W【2】
理沙と一緒に住み始めたマンションの1階にあるコンビニでパンを買って、部屋に帰ったのはもう日付がかわってかなり経ってからだ。
テレビをつけても深夜アニメか通信販売くらいなので、すぐに消した。
「明日は休みでしょ?私は仕事に行くけど」
「うん、ゆっくり寝てていい?」
「いいよ、起きたら頼み事はたくさんあるけど」
「わかってるよ。掃除とか洗濯とか置いといてよ」
「ありがとう」
家事は嫌いじゃない。
大学生になってから理沙と住み始めるまでずっと一人暮らしだったし、今も理沙のほうが家にいられる時間も短くて不定期なので、やれることは僕がやる。
とはいえ、大人2人暮らしだ。
たいした苦労はない。
「あのさ、理沙」
「なに?」
「昼間のあいつさ」
「うん」
「何かあれから話した?」
僕は昼休みが終わるので、後ろ髪をひかれながらも友也と理沙を店に残して仕事に戻らないといけなかった。
「2人きりだったしね、なんだかんだ話したよ」
「何を?」
「自分よりタクのほうが賢かったしモテてたとか…他の友達の話とか…他愛もないことよ」
「そっか」
「で、彼女ですか?て聞かれた。そうですって言ったけど…ダメだった?」
理沙は風呂上がりのパジャマ姿でソファの隣に座って、僕の機嫌を伺うように聞いた。
「ううん、いいに決まってるだろ?あいつとは仲良かったよ?本当に」
理沙はホッとして持っていた缶ビールをグラスに注いで一気に流し込んだ。
「途中で辞めちゃったからさ、あいつ。だからちょっと戸惑っちゃっただけ。…俺も風呂入るよ」
「ごゆっくり」
仲は良かったよ。
いつも一緒にいた。
ただ、あいつは心の底から腐っていたけれど。
風呂からあがるとソファで理沙が座ったままうたた寝をしていた。「風邪ひきますよ」と揺さぶったけど起きそうにないので、そっと体を横にしてやってブランケットをかけた。
友也と仲良くなったのは、ほんの偶然だ。
高校に入学した時、たまたま隣の席にいた。
それだけ。
目が大きくて色が白くて、少しくせ毛で、子犬みたいに人懐っこい顔をしてた。ニコッと微笑まれたから笑い返したら、高校進学を期に県外から引っ越して来たので、誰も知っている人がいないから仲良くして欲しいと言った。
僕もそんなに友達が多いほうではなかったから、いいよと言って教室に先生が入ってくるまで話した。
友也は自分のことはあまり話さなかったけど、聞き上手で殆どが僕の自己紹介になっていた。
そんな調子で、4月の半ばになった頃には他のクラスメイトとも打ち解けていった。
世渡りが上手そうな奴だと言うのが初めの印象だった。
理沙の飲んだビールのグラスを台所に片付けて、理沙を揺さぶって声をかける。
「理沙、どうする?このまま寝る?」
返事がないので、もう一枚ブランケットをかぶせておいた。
僕はひとり寝室のベッドに転がって、何度も寝返りをうつけど疲れているはずなのに眠れない。
友也は、僕を見つけた。
そして、理沙のことを知ってしまった。
今頃、あいつはどんな顔をしているんだろう。
友也がクラスメイト達と打ち解け始めた頃、少数だが友也を嫌う奴らがいた。
友也が目立つのが気に入らないのか、上靴がなくなったり、体操着がゴミ箱に入っていたり、そんな小学生レベルの嫌がらせが始まる。
だけど、みんな明るくて人懐っこい友也が好きだったから、すぐに誰かが代わりのスリッパを借りてきてくれたり、体操着を貸してくれたりするので、それがまた気に入らないらしい。
友也を嫌うグループのリーダー格が吉見といって、僕と同じ中学から来ていて顔見知りだったので「嫌がらせはやめろ」と言ったことがあるけど、たいした仲良くしていたわけでもない僕の忠告など聞いてくれなかった。
友也は友也で「大丈夫大丈夫」と笑ってるし、だから余計にみんな味方になるし、吉見達が孤立していく。
それどころか、吉見達に対する嫌がらせが発生するようになり、もちろん吉見達は友也を疑ってかかる。
今朝も吉見の上靴に画鋲が刺さっていたとかで、僕と友也が一緒に登校すると昇降口で吉見が待ち構えていていたけど、僕はさっき友也と駅で会って一緒に来たところだし、昨日も一緒に帰ったので友也はそんなことをしていないと言った。
「こんなことするのお前しかいないだろ!仕返しだろ!」
「やってないって」
吉見と友也がしばらく睨み合う形になって、そこに友也のいつもの笑顔はなく自分より少し背の高い吉見を上目遣いで睨む。
「やってないって言ってんじゃん」
昇降口にいる他の生徒がざわつき始めたので、僕は友也を引き離して、吉見にそう言った。
「友也も行こう、もう」
友也は大きく舌打ちして忌々しそうな顔をする。
実の所、そんな顔を見たのは初めてで戸惑っていた。でも教室に入る時には、またいつもの笑顔に戻って「おはよう」と言った。
そしてその日の夜。
吉見がアルバイト帰りの夜道でバイク事故に合う。ひき逃げだった。
吉見の怪我はたいしたことはなく、僕達は次の日の朝にその話を聞いた。でも、その事故のあった時、僕はちょうど友也や他のクラスメイト数人とカラオケに行っていて、帰り道に微かにパトカーや救急車の音が聞こえていた。
僕達は、どうしたんだろう?事故か?事件か?なんて騒いでいたけど
確かに僕は見たんだ。
パトカーや救急車の音が聞こえる方向の空を見ながら、ニヤリと笑う友也の顔を。それを見ていた僕に気づいた友也は、僕に向かって明るい声で言った。
「今日は楽しかったね」
「タク!タク、起きて!」理沙に叩き起されて、ハッと目が覚める。
いつの間にか眠って夢を見ていた。
「ゆっくり寝るっていうから起こさないつもりだったけど…大丈夫?」心配そうに理沙が見下ろすので「なにが?」と言うと
「気づいてないの?めちゃくちゃ汗かいてうなされてるよ?熱でもある?」と、額にひんやりした手を当てた。
ふと、自分の首筋に手をやると気持ちの悪いベタっとした汗が滲んでいる。
理沙は朝になってソファーで目が覚めて、寝室のクローゼットに着替えを取りに来たそうだ。そこで僕が汗をかいてうなされているのを心配してたたき起こしたらしい。
「大丈夫、怖い夢でも見たかも…」
「だったらいいけど…」
「もう行くの?」
「うん、起こしちゃったけどゆっくり寝ててね」
理沙はそう言って出ていったけど、もう眠れる気がしなかったから台所に行ってコーヒーをいれた。熱はなさそうだけど、頭が痛い。
コーヒーを飲み終えて、頭も痛いので簡単に部屋を片付けて掃除機をかける。昨日の予定では、細かいところまで念入りに掃除してみようと思ったけど、どうも夢見が悪すぎた。
最低限の用事を済ませてソファーで読みかけの本を読んでいると、インターフォンが鳴った。
一瞬、ドキッとする。
いや、そんなわけないかと思い直してインターフォンに出ると晴人だった。「あれ?晴人どうしたの?」と聞くと理沙に頼まれて夜のアルバイトに入る前に様子を見に来たのだと言う。
「なんか、体調悪そうだからって」
「心配性すぎだな、理沙は」
「これ、良かったら食べてください」
晴人が差し出した紙袋を受け取ると、ほんのり温かい。
「え?なにこれ」
「俺、作ったんですよカレー、体調悪い人にはどうかと思うけど」
「俺、昨日もカレー食べたよ、理沙の店の」
「え?マジっすか!」
「いや、でもありがとう。食べるよ」
台所に立って、カレーのタッパーを冷蔵庫に入れた。
「体調悪いわけじゃないんだよ、なんか変な夢見ただけ」
「大丈夫ですか?」
ソファーに座る晴人がこちらを振り向く。
「なんか飲む?」
「あ、大丈夫です」
「心配しなくていいよって言っといて。暇だったら店行くから」
「わかりました」
「あ!あのさ!思い出した!」
「なんすか?」
「こないだ、服買ったんだけど…家で着てみたら理沙にデザインが若すぎて似合わないって不評で…着ない?気に入ったらでいいけど」
「マジっすか、やった!」
急に肌寒くなった日に、羽織るものが欲しくて慌てて黒のパーカーを買って着ていたら、理沙にバックプリントのデザインが若すぎる、似合わないと散々言われてしまって、それから一度も着なくなったのがクローゼットに眠ってる。
「見に来て」
「入っていいんですか」
「いいよ、さっき片付けたし」
晴人を寝室に招き入れてクローゼットからそのパーカーを出して渡す。他にもいくつかもう着ないものを出した。
「欲しいのあったら持ってって」
「ありがとうございます!」
「カレーのお礼ね」
晴人は笑うと目がなくなるくらい細くなる。理沙が可愛がってるから、僕も自然と気にかけてしまう。
晴人は僕のあげた服を入れた紙袋を持って嬉しそうに仕事に出ていった。
晴人と話したおかげで、少し気分が軽くなったのでお腹がすいて来たけどカレーの気分ではなかった。かと言って、理沙の店に行くには少し早すぎる。
閉店間際に行って、片付けを手伝って一緒に帰りたいところだ。
冷蔵庫を見ても特にこれといって食べたいものもなかったので、1階のコンビニに降りて行くことにした。
マンションの玄関前をパトカーがサイレンを鳴らして走る。
繁華街が近いので、珍しいことじゃない。
だけど今日は、朝に見た夢を思い出して胸がザワザワとするんだ。