【remember】 another story⑨❝完結❞
「蓮が会いたがってるけどどうする?」
最後の一冊を棚に納めて、手をパンパンと払って、神野はこっちに向き直った。
「会わないよ、もう面倒なことは嫌だよ…あいつまだ学生だし、まだ親から奪うわけにはいかないし…仕方ないよ」
「そんなこと言って、聞くとは思わないけど…」
沙和がそう言うのを神野は睨むように聞いていたから、沙和は気まずそうに「ごめんなさい、叩いちゃって…」と謝った。
「男だったら殴り返してた」
「ごめんなさい」
「いいよ、俺の方が悪かった…ごめん。でも、死に損なったって思ってるのは事実だし、今だって死ななくて良かった、生きてて良かったなんて実感はあんまり無い」
僕の知ってる明るくて前向きで、強く生きていた神野はここにはいなくて、ただ表情の無い顔で、俯き加減に弱音を吐く。
「でも、私たちは生きててくれて良かったって思ってる。蓮くんもそうだけど…」沙和は僕のほうを見て「高畑君だって」と言った。
「いいよ、もう。会えて良かったよ。沙和、帰ろ」
「帰るの?もう話さなくていいの?」
「いいよ、生きてたんだからまたいつでも話せるよ。な?」
神野は目を逸らしたまま何も言わなかったけど、僕は沙和を連れてその場を去ろうと、玄関のドアを開けて部屋を出た。
すると、廊下の壁にもたれて蹲るように膝を抱えて、蓮が座っていた。
「なにやってんの…いつからそこにいた?」
「ずっと」
「ずっと?」
蓮は頷いて「ごめんなさい…まだ駄目だって言われたのに…どうしても早く会いたくて」と聞き取れないくらいの声で言った。
その時、玄関の外の気配に気づいたのか神野がドアを開けて覗いて、蓮の姿を見て咄嗟に閉めようとしたから、僕はドアの隙間に足を差し込んだ。
「イッテェ…」あまりに思い切り閉められたから、思った以上に足に激痛が走ったけど、それに驚いた神野はまたドアを少し開けた。
蓮は、立ち上がってその隙間に手を入れてドアをこじ開けて、何も言わずに神野に抱きつく。そしてただ一言「どこ行ってたんだよ」と絞り出すように呟いて、神野のシャツの背中を握りしめて肩に顔をうずめて泣き出す。
僕たちの顔をチラッと見て
ちょっとだけ躊躇いながら
神野も蓮を強く抱き締め返して、「ごめん」と言って、愛おしそうに目を瞑って背中を撫でた。
僕は沙和の手を引いて、そっと立ち去った。
「もう神野君、大丈夫かな」
「何が?」
「どこかに行ったりしないよね…」
「大丈夫だよ…そもそも、またどっかに消えてやろうなんて思ってる奴があんなに綺麗に本並べたりするかよ。なんだかんだ言って、蓮のこと待ってたんだよ」
「…そっか…だから高畑君、何も言わなかったの?」
「うん…まぁ…なんて言ったらいいかわかんなかったのもあるけど」
「素直じゃないよね、やっぱり。もっと本当は言いたいこともあったでしょ?」
「そうだな…会いたかったって言えなかったな」
「また言えばいいよ…」
「ていうかさ、沙和」
「なに?」
「普通、殴るか?びっくりした」
「だからごめんって…」
「面白かったからいいや。あいつも少しくらいは目が覚めただろ」
「ねぇ、いつまで手繋いでんの?」
「あ!ごめん!」慌てて沙和の手を離す。
「足、大丈夫?痛そうだよ?歩き方おかしいもん」
「めっちゃ痛い…」
車を停めてあったパーキングに着いて、車の中で挟んだ右の靴を脱いでみると、濃いグレーの靴下に血が滲んでいた。
「うわ…やば…」
「大丈夫?どうしよう…病院とか行く?折れてたりしない?」
「いや大丈夫、そこまでじゃないと思うよ。どっかで絆創膏でも買うくらいで」
「私、運転するよ」
「え?出来んの?」
「免許はあるけど、出来るかどうかはわかんない…でも痛いでしょ?無理じゃん」
かなり不安だったけど、僕は渋々、沙和と運転席を交代する。実際、血が出てるのを見たら余計に痛くなって、運転出来る気がしなくなったから仕方ない。
「あいつ…思いっきり閉めやがって…」
「まぁ…これで私が叩いたのもチャラってことで」
「なんでだよ」
途中、沙和がドラッグストアに寄って消毒薬とガーゼや包帯を買ってきてくれて、僕の家へと向かった。
正直、沙和の運転が怖くて少し酔った。
「じゃ、私はここから電車で帰るね」
「ごめん、送って行けなくて」
「いいよ、そんなの」
「なんだったらまた泊まる?」
「甘えすぎ」
「なんだったら一緒に住む?」
「馬鹿じゃないの?」沙和は笑って「いつも通りの高畑君に戻って良かった」と言った。
そして「煙草やめたら考えといてあげる、じゃあね」と、駅の方へ歩いて行った。
部屋に帰って靴下を脱いだら、ドアに挟まれたところが赤紫になって、ところどころ血が滲んでいた。
「どんだけ思い切り閉めたんだよ、あいつ…馬鹿だろ…」
でも、本当に生きててくれて良かった。
馬鹿みたいにやさぐれてたけど、蓮を抱きしめていたあいつの顔は優しかったし、蓮がいればすぐに、きっと元に戻る。
足の怪我もすっかり治った頃、あれから音沙汰のなかった神野から仕事の昼休みに連絡があった。
「この前はごめん…いろいろ」
気まずそうにそう言い出した神野の声は、いなくなる前と何も変わらないように思えて安心した。
「ちょっとは元気になった?」
「…まぁね」
「それで、なんか用?」
「うんちょっと…捜してるものがあって、会社に置きっぱなしにしたと思うんだよね」
「取りにくればいいじゃん」
「行けるかよ、馬鹿。行けないから頼んでるんだろ」
ちょうど昼休みで、総務部を覗いても話せる人が誰もいなくて、沙和もどこかに出ている様子で、一旦神野の頼み事は後回しにしようかと考えていると、相変わらず喫煙所にクミがいてこっちに手を振った。
喫煙所のドアを開けて、「クミでいいや、ちょっと頼みたいことあるんだけど」と言うと
「でいいよって何?ていうか、久しぶりに会うね」
「うん、俺、煙草やめたからね」
「え?なんで?嘘でしょ?」
「別にいいじゃん。ていうか、早く来てちょっと」
「は?本当にムカつくんだけど」
クミに事情を話すと、文句を言いながらもすぐに倉庫の鍵を持って来てくれた。
「本当は本人じゃなきゃダメなんだけどね…事情が事情だからね」
「ありがとう、助かった」
廊下の突き当たりの狭い倉庫に入ると、両端にスチールのラックが置いてあって、その中のひとつのダンボール箱を開けて、クミがA4サイズの茶封筒を「はいこれ」と投げた。
「投げんなって」受け取ると、茶封筒にマジックで雑に❝神野❞と書かれていて中には手帳や名刺入れなどが入っている。
「あんたさ、紗和と付き合ってんの?」
「え?なんで?」
「沙和、煙草吸う男嫌いなのよね」
「知ってるよ」
「やっぱり、そうじゃん…急に趣味悪くなったわ、沙和」
「お前ほんとに失礼だな」
「いいけどさ…でも、沙和には忘れられない人がいるのはあんたも忘れない方がいいよ」
「わかってるよ、そんなの」
仕事の帰りに神野に頼まれた物を持って、家まで行った。先に出迎えてくれたのは蓮で、僕が見たことのない無邪気な笑顔を見せてくれた。
僕は、蓮がまた連れ戻されたりしていないかと心配していたから、その笑顔に安心した。
「さすがにうちの親もヤバいことしちゃったって思ったみたいで…まぁ、雪解けとはいかないんですけど、これからですかね」
「そっか…まぁ、そのうちね」
「ですね」
僕と蓮が話していると、後ろから神野が「なにしてんの?入れば?」と顔を見せたけど、僕はクミに捜してもらった封筒を投げて渡した。
「ありがとう…帰んの?」
「うん、帰るよ。ていうか元気そうで良かった」
「うん…まぁね。ていうか、なんか急いでんの?」
「明日、彼女が引っ越してくるから片付けとかないといけないんだ」
「え?マジで?それって…」
「いや、残念ながらあの時の女には滅茶苦茶にフラれました」
「それなら良かった」神野はニヤッと笑う。
「俺だって今度から言うからな、帰ってもひとりじゃないって」
神野は鼻で笑って「じゃ、また今度ね。忙しいのにありがとう」と外まで見送ってくれた。
「もしかして、こないだ一緒に来た子?」
「そうだけど?」
「お前、絶対尻に敷かれるね」
「だろうね」
「じゃ、伝えといてよ。やっぱり俺が間違ってたって。今は…まぁ、生きてて良かったって思うよって」
神野はチラッと部屋を振り返って言う。
あの時には見せてくれなかった、神野の笑顔を久しぶりに見た。
「そっか、良かった。ちゃんと言っとく」
「本当はさ…来てくれて嬉しかった。なのに、ごめん…ありがとう」
「わかってるよ」
帰り道、ちょっとだけ泣けてきた。
今までみたいに、悲しいとか寂しいとか怖いじゃなくて、ただ嬉しかった。
神野はやっぱり何も変わっていなくて、生きていてくれて良かったと心から思う。
明日は、沙和の引越しも手伝わないといけないし、神野のことも蓮のことも話さないといけないし、忙しい。
恐れていたひとりの夜は、今日で終わる。
クミが言う通り、沙和の心の中には絶対に忘れられない人がいるのはわかってる。
でも僕は、そいつと違って、生きて彼女の傍にいてあげられる。彼女の手をしっかり握っていてあげられる。
だから、負けるつもりなんてない。
一緒に生きていく。
それだけが唯一、僕が彼女のために出来ることだと思うから。
❝おわり❞