【remember】another story⑧
「あんた最近、ずっと機嫌悪いね」
「おかげさまで煙草が増える一方ですよ」僕はクミと話しながら、喫煙所の灰皿に3本目の煙草を思い切り押し付けて消した。
「彼女と別れたんだったら、また次いけばいいじゃん」
「いやもういいや、なんか疲れたわ」
詩織のことを忘れられたわけじゃない。
もしかしたら、また身勝手な都合で現れるんじゃないかって期待してる。
会いたい。
会ってまた、何事もなかったかのように振り回されたいと思う自分が情けない。
「こんな時に言うのもなんだけどさ、神野君はもう解雇だってさ」
「うん、聞いた」
もう、1ヶ月も誰にも連絡がない。
「どっかで…死んでんのかな」
僕が呟くと、クミは「なくはないね」と言った。
「あんたみたいに人前でメソメソしたり怒ったりする奴のほうが強いのよ、全部溜め込んでる人は壊れ始めたら脆いんだから」
しばらくして、その僕たちの嫌な予感は、半分だけ的中することになる。
神野は、ここから少し離れた海のある街のビジネスホテルの一室で、睡眠薬を飲んで手首を切り、自殺を図って倒れているところを発見された。
身元の手がかりになったのは、神野のカバンに入っていた社員証で、警察からそう連絡があったと沙和が教えてくれた。
「…生きてるんだよね…?」
僕は声が震えて、その一言を聞くのが精一杯だった。
「生きてる。ホテルの人が、何日も泊まってるのに部屋からほとんど出てこないから、怪しく思っていてくれて、見つけてもらえたみたい。…どうする?高畑君…逢いに行く?」
「俺はいいや」
沙和は、意外な答えに目を見開いて僕を見た。
「もうなんか…いろいろありすぎて…俺がおかしくなっちゃうよ」
「私も、高畑君のほうが心配」
沙和があまりに不安そうな顔で、泣き出しそうな顔で見上げるから、僕はついその優しさに甘えたくなってしまう。
「じゃあさ…今日また一緒にいてくれる?」
その日は、指1本触れないなんて約束はしなかった。
沙和と話しているうちに、時々、言葉に詰まってしまう僕を沙和が抱きしめて背中を撫でてくれるから、僕も沙和の服の袖を力いっぱい握り返す。
「ごめん…泣いていい?」
「いいよ。思い切り泣いていいよ…だから、大丈夫になったら一緒に神野君に会いに行こう…本当は心配なんでしょ?会いたいんでしょ?」
「うん…」
「いっぱい泣かないと駄目なんだよ…私もずっと泣いてたよ」
「泣いたら忘れられる?」
「それはわかんない…でも泣きたいんでしょ?」
「うん…」
「もうちょっと素直になったほうがいいよ」
僕は抱きしめられて、子供みたいに泣きながら頷くしかなくて、情けなかった。
詩織とも別れたくなかったし
もっと好きだと伝えれば良かったし
神野のことが心配で早く会いに行きたかったし
変なプライドばかり持って、中身は子供のままだ。
ひとりが怖くて、強がって、なのに僕よりずっと、大事なものを失った深い傷を持っているはずの沙和にすがりついて泣いて、どこまで情けないんだと腹が立つ。
「沙和…ごめん」
「なに?」
「本当は、沙和のほうがもっと泣きたいのに」
沙和はふふっと声を出して笑って「私はいっぱいもう泣いたっていったでしょ」と言う。
「でも…また私が泣きたくなったら、その時は一緒にいてくれる?」
「うん…わかったよ…」
その日、沙和は僕が眠るまで、必ず僕のどこかに手を触れて、離さないでいてくれた。
神野のことは、蓮に伝えた。
神野が自殺未遂をしたことに驚いて顔を青くしていたけど、神野がいた場所は自分と一緒に行ったことがあるところだと言った。
神野の趣味ではなかったけど、蓮がサーフィンをしていたから、無理について来てもらったことがあるらしい。ずっと、つまらなさそうな顔をして見ているだけだったけど、その蓮との思い出の場所を最期に選んだことを知って、また驚いていた。
蓮は実家に戻っていて、今すぐにでも会いに行きたいと言った。僕と沙和はそれをなだめて「俺たちが先に会って話したい」と言うと、蓮は渋々ではあったが納得してくれた。
神野はもう、体調も回復して自宅に戻っていると聞いたので、仕事が終わってから沙和と時間を合わせて会いに向かった。
「怖いな…会うの」
僕が小さく言うと、沙和も頷いた。
そもそも、僕たちに会ってくれるとも限らない。
神野の住む部屋の前で僕達は深呼吸して、気持ちを落ち着かせて、インターホンを鳴らす。部屋にいるのはわかっていたけど、一度目は無視されたようで、それでもまた鳴らした。
3回目で、やっと「はい」と神野の声が聞こえた。
「俺だよ、高畑」
「見えてるよ…なに?」
「何じゃないじゃん…とりあえず開けてよ」
「嫌だよ、帰って」
「会えたら帰る」
向こう側で大きなため息が聞こえたけど、すぐに玄関のドアが開いた。チェーンの向こうに、少し痩せて、少し髪の伸びた神野が顔を見せる。
目を合わせずにチェーンを外して、無言で僕たちを部屋に招き入れた。
目を合わさずにいてくれた良かったと思う。
僕は、神野の顔を見た瞬間にほっとして、泣きそうになっていたからだ。
「どっか適当に座っていいよ」神野はそう言ってテレビの脇の本棚に向かって座った。僕たちが来るまで、本の整理をしていたようで、床に作家別に仕分けられた本が積まれていた。
「とりあえず…迷惑かけて申し訳ない…」
後ろに座った僕たちに、背を向けたまま神野は力のない声でそう謝った。
「でも…何があったのか話せと言われると気が重い…」
「聞いたよ」
そう言うと、神野は手を止めて顔だけをこっちに向ける。
「誰に?」
「蓮だよ」
「なんで?」
「お前のことが心配で、会社が唯一の手がかりだったからって、お前が何処に行ったのかって聞きに来たんだ」
「…馬鹿じゃないの、あいつ」
また、本棚のほうに顔を戻す。
「ちゃんと伝えといてくれた?あいは死に損なって惨めに生きてますって」
「神野…なに言ってんの?」
「お前らもなんだよ…ずけずけと会いに来るなよ…こっちの惨めな気持ちも考えろよ!」
神野がそう叫んで身体ごとこっちを向いた瞬間、鈍い音がして、よろけた神野の手元にあったひとつの本の山が崩れた。
「痛えな!!何すんだよ!!」
「ふざけないでよ!!」
その鈍い音は、沙和が力の限り、振り返った神野の頬を叩いた音だった。
「なに??死に損なったとか!惨めに生きてるとか!!どんなに辛かったかわからないけど、残される者のこと何も考えてないじゃない!!」
神野は沙和を見上げて睨んでいたけど、何も言い返せないで黙っている。
「死ななくて良かったの!生きててくれて良かったの!それじゃ駄目なの??」
「沙和…落ち着いて…」
「死んだら終わりなの!!!」
沙和を睨んでいた神野の顔が、ハッとして目を見開く。きっと神野は忘れていた。沙和が大切な人を失ったばかりだということを。
沙和も、肩で息をしながら我に返り「ごめんなさい」と言った。
神野は、乱れた本の山を直して、また僕たちに背を向ける。
それでも、少しづつ話し始めた。
「わかってるよ…残される者のことなんて、少しくらいは想像出来るよ。だから、もう死んでしまいたいと思って出ていったけど…なかなか踏ん切りがつかなくて、いろんなとこをさ迷ってた」
1冊ずつ、丁寧に端から本を詰めていくその手を震わせながら、淡々と話す。
「蓮は、きっと自分のせいだって責めるだろうし、お前だってきっと…最後に会った自分が何か出来なかったのかって思ってくれるだろうって考えたよ」
「うん、思ったよ…」
「でも…それ以上に辛かったんだよ…一番嫌だったのは金を渡された時かな。あんなもんがあいつの代わりになるんだったら、とっくに捨ててる。これまでいろんなこと言われて傷ついて来たけど、あんなに惨めな気持ちは初めてだったな」
「なんで少しは俺に話してくれなかったの?あの日は一緒にいたじゃん…俺たちは友達じゃなかったの?」
「…言えるかよ、そんなみっともないこと」