remember anotherstory【蓮⑤】
でも、亮太の唇が次は僕の首を這った時、亮太の息が少し荒くなるのを感じて、少し怖くなって手が震える。
怖かったけど、離れたくはなくて、思わず腕にしがみついた。強くしがみつきすぎて、右の手首が鈍く痛んだ。
「怖い?」震える手に気づいて、亮太が聞く。
僕が素直に頷くと「ごめん…」と言ったけど、僕を抱きしめる力は余計に強くなった。
「本当は、蓮のことさ…まだよく知らないじゃん。だから、好きって言われても正直どうしていいかわかんなくて」
「うん…」
「でも、昨日…一瞬だけど蓮がどこか行っちゃって、心配して、仕事休んででも迎えに行って顔を見て安心したくて…俺きっと蓮のこと好きなんだって思ったんだ」
「ほんとに?」
「本当に。なのに、そんな格好で出てきちゃ駄目じゃん…」
耳元で吐息混じりにそう言われて、僕も亮太の肌に触れたくなって、服の裾から背中に手を入れてみる。
「触りたい?」
僕がその問いに頷くと、その白いパーカーを脱いで、乱れた前髪の間から僕の目を見る。
その目は優しかったけど、僕は怖くて、ずっと見ていられなくて、目を瞑って頷いて、その背中に手を置いた。
亮太の背筋に沿って撫でていると、亮太は気持ちよさそうに吐息を漏らしながら、また僕の口を塞いで、生温かい舌を入れる。
「いいの?蓮…初めてなんでしょ?」
もちろん、こんなことは初めてだったし、どうすればいいかもわからないし、急に亮太に男っぽさを感じて戸惑ったけど、そのうち頭の中はもう真っ白になって、僕はまた素直に頷く。
でも、亮太はその僕の怯えを感じて気遣いながら、優しく僕を抱いた。
苦しくて、何度も思い切り亮太の背中や腕を引っ掻いて、その度に亮太は動くのをやめて「大丈夫?もうやめよう…」と言うけど、僕は離して欲しくなくて、その度に嫌だと言って強くしがみついて困らせた。
ゆっくりと長い時間をかけて、僕たちは抱き合った。
「亮太…好きだよ」
いつの間にか僕の怖さも震えもなくなり、亮太の重みも、汗ばむ首や背中も、僕をしっかりとつかむ手も、悩ましげに漏れる声も、今は全て僕のものだと、僕の知らなかった独占欲が満たされた。
「ごめん…蓮」
亮太は、まだ呼吸が整わない僕の、痛くない方の手を握って言った。
「なんで謝るの?…悪いことしてるんじゃないだろ?」
でも、信じられないくらい身体はだるくて重くて、今すぐにでも瞼が落ちて来そうなくらい眠くなった。
「もう寝な」
亮太は手を離して身体を起こして、脱ぎ捨てた服を着た。
「蓮のは?なんか着ないと風邪引くよ、どこにあるの?」
僕は少し悩んで、ベッドの頭の方の壁のハンガーにかけたトレーナーを指さすと、亮太が手を伸ばして僕に渡した。
「ありがとう」
「着られる?」
「大丈夫…ていうか、子供じゃないんだから 」
僕が笑ってそう言うと、亮太はホッとした顔をして僕の髪をくしゃっとして「早く着ないとまた襲うぞ」と笑った。
服を着て、でもどうしても眠くて、でもまたベッドに転がるとそのまま眠ってしまいそうだったから、顔を洗いに行こうと立ち上がった。
思い切って立ち上がると 、一瞬だけ立ちくらみがして、壁に手をつく。
「もうおとなしく寝てろって」
亮太が僕の手を引いて、また座らせる。
「だって寝て起きていなかったら嫌じゃん」
「なにそれ、なに可愛いこと言ってんの?いいから寝ろってもう」
「帰らない?」
亮太は時計を見た。
時間はまだ夜の8時で、亮太は少し考えたあと「明け方までいるよ」と頭を撫でた。
「さすがに明日もサボるわけにいかないから、着替えに帰らないとね。帰る時には起こすから、しっかり寝な」
その優しくて穏やかな声に誘導されて、僕は返事もせずに目を瞑って、深い眠りに堕ちた。
ピピピ…と小さなアラーム音に気づいて、僕は目を覚ました。
目を開けたすぐ傍には、ベッドに頭だけを置いて眠っている亮太の顔があって、その手に握られた携帯からアラーム音がしていた。
そっと携帯をその手から外して音を止める。
「亮太、起きて」
窓の外はまだ少し暗い。
「起きて」
2回目に亮太の身体を揺すると、ゆっくり目を開いて忙しなく瞬きをした。
「…おはよ、蓮」
「おはよう」
「大丈夫?元気?」
「うん、大丈夫」
「じゃ、帰るけど…なんかあったら言いなよ」
「わかった」
僕から受け取った携帯と、テーブルに置いた車の鍵をポケットに入れて「じゃあね」と、亮太は手を振って部屋を出ていった。
しばらくして、夜明け前のまだ静まり返った外から、車のエンジン音が遠ざかって消えた。
僕はもう一度、寝転んでみるけど、昨日は子供みたいに早く眠ってしまったからさすがにもう眠れない。
でも、ベッドから起き上がったら、昨日の余韻が消えてしまうみたいで嫌だった。
いつまでも、亮太に抱きしめられているような感覚を失いたくなくて、僕はまたベッドに潜り込む。
亮太の柑橘系の香水の匂いが、まだそこに残っていた。
「なんか、駅前で殺人事件起きたっぽい」
アルバイトの最中、今日はやたらとパトカーの音が騒がしいと思っていたところに、買い出しに出ていた店長が帰って来てそう言った。
「え?マジですか…怖」
「俺も野次馬に聞いただけだけどさ、血の海だったってよ」
「誰が殺されたんですか?」
「若い男の子だってさ」
翌朝のニュースで、少しだけその事件に触れられているのを目にした。
僕とあまり歳の変わらない若い男が、元交際相手に刺されて亡くなったという衝撃的な話だった。
朝食を食べながらそんなニュースを見て、少し食欲がなくなってしまって片付けようとした時に亮太から電話があった。
「今、駅前の殺人事件のニュース見た?」
「見たよ、なんで?」
「あれ、刺した方が俺と同じ会社の子なんだよね」
「嘘でしょ?」
「びっくりして…めっちゃ手が震えてて…とりあえず落ち着きたくて蓮に電話した」
「大丈夫?…じゃ、違う話しよ」
「なんの話してくれる?」
「そうだなぁ…昨日、うちの店長が滑ってこけて頭にでっかい絆創膏貼ってた話する?」
「なにそれ、しょーもないしどうでも良すぎるんだけど」
緊張して震えていた亮太の声が、少し穏やかになって笑った。
亮太は、堂々として強く見えて、実はすごく弱い。
すぐに体調を崩すし、緊張したらお腹が痛くなるし、不安になるとこうやって僕に電話をかけて来る。
自分が同性愛者であることも隠さずに公言しているけれど、それも、後になって傷つかなくて済むように、初めから人との関係にバリアを貼るためのものだと思っている。
初めは、その強さに憧れを抱いていたけど、今はその隠した弱さが愛おしいと思う。
「蓮、ありがとう」
「ちょっと落ち着いた?」
「うん…仕事行ってくるよ」
「週末、泊まりに来る?」
「迎えに行くから、こっちに来る?」
「いいの?じゃ、そうする」
普段、学生の僕と社会人の亮太とでは生活のリズムが全く違うから、平日はお互いにあまり干渉しないようにして、週末に何も予定のない時には一緒に過ごすようにしていた。
どこかへ出かけることもあれば、お互いの趣味に付き合わせたり、ただ部屋でのんびりと過ごしたり、亮太は案外すぐにカッとすることもあって、まだまだ子供な僕と喧嘩することもあったけど、僕にとってはもう亮太がいないことは考えられなかった。
その日、僕はアルバイトが終わってから亮太に電話をかけた。
「大丈夫だった?今日」
「うん、まぁ…大騒ぎだったけどね…そこかしこで興味本位で聞かれるし大変だった」
「そりゃそうだね」
「でも、やっぱり蓮の声を聞いてて良かったよ。そうじゃなかったらちょっと辛かったかも」
「それなら良かった」
「心配してくれたんだ」
「まあね」
そしてきっと、亮太にとっても僕がいないといけないんだと思えるようになっていた。