妄想小説家panのブログ。

素人の小説です。

W【12】

「遊ぼうよ、お兄ちゃん…」

 

確かに晴人は、友也に向かって笑顔でそう言って、僕から足を下ろした。

 

友也は、頭の中で何かがつながったようなスッキリとしたような顔をして同じように笑って見せる。

 

「なんだ…そうか…名前変えられたら流石にわかんないよ…友樹」

 

「友樹?」友樹と呼ばれた晴人を見上げる。

 

 

 

 

 

「見たことあると思ったら、俺の弟じゃん」

 

 

 

 

 

頭の中で記憶が蘇った。

 

《弟もいたけど、婆ちゃんひとりじゃ育てられなくて置いてきた》

 

あの雨の日、友也はそう言っていた。

 

「拳銃の玩具が大好きだった友樹くん、お前も例に漏れず腐っちゃったんだな…可哀想に」

 

「お前らが置いてったからだよ」

 

「ごめんな」

 

「謝って済むかよ。お前が婆ちゃんに救われて逃げた時から、地獄だったよ。せっかく婆ちゃんが通報してクソ親父と別れたのに、結局たいした罪にもならずにすぐに帰って来たよ…それからは2人分だよ?2人分、殴られて、蹴られて、タバコ押し付けられて、熱湯ぶっかけられてさ…よく生き抜いたよ、俺」

 

ナイフを構えた腕の傷痕は、やっぱり友也と同じだった。

 

「世間て狭いなぁ…俺の殺したいやつ2人いっぺんに飛び込んでくるんだもんな…」

 

そうしているうちに、アツシが僕を抱き起こして「いたよ」と囁いた。

「大丈夫、気を失ってるけど生きてる」アツシが寝室の方を指さして言うと、晴人が声を張って言った。

 

「逃がすなよ、今度は殺すぞ?」

 

そして、アツシに歩み寄って顔を蹴り飛ばした。  

 

「邪魔すんな。こっちは今からヤル気だったのにさぁ…早いよ、お前ら来るの。いっつもイチャイチャイチャイチャしやがってさぁ…なんでお前みたいな頼りなさそうな男がいいんだろうな」

 

「盗聴してたのお前なんだな」僕が言うと晴人の笑顔は変わらず

 

「当たり前じゃん、この期に及んで俺じゃないことある?信用しすぎ、今どき合鍵なんてなんとでもして作れるんだから鍵なんて渡しちゃ駄目でしょ?俺ずっと理沙のこと好きだったのに、子供まで作られたらやってらんないよ」

 

「よく喋るな、変態シャブ中野郎」友也が後ろから晴人を煽ったけど、晴人の笑顔は崩れない。

 

友也の笑顔より、怖い。

 

友也は、本気で怒った時は目が笑っていなかったけど

だけど晴人は、いつもの無邪気な笑顔のまま仮面のように固まっている。

 

しばらく、僕と友也と晴人、3人で睨み合うように押し黙っていたけど、寝室のドアの前に立ち塞がる僕の顔に、晴人がナイフの刃を押し当てて「どけよ」と低く言った。

 

「どくわけないだろ」

「命かけて守るとか言ってんの?」

「守るよ、当たり前だろ」

「いいね、望まれて生まれる子は幸せだね。無事に生まれて来られたらね」

 

その時、友也が晴人を引き剥がして、僕の頬に痛みが走る。

「こいつは俺がやるんだよ、お前に殺させないよ」

晴人に馬乗りになって、廊下に落ちていた傘を首に押し付けてしばらくもみ合っていたけど、そのうち友也が叫び声をあげて転がり、晴人は咳き込みながら外に飛び出した。アツシがそれを追おうとしたけど友也が「行くな!アツシ!止まれ!」と叫んだ。友也は左の太腿を刺されて血が滲んだ。

僕もアツシに言った。

「理沙を頼むよ」

 

アツシに車の鍵を借りると「俺も行く」と友也が立ち上がった。

「アツシ、じゃあな」友也の言葉にアツシは黙って頷いて、友也の背中をずっとその鋭い目で追っていた。

 

「めっちゃ痛ぇ…」助手席で智也が呻く。

「どこ行ったと思う?」

「ちょっとは心配しろよ…助けてやったのに」

「後でな」

「どこ行くかなんて知らないよ…弟だからって、俺が14歳で婆ちゃんと逃げてから会ってないんだから考えてることなんかわかるかよ」

「晴人はいくつだった?」

「あいつは…たぶん、6歳くらいかな…だから顔なんか全然わからなかったしな」

 

行くあてもなく、さ迷うしかなかった。

 

「戻ったかもしれない」友也が呟く。その可能性は充分にある。

来た道を引き返し、急ぐ途中で友也が言った。

 

「あのさ、これでまた友樹と向かいあったらもしかして死ぬかも知れないだろ?2人とも」

「死にたくないけどね」

「だから先に言っとくよ。何度も言ってるけど、俺がタクと再会したのは本当に偶然だから」

「うん」

「それに本当に恨んでたし、お前の幸せぶち壊してやるんだと思って嬉しくなったのも本当」

「うん、だから煮るなり焼くなりしろって言っただろ」

 

 

「だけど、もういい」

 

 

 

「は?」

 

 

 

「それをわかってて好きな女と子供のために俺に頭を下げるようなやつ、どうにも出来ないよ。そんなの俺が馬鹿じゃん。だいたい…子供出来るなんて反則だろ。もう何も手出し出来ないじゃないか」

 

「本音か?」

 

「最後くらい信じろ」

 

「最後とか言うな」

 

「きれい事言わないで聞け。理由はそれだけじゃない。それに引き換えても頼みたいことがある」

 

「聞けること?」

 

「簡単だよ」

 

「なに?」

 

「アツシだけは見逃してやって欲しい」

 

「どういうこと?」

 

「あいつは何も悪いことはしていない、俺とも何の関係もない。だから、もし俺が死んじゃったら、あいつを家に帰らせて欲しい。あいつは本当は普通の幸せな家の子なんだよ、ただ反抗期拗らせただけだ」

 

僕が黙っていると友也は続けた。

 

「わかってるよ、お前の正義感は。あいつは薬の売買もしたし車も盗んだし…」

 

「もういいよ、わかった。理沙が助かるならそんなクソみたいな正義いらねーよ」

 

 

 

マンションの前で車を停めるとベランダで揉み合うアツシと晴人が見えた。

「アツシ!」

僕が見上げて叫ぶとアツシが「助けて…」と声は届かなかったけど、苦しい顔をしてこっちに手を伸ばした。反対側の手は、晴人に突きつけられたナイフの刃を握りしめている。

気付いた時には、友也はエレベーターのボタンを苛立ちをぶつけるように殴り続けていた。左足は真っ赤に染まっている。

肩で息をして今にも倒れそうになりながら、アツシを助けるために必死にボタンを叩くその顔は、僕が初めて見る顔だった。

 

初めて、本当の友也の顔を見たような気がした。

 

部屋に飛び込むと、理沙のいる寝室の扉の前にはテーブルや椅子がバリケードのように積み上げられていて、中からドアを叩く音がした。

 

「理沙??」

「タク!助けて!」

 

理沙は生きている。

 

「タク!何が起きてるの?タク!」

「落ち着いて、落ち着いて理沙…」焦る気持ちをおさえて、理沙を落ち着かせるために声を落として言い聞かせた。

 

気持ちが焦る。

 

早く友也とアツシを助けないと。

 

晴人も。

 

「大丈夫、大丈夫だからそこで待ってて。わかった?寒くない?」

「うん…」

「ちゃんと暖かくして、じっとしてて…大丈夫」

「本当?」

「本当。助ける」

「わかった…」

「ちょっと行ってくるね」

「ねぇ、晴人は?」

「晴人は…」

「晴人はどうなっちゃったの?」

「晴人は大丈夫だから」

 

晴人なんていないんだよ、理沙。

 

ふいに零れそうになった涙を拭った。

 

友也はベランダでアツシから晴人を引き離して、友也に背中を突き飛ばされたアツシがリビングに転がった。

友也は晴人を手すりに押し付けて、今にも突き落としそうだ。

「友也、殺しちゃ駄目だ!」そう叫んで友也に飛びかかると、思い切り僕を蹴り飛ばし「殺さなきゃ終わらないんだよ!!」と言った。

「邪魔すんなよ」

そしてアツシにいつものように顎を上げて合図をすると、アツシが僕を羽交い締めにした。

「離せよ!アツシ!いいのか!友也が人殺しても!!」アツシはいつものように黙って頷いて、その鋭い目から涙を零した

 

 

「弟、殺すのかよ」晴人の笑顔の仮面が剥がれて、目を見開いて友也を睨む。

 

「弟だからだよ」

「置いてったくせに」

 

 

「置いてったお詫びに…今度は一緒に地獄に落ちてやるよ」

 

 

そう言って笑った。

 

 

 

アツシを必死に振り払って手を伸ばしても、もう届かなかった。

 

友也は、晴人…いや、友樹を抱きながら

 

ベランダから飛び降りた。

 

アツシが僕の背後で、叫ぶように声を上げて泣いた。

 

 

 

僕とアツシが駆けつけた時には、アスファルトに落ちた友樹は真っ赤な血溜まりの中で、ピクリとも動かなかった。

 

友也は、少し外れて植え込みに落ちていて、小さく呻き声が聞こえた。

「友也!死ぬな!」そう言うと聞こえないような声を絞り出して「無茶言うなよ…死なせろよ…」と少し笑った。そして立ち尽くすアツシを見て僕に

 

「約束守れよ」と今度ははっきりと言った。

 

「アツシ…ごめんな」

 

目を半分、開いたまま

 

友也は動かなくなった。

 

「アツシ…」僕が呼ぶと、膝をついて呆然と友也を見下ろしていたアツシは真っ赤な目をしてこっちを見た。

 

「お前は関係ない、自分の家に帰れ。何も知らない、何もしていない、友也のことも、友樹のことも、俺たちのことも何も知らない…いいな?」

 

アツシは初めて、首を横に振った。

 

「友也はお前のボスだろ?逆らうな」

 

誰かが通報したんだろう、サイレンの音が響く。

 

僕は友也の真似をして、アツシに合図をする。

 

アツシは、そっと友也の目を閉じてやった。

そして増え始めた野次馬に紛れて、アツシはパーカーを目深くかぶり、一度だけ友也の方を振り返って、静かに立ち去った。