プライド番外編【佐々木セイヤの話④】
はじめての2人は、とてもぎこちなくて不器用で
そして、切なかった。
はじめて触れる女の子の肌は柔らかくて、すぐに壊れてしまいそうだった。「また震えてる」と言って僕を茶化したはずの美香も、本当は少し震えていた。
震えているけれど、とても暑くて額から汗が流れる。僕の背中を撫でる美香の手も汗ばんで、時々ギュッと力を入れた。
目が合うと美香はニッコリと微笑むけど、なんだか少し苦しそうでハッとして僕は力を抜く。
ずっと女の子みたいだと言われて来たけど、やっぱり僕は男で、力を入れすぎると壊してしまうような気がした。
美香は汗に濡れる僕の顔を撫でて「綺麗だね」と言ったから、僕は笑って「それは俺が言うんじゃないの?」と言った。
でもやっぱり
何か違和感が拭えなくて
美香と抱き合うのは気持ちが良かったけど、どこか自分に無理に逆らっているような気がして
胃がギュッと掴まれるような気持ちの悪さが襲って吐き気がする。それを拭うように、僕はまた強く抱きしめてしまう。
外は、もう暗くなっている。
微かに玄関のドアが開く音がして、父が帰ってきたようだ。母が出迎えて、僕の友達が来ているんだと報告しているんだろう。
楽しそうに話す声が聞こえる。
「もう帰らなきゃ…」
美香が、そっと背中にまわしていた手を緩めて笑顔で言った。
「うん」
そして、僕の顔を見つめて
「ごめん…約束、守れないや…」たちまち笑顔が崩れて、顔を手で覆って泣いた。
「俺も…ごめん…」
「私も、セイも…どっちも辛いね」
美香は服を着て、髪を軽く整えて、帰る準備をした。
部屋を出てダイニングに降り「送ってくる」と声をかけると、ダイニングテーブルでテレビを見ていた父が立ち上がって「車で送ろう、もう暗い」と言って、母が車の鍵を渡した。
確かにもう外は暗いし、バスもちょうどよくあるかわからない。
僕が迷っていると美香が「ありがとうございます、駅までお願いします」と頭をさげた。
僕達は2人で後部座席に乗り込んで、最寄りの駅まで無言だった。
駅のロータリーに車を停めて、父が「改札まで送りなさい」と行った。
改札までの間、やっぱり僕達は無言だったけど
最後に美香は、僕の手をギュッと握って
「今日のこと、ちゃんと覚えていてね」
「当たり前じゃん」
美香はふっと笑った。
「セイの家は幸せそうだね」
「そうかな」
「ありがとう…いっぱいワガママ聞いてくれて」
「うん」
「幸せだった」
そう言うと美香は改札をくぐって、僕は背中から「またね」と言ったけど返事はなかったし、二度と振り返らなかった。
僕は、彼女の姿が全部見えなくなるまでそこに立って見ていた。
胸が何故かザワついた。
二学期が始まる少し前、僕とカズキとリクは頑張ってアルバイトで稼いだお金で一泊の安い旅行に出かけた。
海の傍の古い民宿で素泊まりして、海で泳いだり、道具を借りて釣りをしたりして過ごした。
僕は遠慮したけれど、カズキとリクは民宿のおじさんに教わった心霊スポットに出かけたりした。
「セイ!聞いてくれよ!最悪だよ、リクは!」
心霊スポットに行ったカズキは怒りながら部屋に帰ってきて、その後ろからリクと民宿のおじさんがお腹を抱えて笑いながらついて来た。
「だって、カズキはお化けとか怖くないって聞いたから」
「なになに?どしたの?」
「いや、おじさんが車で連れてってくれて待っててくれたんだけど…帰って来てカズキが財布落としたって行ってひとりで取りにいったんだよ」
「また財布落としたの?」
「で、戻ってくるか来ないかのところでおじさんがクラクション鳴らして…」
「うわあーーーってすんごい声だったなあ!」おじさんも一緒になって豪快に笑った。
「俺はね、お化けは怖くないけど!暗闇でクラクションはダメだろ!?」
その日は、みんなでお腹が痛くなるまで笑って、夏休みが終わればまたいつもの日々がやってくると憂鬱でもあり、また楽しみでもあった。
二学期が始まって、あれから会っていない美香の顔を見るのは気まずかったけど、元気でいるかなと気にはなっていた。
美香とは校舎が違うので、こちらから出向かわないと偶然に出会うことはなくて、でも僕から会いに行くのはダメなのかも知れないと悩んでいる。
すると、カズキが勢いよく僕のクラスに入ってきてリクの机の上にカバンを勢いよく置いた。
怖い顔をして、腰に手をあてて、深く息を吸って吐き出すように言った。
「美香がいなくなった」
カズキの話では、美香の父親の経営する工場が倒産して多額の借金を抱えていて、夏休みの間に一家で消えてしまったそうだ。
美香と仲が良かった友達も、もちろんカズキも何も知らなかった。
周りの話を聞いてわかったのは、最後にあったのは僕だということ。
あの時、「またね」と言ったのに返事がなかったのはその「また」が来ないとわかっていたからなのか。
だから、どうしても最後に僕を手に入れたかったのか。
こんなことなら
嘘でも好きだって、一言でも言ってあげれば良かった。
その日、家に帰ると珍しく誰もいなかった。
母は同窓会に行くと言っていたし、父もまだ帰らないようだ。
テーブルに夕食が用意されていたので、レンジで温めて自分の部屋に持って行った。
ベッドにもたれて床に座り、テレビを見ていると、ふと僕に寄り添っていた美香の気配を思い出す。
どうしようもなく泣けてきて、無心で口に運んでいた夕飯もなんの味もしない。
《今日のこと、ちゃんと覚えていてね》
《幸せだった》
消えるなら黙って消えてくれよ。
忘れられるわけないじゃないか。
家に誰もいなくて良かったと心から思う。
僕はいつの間にか声を上げて泣いた。
美香が戻って来ないまま、僕達は高校を卒業してしまう。
いつの間にかみんな、美香のことを話に出さなくなって
卒業アルバムには名前も写真も乗らなかったけれど
僕はひとり
呪いをかけられたように
忘れることが出来ないまま、死んでいくのだとわかっていた。