妄想小説家panのブログ。

素人の小説です。

われても末に逢はむとぞ思ふ⑦

無機質な、電話の音と、キーボードを叩く音が響く中、その声は僕の頭上から柔らかくおりて来た。

 

「航平さん…ちょっといいですか」

 

僕はその顔も見ないで「なに?瀬川さん」と答える。

 

「ちょっと…時間ください」

 

「どのくらい?」

 

「…30分…いえ、10分でいいです」

 

腕時計を見ると、もうすぐ昼休みになる時間だったので「お昼、一緒に食べに行く?」と、そこでようやく菜々美の顔を見上げた。僕が顔を上げたからか、菜々美は少しホッとした顔をして「…はい」と頷いた。

 

 

「航平さん…昨日、見ましたよね」

菜々美は、運ばれてきた食事に手をつけずにようやく本題を切り出した。

 

「見たよ、修也も」

 

「…ですよね」

 

「別に俺、誰にも言わないよ」

 

「…ありがとうございます」

 

「あんなとこ、誰が見てるかわかんないんだから、もうちょっと待ち合わせ場所考えなよ」

 

「はい」

 

「それだけ?だったら、早く食べなよ」

 

我ながら、少し冷たいんじゃないかとは思っていた。

 

「…軽蔑しますか…」

 

震える手で箸を取りながら、菜々美は小さな消えそうな声で聞く。

 

「…まぁ…正直に言うとね」

 

「ですよね」

 

「悪いけど…俺、優しいこと言ってあげられないからね。なんて言って欲しか…」

 

そこまで言って、菜々美の瞬きが多くなって今にも泣きそうな顔を堪えているのに気づいて、言葉を飲み込む。

 

「ごめん、言いすぎた」

 

「そんなことないです…その通りです。航平さんに優しいことを言ってもらって、自分のやってることは悪くないって少しでも思おうとしてたと思います」

 

「ごめん、本当に。八つ当たりだった」

 

「八つ当たり?」

 

「…うん。確かに昨日はショックだったよ、瀬川さん見かけた時は。いい子だなって思ってたし。でも、俺が瀬川さんのこと軽蔑するような立場じゃないんだよ。ずっと俺の方が最低な人間だからね」

 

「何かあったんですか?航平さん」

 

「…まぁ、誰でもあるだろ?人に言えないことって」

 

「そうですね、すみません」

 

「だから、俺は君のことは助けてあげられない。ごめんね。自分のことで精一杯」

 

「はい…」

 

菜々美はやっと、慌てて食べ物を口に運び始めたけど、なかなか喉を通らない様子だった。

 

「慌てなくていいよ、でもちゃんと食べなよ」

 

「はい」

 

「辛いね」

 

「…航平さんも?」

 

「そうだね」

 

結局、菜々美は頼んだものを半分残して箸を置いた。

 

 

 

 

「お前さ、今度は俺を母ちゃん扱いすんなよ」

 

熱を出して僕が寝込んでいるベッドの脇に座って、渉は買ってきたスポーツドリンクのペットボトルのキャップを開けて、僕に差し出した。

 

「起きれる?」

 

「うん…」

 

「熱出たから来てとかさ、何様なの?」

 

「来てくれたじゃん」

 

「言っただろ、どうせ呼ばれたら来るって。ほら、早く飲んで」

 

僕にペットボトルと薬を渡して、渉は立ち上がってキッチンに向かう。

 

「買ってきた残り、冷蔵庫入れとくからちゃんと飲めよ」

 

「帰るのかよ」

 

「さぁね…とりあえずそれ飲んだら寝たら?」

 

冷蔵庫のドアを静かに閉めて、またさっき座っていたところに戻り、薬の袋とペットボトルを受け取って、僕の額に手を当てた。

 

「…いてあげるから。明日は休みだし」

 

「いいの?」

 

「どっちだよ」

 

渉の手が冷たくて気持ちが良くて、自然と瞼が閉じる。

 

熱のせいか、重くて嫌な夢を見たような気がして、ふと目を開けると、ベッドのすぐ傍のテーブルで手元だけを仄かに灯りで照らして、眼鏡をかけて本を読んでいる渉の姿が見えた。

 

さっきは、仕事帰りのスーツ姿だったのが黒いTシャツに変わっていた。

 

僕の動く気配に気づいたのか、眼鏡をかけたままベッドにもたれて、こっちを振り返る。

 

「寝られた?」

 

「今、何時?」

 

「…12時かな。勝手に風呂と着替え借りたからね」

 

「いいよ。渉、寝ないの?」

 

「寝るよ。でもその前に外で煙草吸ってくる」

 

「いいよ、そこで吸えば?」

 

渉は立ち上がってテーブルのタバコを握ると、僕の枕元を指して「何回も電話かかって来てたよ。かけ直せば?」と不機嫌に言って、部屋を出た。

 

枕元の携帯に手を伸ばして見ると、僕が眠ったくらいに着信が2回ほど残っていて、どちらも瀬川菜々美からだった。

もう日付も変わってしまったから、かけ直すのは気が引けた。

 

その代わりに渉の携帯を鳴らしたけど、テーブルの隅でそれは鳴り出した。

仕方なくベランダに出て、下に向かって少し遠慮がちに渉を呼んだ。

少し、寝る前よりも身体が軽くなった気がする。

 

「渉、そこにいる?」

 

煙草を口に咥えて、見上げる渉の姿が見えた。

 

「帰ってこい」

 

しばらくして、あからさまに不貞腐れた顔をして渉は部屋に帰って来て、ベッドに座っている僕の隣に勢いよく座って膝を抱えた。

 

「なんだった?電話」

 

「知らない。もう遅いからかけ直してないよ」

 

「そっか、そうだな」

 

「誰?て聞きたい? 」

 

渉は「見せて、携帯」と手を伸ばした。

 

「いいよ」

 

「スタバ行ったんだ」

 

「なんで?」

 

「キモいアイコン」

 

「お前にヤキモチ妬かれる筋合いないけどな」

 

携帯を取り返して、枕元の充電器にセットしてベッドから降りる。

 

「ちょっと元気になったし風呂入る。寝てていいよ」

 

渉は返事をせずにベッドに潜り込んで、背中を向けた。

 

僕が浴室から出ても、テーブルの上の仄かな明かりに照らされた渉の背中は形を変えていなくて、眠ってしまったのかと顔を覗く。寝顔を隠している腕をどけると、長い睫毛の瞼が少し動いた。

 

「寝たの?寝たふりしてんの?」

 

「…寝てんだよ」

 

「そっか、寝てんのか」そう言って後ろから抱きしめると、渉が「まだ熱いじゃん」と腕を掴んだ。

 

「寝ろよ、また熱あがるぞ」

 

「うん、このまま寝るよ」

 

「甘えんな」

 

そう言いながらも、渉はそのまま動かずにいてくれた。テーブルの上の渉の携帯が鳴っているのに気づいていたけど、僕は渉を抱きしめる腕を緩めなかったし、渉も聞こえないふりをする。

 

こんな時間に遠慮なく電話をかけてくる相手なんて決まっていたから、本当なら僕は渉を離してやらないといけなかったし、渉が離せと言えばそうしたけど、渉が僕のこのくだらない嫉妬心を受け入れてくれたから、僕はそれに甘えた。

 

明日になれば、違う人のところに帰ってしまうから、今だけは許して欲しいと、心の中で顔も知らないその人に詫びた。