プライド番外編【佐々木セイヤの話⑤】
僕は、女の子に優しくするのはやめた。
僕が女の子を好きになれない限り、優しくして好きになられても困るし、相手を傷つけたら僕も傷つくのだと知った。
それでも、心のどこかで自分が女の子を好きになれないことを認めきれなかったし、カズキにこの想いを伝えることなんて絶対に出来ないとわかっていたから、それを振り切るために寂しさを埋めるために遊びのつもりで寄ってくる女の子に付き合うことはあった。
好きにはなれなくても抱き合うことは出来るらしい。
でもやっぱり、美香の時と同じで
いくら振り払おうとしても自分の本質に逆らっているのが悪いのか、どうしても気持ち悪くなって吐きそうになる。
時には、トイレに駆け込んで本当に吐くこともあって
ある時に「悪酔いしたんじゃないの?みっともない」とからかわれて、カッとなって「黙れ!」と怒鳴ってしまい喧嘩になった。
くだらない。
好きでもない女と言い争ってる時間なんかない。
部屋を飛び出して苛立ちながら歩いていると「あなたは神の存在を信じますか」と宗教の勧誘部員が薄っぺらい冊子を押し付けて来た。「来世で幸せになるために心の修行をしましょう」と言う。
僕は笑って
「じゃ、俺の前世って一体なにしたの?」と聞く。
「はい?」キョトンとした顔の勧誘部員に言った。
「前世で一体どんな悪いことしたら、こんなことになるんだよ!!!」冊子をまるめて投げつけた。
背後でなにか言っていたけど、知らない。
僕は神様なんか信じない。
結局、そんなのは長く続く訳もなくて、いつも僕が飽きるか相手が愛想をつかすか
それの繰り返しだった。
カズキもリクも、そんな僕に愛想をつかすこともなく友達でいてくれた。
ただ、そんな僕に天罰が下るのは当然だった。
カズキの提案で遊園地に行った帰り道、僕はリクに彼女でもできたのかと聞いた。
閉園間際に土産物屋に走って行ったと思ったら、なんだか嬉しそうに戻ってきて、こんなところでそんなに嬉しい顔をするような物が売ってるのかとからかおうとしたけど、ふと頭をよぎった。
誰かを思い浮かべて、贈り物をしたい誰かがいて、それでそんなに幸せそうにしているのか。
リクは単純で、純粋な男だ。優しいけれど、誰かを守るために平気で危ないところに飛び込む危うさもある。
そんなリクに愛される人は幸せだろうなと思った。
けれど、リクは「家族にだよ」と誤魔化した。
そして逆に僕に好きな人が居ないのかと聞く。
「いるよ」
バックミラー越しにカズキの寝顔を見ながら僕は言った。
その夜、僕達はカズキの家に泊まることにした。
少し寒かったし疲れていたので、これはいつものことだけれどカズキのソファーベッドを占領して薄い掛け布団にくるまった。
安心する匂いがする。
中学生の時から、ずっと傍にある匂い。
すぐ傍にあるのに、遠い。
僕はいつまで、この伝えられない想いを背負わなきゃいけないんだろうと考えた。きっと、リクのせいだ。
あんな風に、好きな誰かを思い浮かべて幸せそうな顔をして、無邪気に人に好きな人がいないのかと、無神経な質問をする。
いや、そんなの僕の完全な八つ当たりだ。リクは悪くない。ただ、あまりに無邪気に言うから勝手に腹を立てただけだ。
カズキかリクか、風呂でシャワーを使う音が聞こえて、その音が心地よく聞こえて、眠ってしまいそうだった。
知らないうちに浅く眠っていたらしく、急に布団の端をめくられて驚いて目を覚ました。
「え…」覗き込んでいたリクの顔が強ばって、寝ているうちに泣いていたのか自分の睫毛が濡れていることに気づいた。
慌てて顔を拭って、カズキと入れ替わりに風呂場に走って行ったけれど完全にリクに顔を見られた。本当に無神経なやつだ。
必死で顔を洗って、温かいシャワーで気持ちを落ち着かせて部屋に戻ると、リクは何も言わなかった。
リクのこういうところが無神経で嫌いで、優しくて好きだった。
遊び疲れていた僕達はすぐに眠ってしまった。
ふと目を覚ましたのは、閉じたカーテンの隙間からほんの少し差し込んでいた光と微かな物音のせいだ。
僕が顔をあげた時、パタンと小さい音で玄関のドアが閉まった。
カズキは僕の背中のあたりでまだ寝息をたてていたので、リクが出ていったんだろう。
僕はカズキを起こさないように起き上がって、まだ眠い目をこすり、視界がきちんと開けるのを待った。
遠くでカンカンカン…と階段を降りる音がする。
そっと玄関を出て、外廊下の手すりから見下ろした。
すると、1階の部屋からひとりの女性が出てきてリクと話している。僕は気づかれないように少し身をかがめた。
あれは、前にカズキの部屋に来た時に赤ちゃんの泣き声がした部屋の人だ。リクの子供の時からの知り合いだと話していた人だ。
その人の声がとても小さかったからよく聞こえなかったけれど、リクは少し怒ったように話していて、そのうち部屋に消えていった。
「ふーん…なるほどね」子供の玩具でも買ってやったか。
またあいつの悪い癖が出た。
そこから先は危ないとわかってるだろう?あの時もそうだったじゃないか。
先輩に絡まれていた美香を助けた時も、先輩は「次はない」と言ってたじゃないか。なのにわかっていて飛び込んで行って。
リクは馬鹿だ。
羨ましいくらい馬鹿だ。
僕は部屋に戻り、もう少し眠ろうともう一度布団に潜り込む。すると、低いソファーベッドのすぐ傍の床で寝ていたカズキが寝返りして、その腕が僕の頭に当たりそうになる。
「危ないよ」そう言って手をどかそうとしたけど、まだ目を覚まさない。
僕はその手を強めに握って、思わず自分の頬に置いた。大きくて、少し乾燥して触り心地の悪い手。
頬に置くと、髪をかきあげられているような気がする。
この手がいつも、僕の頭や肩を優しく叩く。その度に僕は、嬉しくて悲しい。
《辛いね、私たち》
声を押し殺して泣いた美香の声が聞こえた気がした。
結局、そのまま眠ることも出来なかったから僕は起き上がって顔を洗った。
その物音に気づいてカズキも目を覚ますけど、当分はボーッとしているんだろう。「買い置きの歯ブラシ使うよ」とだけ声をかけて歯を磨きはじめた時、玄関が開いてリクが帰ってきた。
どこに行っていたのか聞くと散歩だよと言った。そして、用事があるんだと言ってそそくさと帰って行った。
後ろめたいんだろ?あからさまにご機嫌良く帰って来るんじゃねーよと、喉元まで出ていた。
リクが出ていって、ようやく頭がはっきりして来たらしくカズキが洗面所に立って顔を洗い始めた。
「あいつ…どこ行ってたの?」
低い声で僕に聞いた。
「朝、出ていっただろ?」
「気づいてたんだ」
僕は黙っていてやるつもりだったけど、僕の見ていたことだけは話した。カズキは怒ったような顔をして聞いていて、僕はその顔が怖くて目を逸らして、思わず「同情してんじゃない?」と言った。
それよりも
僕は背筋が凍る思いだった。
心臓の音が聞こえるようだ。
「起きてたんだね、カズキ」
「起きてたよ…半分寝ぼけてたけどね」
「寝てるふりとか悪趣味だね」
「悪趣味はお前だろ、男の手握って楽しい?」
洗面所から出てきたカズキが肩にかけていたタオルを僕に投げつけて背中を向けた。
「黙ってんじゃねーよ、冗談だろ?」そう言った。
すぐにでも部屋を飛び出そうかと思ったけれど、飛び出したところでどうしようもない。
「冗談なんかじゃないよ」
「聞きたくない」
「聞いてよ、頼むから」
「嫌だ」
「俺、もうすぐいなくなるから…」そう言うと、カズキはやっと振り返って、まだ少し怖い顔をしていたけれど、それよりも驚いた顔をした。
「留学するんだ」
「お坊ちゃんだな」トゲのある言い方だ。
「どうせ、長く話しても聞いてくれないから言うよ、俺はずっとカズキが好きだったんだよ」
「やめろって」
「言いたくないよ、俺だって。一生言わないつもりだったよ。でも気づかれたんなら仕方ないだろ」
「誤魔化せよ!だったら!認めんな!」
部屋のテーブルを蹴り飛ばしながら、カズキが怒鳴る。僕たちが昨日飲んでいたビールの空き缶が転がって行った。
「気持ちわりーんだよ…二度と顔見せんな」