われても末に逢はむとぞ思ふ⑩
潮風が顔に強くあたって、砂が舞った。
僕は真っ直ぐ海を眺めていたけど、その砂が目に入りそうで顔を背ける。
その顔を背けた先にいるあいつは、舞い散る砂も強い風も気にしないで、ただ真っ直ぐ前を向いて、線の細い儚げな横顔を見せていた。
次の日の朝
全く、あの頃と同じように渉はそこにいた。
「何しに来たんだよ」
10年前のあの時は、もう少し怖い顔をして、生命力のある睨むような目をしていたけど、それよりは穏やかな視線で、覇気のない顔で、今すぐにでも消えそうに見えた。
「お前こそ何してんの?」
「散歩だよ」
「ジジイかよ」
渉は鼻でフフンと笑って、またあの時みたいに砂浜に飛び降りる。
「おい!危ない!」
でも今度は、しっかりと地面に足をつけて着地して、得意げな顔で笑って僕を見上げた。
僕もすぐに飛び降りたけど、今は少しの恐怖心があった。
「こわっ!」
「でも、ちゃんと立てたよ」
「あの時は怪我してたからな」
「違うよ」
「なにが?」
「たぶん、あの時も立てたよ。どうせ、不貞腐れて甘えてただけなんだよ。まだガキのくせに一人前に人生悲観した気でいてさ…馬鹿じゃないの?これからまだまだ辛いことなんかいっぱいあるのにさ」
また急に風が強く吹いて砂が舞い、渉が俯いて目を擦る。
その仕草が一瞬、泣いているようにも見えた。
「大丈夫か、渉」
「なにが…」
「いろいろと」
「今度は誰に何を聞いたんだよ。どいつもこいつも人のプライバシー喋りすぎなんだよ」
「心配してんだよ」
渉は足元の砂を足先で少し均して、砂の上に足を伸ばして座った。
「…俺さ、わかってたんだ。他に男がいるのずっと。でも、どうせただの浮気だろ?って思ってたけど…段々、彼女自身が誤魔化しきれないくらいにあっちに傾いてったんだ。不自然な外出、電話、隠す気ないのかってくらい…」
渉は目の周りを真っ赤にしながら、唇は薄く呆れたような笑みを浮かべて話す。
「腹が立つより…意地になって、何がなんでも取り返してやりたくて必死になった。彼女の機嫌を損ねないように嫌われないように、こっちを見てくれるように…外出も電話も絶対に詮索したり咎めたりしない、記念日には彼女の望むことをしてあげる。…なんて、今思ったらバカバカしいんだけど」
「そんなに好きだったんだ」
「好きだったから一緒になったんだろうけど、最後は意地だね。でも疲れた。めっちゃ疲れた。あーもう嫌だ!無理!って。でも…ひとりになるのが嫌だった…誰か一緒にいて欲しかったんだよ」
そんな時に、僕に再会して、初めは憂さ晴らしに揶揄ってやろうと思ったと渉は言った。
「でも、俺ってやっぱダメだね。好きになったら尽くしちゃって、呼ばれたら尻尾振って走ってって…こんなこと続くわけないのに」
結婚記念日だったあの日、忘れていたなんてやっぱり嘘で、いつものように、喜んでもらえるように、ちゃんとプレゼントも用意して、急いで家に帰ろうとしていたけど、それでも何も知らずに渉に甘えた僕のところに来てくれた。
すぐに帰るつもりだったけど、帰らなきゃいけないと思っていたけど、それでも僕のために一緒にいてくれた。
「航平のためだけじゃないんだよ…航平の腕の中にいたら、もういいや、もうあんなことやめちゃえって思ったんだ。帰って謝ったけど、それはただ彼女が怒っているのを宥めるためだけで、用意したプレゼントも帰りのコンビニでゴミ箱に捨てた。航平とも終わっちゃったし、もういっそひとりが楽でいいやって」
「ごめん、やっぱ俺のせいだね」
「違うよ。航平がきっかけかも知れないけど、いつかはそうなってたんじゃないかな。俺が引いた途端に、坂道を転げ落ちるみたいに終わって捨てられた。今までの俺の努力なんだったの?ってくらい。…でも、ひとりは楽じゃなかったよ、甘かったな。めちゃくちゃ寂しくて辛かった…俺って無意識に人に依存しちゃうんだな。ひとりが無理なんだよ、めんどくさいやつだな」
渉は大きくため息をついて「誰のせいでもない、自分のせいで自分で病んでたら世話ないよな」と笑った。
「俺はさぁ…渉がちゃんと幸せに暮らしてるんだと思ってた。ていうか、思い込もうとしてたよ。終わらせて良かったんだって思いたかった」
本当は、こんなに苦しんでいたことを考えもしなかった。
僕のことなんか忘れて幸せでいてくれると思いたかった。
そうじゃなきゃ、自分が救われなかった。
「俺とやり直す?渉」
渉は、その言葉にこっちを見上げて呆れたような顔をして見せる。
「お前さ、人の話聞いてた?」
「聞いてるよ」
「俺またお前に依存しちゃうから駄目だってば」
「なんで?すればいいじゃん」
「は?」
「お前のしたいようにすればいいじゃん」
「はあ?意味わかんねぇわ」
苛立ちを顔に表して、砂を払って立ち上がる渉の前に立ちはだかって、両手を広げる。
「渉、会いたかった」
僕を睨みつけた渉は、眉間に皺を寄せて食いしばるような顔をしていたけど、そのうち俯いて、子供が泣く時みたいに顔を腕で覆った。
渉が咄嗟に逃げないようにそっと近づいて、渉を両腕で抱きしめる。頭頂部の柔らかい髪の感触と匂いが鼻をくすぐった。
懐かしい匂いがした。
最初に、僕のことを好きだと言った時の匂いがした。
「俺に尽くしてよ、裏切らないから」
「…嘘だ」
「嘘じゃないようにするから一緒にいてよ…渉」
渉の髪の匂いに、感情を揺さぶられて、会えなかった間の想いが溢れて、渉を抱きしめる腕に力がこもった。
「航平、お前さ…」息が出来なくて、渉は少しだけ僕を押しのけた。
「なに?」
「なんか足りないよ、いつも」
渉の言いたいことはわかってた。
想っていたのに、一度も言葉にしていなかった。
「愛してるよ、渉」
自分で言えと言ったくせに、渉はその言葉が合図だったように、声をあげて泣いて、僕を抱きしめ返した。
「やっと聞けた…」
泣きながら、絞り出すようにそう言った。
「ほんとにお前、めんどくさ…」
「だってやっとだよ…やっとこっち向いてくれた…」