畑は呆れたように言って、手を差し伸べてくれたから、僕はその手を取って立ち上がる。
「ごめんなさい…どうしても我慢出来なくて…」
僕たちの話す声に気づいて、一度閉まったドアがまた少し開いた。その隙間から亮太が僕を見つけて咄嗟にドアを思い切り閉めた。
でも、高畑がそれより一瞬早く足を差し込んで、ドアは閉まりきらなかった。
僕はその隙間にしがみついて、目の前にいる亮太にぶつかるように抱きついた。何も考えずに、ただ衝動的に抱きついた亮太の身体は前よりずっと痩せていて、それでも胸の鼓動が聞こえて、確かに生きていた。
「どこ行ってたんだよ…」
言いたいことはもっとたくさんあった。でも、僕の口からはようやく、その一言だけが出てくるのがやっとだった。
亮太は、少し躊躇いながら僕の背中に腕をまわして「ごめん…」と小さく言った。
格好悪いけど、僕は子供みたいに大きな声で泣いた。
気づくと、高畑たちはいなくなっていて、亮太に手を引かれて部屋に入る。
部屋は、やっぱり綺麗に片付けられていて、いい匂いがした。
まだ泣きじゃくっている僕を座らせて、僕の前に亮太が向き合って座って、僕の両手を握る。
「ごめん…蓮」
僕は首を横に振って、謝るのは僕の方だと言った。
「ごめん…亮太のこと信じなくて…亮太のこと守れなくてごめん」
「俺のこと探してくれたんだろ?聞いたよ。なのに、勝手に死のうとして俺って馬鹿だね」
亮太は目にいっぱい涙をためて、僕の手を力いっぱい握る。
「蓮…」
「なに?」
「戻って来てくれるの?」
「どうしたいか言ってよ。そういう言い方は嫌いだって、亮太が最初に言ったんだろ?」
亮太はやっと笑顔を見せて「そうだった」と言った。
「戻って来て、蓮…」
僕はまた、声を上げて泣いて亮太にしがみついた。
「ごめんね、蓮…本当にごめん…大好きだよ」
亮太も僕の背中を撫でて言った。
亮太の痩せた手首に、まだ包帯が巻かれていて、僕がそれを触ると「ちょっと切りすぎちゃった」と笑いながら言うから少しイラついてしまって、ぐっと力を入れて握った。
「痛いよ、ごめん」
「なんで、あんなところで死のうと思ったの?亮太には楽しかったところじゃないでしょ?」
亮太は少し考えて
「蓮が楽しそうだったからかな。だから全然、退屈なんかじゃなかったんだよ」
そう言って笑うと、ずっと亮太の目にたまっていた涙がボロボロと溢れて、亮太は顔を伏せて「本当にごめん…」と何度も言った。
でも、それで元通りというわけにはいかなくて、家を飛び出した僕を姉が追ってくるのは予想がついていた。
亮太が帰ってきて、僕と亮太がまた一緒に暮らし始めて1週間が過ぎた頃だった。
「いい加減にしてよ、蓮」
訪ねてきた姉を亮太には会わせたくなくて、玄関の外で2人で話した。
「いい加減にして欲しいのはこっちだよ、ほっといてよ」
「違うの、いい加減に話を聞きなさいって言ってるの…ろくに顔も見ないし話も出来ないじゃない」
「話したくない」
「だったら、私も無理やりにでも連れて帰る。ここで騒いで欲しくなかったらちゃんと話をさせなさい」
「脅すの?」
「こうでもしないと話せないでしょ?」
その話をドアの向こうで聞いていたんだろう、ゆっくりドアが開いて亮太が顔を覗かせて「いいよ、入って」と言った。
「亮太、いいよ」
「騒がれたら困る、入って」そう冷たく言って亮太は部屋に戻る。
仕方なく、姉を部屋に入れる。
ちょうど夕飯の片付けをしようとしていたところだったから、亮太はキッチンに戻っていつも以上に神経質に調理台の水しぶきを拭き取っていた。
そして、手を洗って「勝手にどうぞ。俺はあっちに行ってるんで」と寝室に入ろうとしたけど、姉が呼び止めた。
「謝らせてくれる?」
「…お姉さん、いくつですか?」
「30だけど」
「蓮と離れてんだね」
「それがなに?」
「謝るって言ってるわりに偉そうだなって思って」
亮太は冷たくそう言うと、音を立てて寝室のドアを閉めた。
「…だってさ。いつもはあんなに意地悪じゃないよ、亮太は。それだけ怒らせたってことだよ、わかる?姉ちゃん」
「…じゃあ、どうしたらいいの」
「謝って済まないんだって…あんた達のせいで…」
「蓮!余計なこと言うな!」寝室から亮太の声が聞こえた。
「言わなきゃわかんないだろ!?」
僕の答えに反応して、壁を殴る音が響く。
僕は、少し声を落として姉に言った。
「亮太…死のうとしたんだよ…」
亮太の棘のある話し方にあからさまに気を悪くして眉間に皺を寄せていた姉も、動揺した顔をした。
「理解できないなら、放っておいてよ…頼むよ」
姉は、大きくため息をついて
「ごめん…本当に今日は謝りに来たの。でも、蓮がちゃんと話をしてくれないから、ついイライラした。ごめんね。だから、会わせてくれない?」
「亮太に?」
「そう」
「無理だよ…俺だって怖いもん…あんなに怒ってたら」
「お願い。もちろん、あんたにもちゃんと謝る」
恐る恐る、寝室のドアをそっと開ける。
「亮太」
名前を呼ぶけど、亮太はベッドに寝転んでイヤホンで音楽を聴きながら…というより耳栓代わりにして本を読んでいたから聞こえないようだった。
気配に気づいて、一瞬だけこっちを見たけどまたすぐに視線を本に戻す。
「亮太ってば」僕は隣に座って片方のイヤホンを外す。
「姉ちゃんの話、聞いてやってくれる?」
「嫌だ」
「どうしても?」
「どうしても。俺は場所を提供しただけ、話す気はないよ」
「そっか…そうだね」
「あっちがすっきりしたいから謝りたいんだろ?俺になんの得があるの?」
「…わかった、ごめんね」
亮太は僕の手の中のイヤホンを奪って、僕の顔を見上げた。そして、本を閉じて枕元に置く。
「ずるいよ、お前。そんな悲しそうな顔するな」
「怒ってるのはわかる。でもそんな意地の悪い亮太は嫌いだ」
「だったら、もう出ていけ」
「わかった」
意地の張り合いなのはわかっていた。
でも、ただ悲しくて腹が立って、自分で知らないうちに勝手に涙が出て来た。
嫌いとか、出て行けだとか、本心じゃないってこともわかっているけど、僕は結局は姉も亮太も大事で、その板挟みになっているどうしようもない状況が苦しかった。
「ごめんって…悪かった」
亮太は大きくため息をついて、僕を置いて寝室を出て行く。
「どこ行くの?」
「お前が姉ちゃんと話せって言ったんだろ?」
「いいの?」
「ちゃんと泣き止んでから出てこいよ、姉ちゃんに怒られるの俺だよ」
今、姉と亮太がドアの向こうで、どんな顔で向き合っているのか気になったけど、亮太に言われたとおりに僕は少し落ち着くのを待って、顔を拭いた。
しばらく、何も話し声は聞こえなかった。
ドアを少しだけ開いて隙間から覗くと、亮太の背中が見えてその肩越しに姉の顔が見えた。姉が意を決して口を開こうとした時、亮太が俯きがちに
「すみませんでした」と、言った。
僕も姉もその言葉に驚いて、しばらく言葉を失ってしまう。
「蓮のことをたぶらかしたとか、拐かしたとか、それは返す言葉がない。その通りだと思う」
「は?なに言ってんの、亮太」
亮太は振り返って「出てくんの早いよ」とため息をついて「とりあえず黙ってて」と僕を止めて、姉に向き直る。
「だから、そこは謝ります。俺は蓮よりずっと大人だし、もうちょっと考えて行動すべきだったところがあると思う」
姉は、少し困って僕の方を見る。
「だから…謝って欲しいのは俺にじゃなくて、蓮に謝って欲しい」
「蓮に…?」ようやく、姉が口を開く。
「そう。蓮はあんた達のことを信用してわかってくれるって信じて全て話したのに、蓮の知らないところで裏切っただろ?」
「ごめんなさい…」
「あと…怒るって言うか…怒ったんじゃなくて情けなかったのは、金で解決出来るって思われたのはキツかったかな…俺の蓮に対する気持ちが全否定された気がする。ていうか、駄目だよそんなことしちゃ、普通に最低だよ」
「それは…本当にそう思います」
「だから、お互い様ってことでいいじゃん、これで話は終わりね…」そう言って、亮太は立ち上がろうとした。
「いや、違うじゃん、なんで亮太が謝んの?」
「うるさいなぁ…」
「たぶらかしたとか何?そんなんじゃないじゃん、俺が亮太のこと勝手に好きになったんだろ?」
「俺がそう仕向けなかったら言わなかっただろ?」
「たぶらかしたとかじゃないじゃん、それは」
「ちょっと待って」僕たちが言い合っているのを姉が間に入って止めた。
「それは私も蓮の言う通りだと思う。ちょっと…私の話を聞いてくれる?」
亮太は返事せずに、立ち上がってキッチンに移動して冷蔵庫を開けた。
「長くなる?」
「ちょっとだけ」
「じゃ、喉乾いたからお茶入れてからね。蓮も飲む?」
僕が頷くと「自分で入れろ」と言われて、僕もキッチンに移動して、冷たいお茶を入れたグラスを姉の分もテーブルに置いた。
亮太はキッチンで立ったまま、一気にお茶を飲み干して「いいよ、どうぞ」と言った。
「最初は蓮から話を聞いた時には本当にショックだったのよ…だから、蓮にひどいこと言った…ごめんね」
「なんて言ったの?」
「…裕太…うちの子供たちに触るなって言った」
「最低じゃん」
「そう。本当に最低。でも本当に理解出来なくて…というより自分の弟だからこそ受け入れられなくて、だから父と母を止められなかったの。私もそれが正しいと思ってたから」
姉は、グラスに手を伸ばして口をつける。
「でも、帰って来てからの蓮はすっかり人が変わっちゃって…部屋から出てこないし、私たちを無視するかと思ったら、怒り出すし…私たちはとんでもないことしたのかって思い始めて。そりゃ普通はそうよね、自分たちが認められないからって勝手に好きな人から引き剥がすなんて考えられないもんね。でも、そう思った頃には蓮はもう話もさせてくれなかったのよ」
亮太は立ったまま、腕を組んで俯いて話を聞いていた。
「それで、また急にこうやって出ていっちゃったでしょ?もう帰って来なかったらどうしようかと思って…とりあえずまだ私の中では納得してないけど、蓮が帰ってこなくなるのは嫌だから、とにかく話をしたくて来たのよ」
「蓮がそんなに大事なんだ」
「当たり前でしょ?」
「…まぁ…当たり前じゃないけどね…ま、いいや続きどうぞ」
「なんか、ここに来てあなた達見てたらわかんなくなって来たのよ、ほんとに。なんなの?お互い庇いあってさ、蓮のために私に怒ったり、謝ったり…こんなに蓮のこと大事に思ってくれてる人に酷いこと言って、無理やり別れさせようとしたりして…もう…本当にごめんなさい」
「姉ちゃん…」
姉が僕に謝って泣くなんて、初めてだった。