remember another story【蓮④】
5日ほどして、僕は神野に自分から連絡する勇気もないし、連絡する理由も思いつかないし、ただまた会いたい気持ちだけを持ち続けて過ごした。
姉が退院の日を迎え、僕も手伝いに駆り出された。
「れんにいちゃん」
やはり一緒に連れてこられて退屈していた裕太と、その姉の舞香はすぐに僕に飛びついてきた。
「悪いけど、その子たち見てて」
「そのつもり」
姉が胸に抱えた赤ちゃんは、前に見た時よりふっくらとして黒い瞳をキョロキョロと動かして、人間らしくなっていた。
「れんにいちゃん、こーえんいこ」
「いいよ、行こう。舞香もおいで」
裕太に比べて、舞香は少し遠慮がちなところがあった。お姉ちゃんだから、更にまた弟が増えたから、小さいなりにしっかりとしなきゃいけないと思っているみたいだった。
神野が教えてくれた公園に着くと、やっぱり裕太はすぐに駆け出して、舞香は「あぶないよ!裕太!ダメ!」と追いかけようとした。
「舞香」
僕は舞香に声をかける。
「裕太はちゃんと見てるから大丈夫。今は舞香は舞香のしたいことしていいよ」
そう言ってあげると、パッと顔が明るくなって「うーんと...ブランコしたい!押してくれる?」と僕に言った。
「いいよ、ちゃんと自分のしたいこと言わなきゃ駄目だよ」
《なんで自分の感じた気持ちに正直じゃいけないの?》
ふと、僕が神野に言われた言葉が、あの時と同じ景色の中でフラッシュバックした。
彼が今、ここにいたらきっと舞香に同じことを言うんだろうなと思った。
舞香のブランコを押しながら、ジャングルジムに登る裕太に「気をつけろよ」と声をかける。
そしてまた、裕太に手を差し伸べて見守っていたあの綺麗な横顔を思い出す。
舞香には偉そうに言っておいて、僕は彼に会いたいというひと言も言えないでいる。
「どしたのー?れん兄ちゃん」
敏感な舞香は、僕の方に振り返る。
「ん?なにもないよ、大丈夫」
「私も裕太とジャングルジム行く。ブランコ楽しかったもん」
「いいの?」
「うん、裕太と遊びたい」
両手でゆっくりとブランコを止めてやると、舞香はジャングルジムに走り出した。
ジャングルジムで遊び疲れた2人に、自販機で飲み物を買ってやって少し休憩した。
裕太は地面に座って、砂に絵を描いて遊ぶ。
「舞香、学校楽しい?」
ジャングルジムの少し高いところで座っている舞香に、飲み物を開けてあげて渡しながら聞いた。
「楽しい。舞香、好きな男の子いるのー」
「そうなんだ、どんな子?」
「足が早いから好き。顔はーあんまかっこ良くないけど好き」
「めっちゃ好きなんだね」
「うん、大好き」
舞香は無垢な笑顔ではっきりとそう言う。
「れん兄ちゃんはー?」
「なに?」
「好きな子いるー?」
僕は少し苦笑いをして「うん、いるよ」と答えた。
「大好きなの?」
「...うん...大好きだよ...」
「一緒だねー舞香と」
「そうだね、一緒だね」
舞香の純真な言葉に少し涙が出そうになって、慌てて顔をそらして目尻を指で拭った。
ずっと、誰かを好きになっても自分自身でその気持ちに蓋をして、もしかしたら一度だって口に出して言ったことなんてなかったし、今までなら舞香にすらきっと「いないよ」と答えていたと思う。
「裕太、そろそろ帰ろう」砂遊びしている裕太に声をかけると、予想通り「いや!」と言った。
「でも、もうママが帰っちゃうよ」
裕太の傍に座って言い聞かせようとすると、裕太はいきなり立ち上がって公園の外に向かって走り出した。
「裕太!」
裏通りの一方通行の狭い道を、病院から出てくる車がひっきりなしに走っていて、ちょうど裕太が飛び出した時には、その先の病院の駐車場からワゴンの配送車が出てきて加速したところだった。
裕太に追いついて、抱きかかえたところまでは覚えてる。
目を覚ますととにかくいろんなところが痛くて、一番最初に目に飛び込んできた蛍光灯の光が眩しくて目をしかめた。
自分が今、どこにいてどんな状況に置かれているかなかなか理解出来なかったけど、僕が目を覚ましたことで周りが慌ただしく動いて、姉の顔を見た時にようやく、自分が車に轢かれたことを思い出し、血の気が引く思いがした。
「裕太は???」
「裕太は大丈夫、無傷よ」
そう聞いて、ホッとして身体中の力が抜けた。
「ありがとうね、蓮」
姉が気丈に振る舞いながらも、充血した目で僕に言った。
「いや、俺がちゃんと捕まえてなかったからごめん...舞香は?」
「舞香はちょっとびっくりしちゃって、さっきまでメソメソしてたけど大丈夫。ちなみにお母さんはここにいてもパニックになるだけだから、子供たち連れて帰ってもらってる」
「それで、俺は大丈夫なの?めっちゃ痛いんだけど」
「あんた若くて良かったね、打撲と脳震盪で済んだんですって。でも頭を打ってるから1日入院するみたいよ」
「今日、バイトなんだけど」
「今日っていつよ、もう夜になってるけど連絡して間に合う?」
「俺の携帯は?」
枕元のテレビ台の上に置いてくれてあった僕の携帯は、画面に大きな亀裂が入っていた。
時間はもう夜の10時を過ぎていて、とてもじゃないが今から連絡したって遅い。ため息をついていると、姉が「電話して説明しておいてあげるからじっとしてなさい」と携帯を取り上げて出ていった。
とりあえず僕は、自分のことより裕太を助けられて良かったと、心の底から安心した。
電話を終えて帰ってきた姉が「着信入ったけど取らなかったからね」と僕に携帯を渡す。
そして「ここでかけ直しちゃ駄目よ」と釘を刺す。
「わかってるよ」そう答えて通知を確認すると、姉が電話をかけに行った間に2件、神野からの着信があった。
こんな時に限って...と、また僕は落胆してため息をつく。
「電話かけに行っていい?」
「駄目、今日はじっとしてなさい」
「...じゃ、ちょっとトイレ...」
「トイレいく振りして電話するんでしょ?駄目!」
「いいじゃん、お願いします!お姉様!」
僕が必死に頼み込んだので、姉はため息をついて部屋の隅の車椅子を用意して僕を乗せてくれた。
「なに?そんなに大事な電話?」
廊下の突き当たりのロビーまで連れて行ってもらい、姉は「5分したら迎えに来るからね」と言って立ち去った。
とはいえ、かけ直すのには勇気も必要で、5分のタイムリミットは短かった。
呼び出し音が鳴って、やっぱり切ろうかと思う間もなくすぐに声が聞こえた。
「蓮?なにしてんの?」
ちょっと焦ったような声にも驚いたし、どう今の状況を説明しようかと迷って黙っていると
「今日、帰りに蓮のバイト先に行ったのにいなかったから...聞いたら連絡なしで休みだって言うし、何かあったのかと思って電話しても繋がらないし…どうしたの?」と聞かれた。
「えっと...ちょっと車に轢かれちゃって...」
「は?なにそれ、大丈夫?」
「大丈夫です、でも1日だけ入院するらしくて...」
電話の向こうで「...まぁ、良かったよ」と大きなため息と共に聞こえた。
「心配してくれたんですか」
「するに決まってんじゃん...明日帰るの?」
「そうみたいです」
「迎えに行ってあげようか?」
「え?でも...」
「お母さんもお姉さんも大変でしょ?良かったら迎えに行ってあげるよ」
「でも...そんなの悪いし...」
「来て欲しいの?来て欲しくないの?」
まただ。
答えなんてわかってるくせに。
「来て欲しいです...」
きっとまた、電話の向こうで満足気に笑ってる。
少し話して、姉の近づいてくる足音が聞こえたので慌てて話を切り上げた。
「終わった?」
「うん...あのさぁ、明日なんだけど友達が迎えに来てくれるから」
「え?そうなの?いいの?」
「うん、ごめんね...ほんとに今日は。姉ちゃんの手伝いに来たのに余計に迷惑かけちゃって」
「は?なによ気持ち悪い...でも、あんたが助けてくれなかったら裕太がどうなってたか...」
「舞香にもごめんって言っといてね」
「蓮、ここ」
次の日、姉を急かして早いうちに家に帰らせて、病院のロビーへ降りると、外来患者で溢れている待合室を抜けた出入口の近くで、神野が手をあげた。
一瞬、誰だか気づかなかった。
これまでスーツ姿しか見た事がなかったけど、白いパーカーと黒いスキニーのラフな格好で、僕と同じくらいの歳に見えた。
「大丈夫?」
「大丈夫です、ちょっと手首捻挫してたくらい」
「そっか、良かったね...じゃ、帰ろ。駐車場いっぱいだったからちょっと歩ける?」
「大丈夫です」
病院から少しだけ歩いた第2駐車場の隅に停まっている黒いSUV車の助手席のドアを開けてくれたので乗り込むと、爽やかな柑橘系の香りがした。
「家どこ?ナビ入れて」
「あ、はい」
ナビを操作して、家への経路案内を始めるともう一度「大丈夫?」と聞いて、神野は車を走らせた。
「神野さん仕事...休みなんですか?」
「休んだ」
「え?なんで?」
「別にいいじゃん、迎えに来たかったし...ていうかさ、敬語やめない?あと、よそよそしい呼び方やめて」
「なんて呼びます?」
「んー亮太でいいよ」
「じゃ、亮太さんで」
「...ま、いいかそれで」
病院から僕の家まで、30分ほどで帰れるはずだったけど、途中で事故渋滞があってなかなか車が進まなかった。
「大丈夫?気持ち悪くなってない?」
「大丈夫?って何回聞くんですか」
「心配してんじゃん」
「嬉しいけど心配しすぎ」
亮太はフフンと鼻で笑って前を向いて「全然進まないね」とボヤいた。
1時間以上かかって、ようやく家の近くのパーキングに車を停めた時、亮太は思い切り背伸びと欠伸をしながら「じゃ、ちゃんとおとなしくしてなよ」と言った。
「大丈夫ですか?」
「なにが?」
「眠そう」
「うん、眠い…ちょっとここで寝てから帰る」
「うちで寝ます?」
「…え?なにそれやらしい」
「いや、違うって!そんなんじゃなくて…」
また僕をからかって、亮太は大きな声で楽しそうに笑う。
「ごめんごめん、いいの?マジで眠い」
「狭いですけど」
部屋に入ると、少し空気がこもっていたので窓を開ける。
「なんか手伝って欲しいことある?手、痛いでしょ?」
「大丈夫です。だから、寝ててくださいよ」
もうずいぶん眠そうな顔をしていたから、逆にこっちが心配になる。
「うん…じゃ、寝る」そう言って亮太は、ソファー座ってクッションに頭を置いて目を瞑った。
「昨日、あんまり寝なかったんですか?」
「誰かさんが心配させるからでしょ…音信不通だし、車に轢かれたって言うし…」目を瞑ったまんま、眠い声で「だから迎えに行こうと思って…」と言ったら、そのまま黙って、静かな寝息をたてはじめた。
僕はそっと立って、窓を閉めた。
そして、腕の湿布と包帯を取って、音をたてないようにそっと風呂場に移動してシャワーを浴びることにした。
右手を捻挫したので利き腕を使うと痛いし、なにより顔にも手足にもよく見ると擦り傷がたくさんあって、滲みて痛い。
手が痛くて髪を乾かすのも面倒で、上半身は裸のままでバスタオルを頭にかぶって部屋に戻った。
まだ亮太はぐっすり寝ていて、寝顔をあまり見るのは気が引けたから、僕はそれに背を向けて座って、新しい湿布を貼って包帯を巻き直す。
でも、利き手じゃないからなかなかうまく巻けなくて時間がかかって、苛立つ。
すると後ろから「なにしてんの?」と声がした。
「あ、起こしてごめんなさい…」
「ううん、ちょっと寝たからもう大丈夫」
身体を起こしながら、亮太はこっちに手を伸ばす。
「貸して。巻いてあげるから」
僕は隣に座って、亮太は僕の右手を膝に乗せて、丁寧に包帯を巻いて、強く結ぶ。
「痛くない?」
「大丈夫です」
「髪もベタベタじゃん、風邪ひくよ」
そう言って、今度は僕が頭にかぶったバスタオルごと頭をゴシゴシとこすった。僕は恥ずかしくて、紅くなりそうな顔を見られないように俯いた。
すると、亮太は僕の頭をバスタオル越しに掴んだまんま引き寄せた。
冷たい鼻先が当たったかと思うと「こっち向いて」と顔を上げさせて、僕の口を亮太の唇が塞いだ。
冷たくて、少し乾いていた。
そして、髪を覆うバスタオルを外して、僕の髪の匂いを嗅ぐみたいに顔をうずめた。
「…良かった…死ななくて…」
僕の耳元でそう言って、もう一度僕の上唇を挟むようにキスをした。
僕は、何も考えられなくて、ただ至近距離でその綺麗な顔を見つめるだけだった。