妄想小説家panのブログ。

素人の小説です。

【remember】 another story②

志麻の事件も時間が経つと、ほとんどその話をする者はいなくなった。

ただ、営業で他社に出向いた時などは向こうは興味津々で聞いてきたり、時にはそんな社員がいるようなところは信用ならんと文句を言われたりすることが殆どで、辟易としていた。

 

おかげで、世の中の風潮に反して煙草の量が増えていく。

 

「お疲れ」喫煙所で久しぶりにクミに会って挨拶を交わす。

「大変だったな」

「まぁね…ちょっと参ったわ…」

「だろうな、仲良かったもんな志麻と」

「悪い子だけどね、私は嫌いじゃないよ」

「あの子はどうしてんの?名前知らないけど」

 

「は?相変わらず無責任っていうか…いい加減って言うか…次に女に刺されて死ぬのあんただね、圭介」

 

「は?なんで?」

 

「沙和と私と、一緒に1回飲みに行ってるからね?覚えてないの?」

 

「覚えてない、いたっけ?」

 

「いたし、ちょーどその時に沙和が付き合ってた彼氏にフラれたって話で盛り上がって、あんた慰めてやってたからね?」

 

「マジかぁ…いつ?」

 

いくらクミにその時のことを聞いて考えてみても、思い出せない。印象は、志麻やクミに比べると少し品のあるそこそこの美人だと言うだけ。

 

「まぁ、いいや…それで?どうしてんの?」

「どうしてるもこうしてるもないでしょ…ずーっと泣いてるよ」

「可哀想に」

「本気で思ってる?」

「いや、わかんない」

「最低」

「でも嫌いじゃないでしょ?こういう軽いやつ」

「嫌いじゃないけど、あんたに引っかかるほど私は馬鹿じゃないの。あんたほんと、女とヤルことばっか考えてるよね」

「さすがに言い過ぎじゃない?」

 

その日の出勤前、毎朝必ず通っているはずなのに意識していなかったその事件現場で少し足を止めて、狭い路地を好奇心で覗いてみた。

 

もうすでに立ち入り禁止のテープは剥がされていたから、1歩踏み込んでみた。

本当に、ただの好奇心だった。

殺人事件なんて身近に転がってるもんじゃないし、その犯人が身近な人間だったなんてこと人生で1度あるかないかのものだ。

 

そんな軽い気持ちで1歩踏み出して、すぐに後悔する。

 

埃の舞うコンクリートの地面に、しっかりと黒い血の跡が染み込んで残っていて、急に吐き気がして口を抑えた。

 

ドラマや映画のような派手な演出はなくて、リアルがそこにあった。

 

その沙和という子が、そこで愛した人間が死んでいく姿を見ていたとしたなら、どんなに怖くてどんなに絶望しただろうかと思ったけど、それはもう僕の想像を超える壮絶さだっただろうとしか考えられない。

 

可哀想というのは本気で言ったことだけど、そんな言葉で片付けられるものじゃない。

 

殺されたそいつの顔を知らなくて良かったとつくづく思う。顔なんて知ってたら、もっとリアルな場面が想像出来てしまって悪い夢でも見そうだ。

下手に好奇心があって知りたがりのくせに、人一倍怖がりな自分にはほとほと困って生きている。

 

田舎町で3世代家族で暮らして来て、社会人になるまでひとりになることなんてなかった。家には必ず誰かがいて、賑やかだった。

いたずらをして祖父母に鬼が来るぞとかお化けが出るぞなんて脅されて夜にトイレに行けなくても、兄や母が起きてついて来てくれたもので、ひとり暮らしを始めたその初日は寂しくて怖くて、泣きそうになったくらいだ。

 

クミに、女とヤルことばっか考えてるよと言われるようになったのも、そもそもは出来るだけ誰かと一緒にいたいとかひとりでいたくないからなのかも知れない。

 

「別にさ、やんなくてもいいんだけどそういう訳にいかなくない?」

 

「いや、俺わかんないから」

 

仕事終わりに、やっぱり朝の光景が忘れられなくてひとりで帰れず、神野と呑みに行く。

 

「ひとりの方が楽だけどなぁ…ていうか、それなら早く結婚でもすればいいじゃん」

神野はそう言いながら、店員に向かって手をあげて「ハイボールください、濃いめで」と空いたグラスを渡す。

30歳手前の男の割に可愛い見た目と違い、神野は酒が強い。強いて言うなら少し機嫌が良くなるくらいで、どれだけ呑んでもいつも平然としている。

 

「それはまた違うんだよなあ…」

「ほんと、お前って最低。都合いい時だけ誰かといたいだけだろ?いい死に方しないね」

 

「だから、死ぬとか言うなってまた怖いから」

 

「そんな繊細なやつじゃないだろ、お前」

 

注文したハイボールの細長いグラスが前に置かれると、神経質そうな顔をしてグラスの底にほんの少しついていた汚れをおしぼりで拭きながら「俺、これ飲んだら帰るからね」と言った。

 

「早いじゃん、まだ」

「俺は帰ってもひとりじゃないんで」

神野はふふんと笑いながら言った。

 

「は?どういうこと?え?誰かと住んでんの?お前、ひとりが楽って今さっき言ったじゃん!」

「そういうこと」

 

「…男?」

 

「当たり前だろ」

「いやそれ当たり前じゃねぇって」 

「お前、遠慮なくいじるよね」

「あ、ごめん」

「いいよ、普通はいじらないもんだけど俺はそっちのほうが嫌い。理解出来ないもんは理解できなくて当たり前。どうせわかんないなら、理解したふりすんなってね」

 

神野は少し不機嫌な顔をしてグラスの中身を飲み干すと席を立った。

 

「俺も帰るよ」

 

足早に歩く神野を追って「怒ってんの?ごめん」と言うと、振り返って「なにが?俺、怒ってた?」と不思議そうな顔をした。

 

そして「だったらごめん、お前にはなんも怒ってないよ」とニッコリと微笑む。

 

「それならいいけど…ていうか、神野ちょっと今日おかしくない?」

 

「なに?なんで?」

 

「朝も遅刻しただろ、今までそんなこと無かったじゃん」

 

「そうだっけ?…普通に寝坊だよ」

 

「珍しいな」

 

「そんなこともあるよ。じゃあね、また明日」

 

 

 

また明日。

 

 

 

確かにあいつはそう言ったのに、一体どうしてしまったんだろう。

 

次の日から、神野の姿を見なくなってしまった。

 

 

 

職場の人間の中で神野と最後に会ったのは、僕だった。

神野の上司に呼び出されたり、同僚たちから何があったのかと質問責めに合うけど、全く見当がつかないのは僕も同じだ。

 

強いて言うなら、帰り際に少し不機嫌だと感じただけだ。なにかしら、いつもと違う…ただそれだけだった。

 

神野が暮らしている部屋には、誰が行っても応答がなく、そこで暮らしている気配はなさそうだったと言っていた。

 

だったら、一緒に暮らしていたはずの男はどうしたんだろう。

 

一緒にどこかへ消えたのか、それともそもそもそんな奴は存在しなかったのか。

 

 

仲が良かったつもりだったけど、結局なにも知らなかったと気づく。  

 

さすがに、ショックが大きい。

 

「お疲れ…うわ、めっちゃ機嫌悪そう」

 

時間より少し早く会議室に入ると、総務部のクミが机と椅子を整えているところだった。

 

「そう見える?」自分でも不機嫌そうな声だなと思いながらもそう答えて、クミの仕事に手を貸す。

 

「ありがとう」

「不機嫌に決まってるじゃん、あっちからこっちから質問責め。同じことばっか」

「神野くんのこと?」

「そう。そんなのわかるわけないじゃん、あいつのプライベートまで」

「そうだね。まぁ、彼はちょっと特殊だったから人一倍悩みもあっただろうけど…そんなの見せるタイプじゃなかったもんね」

「何があったなんて俺が聞きたいよ」

 

「心配なんだね」

 

クミが予想外に優しい声でそう言うから、思わず堪えていた想いが溢れそうになって、慌てて顔を逸らして目頭をおさえた。

 

「手伝ってくれてありがとう、じゃあね」

 

クミは見ないふりをして、部屋を出ていった。

 

時計を見ると、会議の開始までまだ15分ほどあったから、少しだけ部屋の隅で壁に向かって泣いた。

 

あいつと同じタイミングで途中入社して来て、一緒に研修を受けて、帰りに呑みに行くことも多くて、意見が合わなくて喧嘩することもあったし、どちらが折れるかはだいたい半々というところだった。

 

この職場で、一番初めに出来た友達だった。

 

心配しないはずがない。

 

どっかで死んでんじゃないかって、何回想像したかわからない。

 

でも、志麻の時と同じように時が過ぎれば誰も神野のことも口に出さなくなる。

 

神野の席の荷物はどこかに片付けられて、もう他のやつがそこに座っている。まるで、最初からいなかったみたいに。

 

 

神野の行先は何もわからないまま、季節の変わり目を感じ始めた頃、仕事の帰りに志麻が事件を起こした場所を足早に通り過ぎようとすると、ふとその路地の中に人影があるのに気づいた。

 

一瞬、ビクッとしたけど足を止めて見ると女の人がひとり、しゃがみこんで上を見上げている。僕も思わず見上げるけど、なんの変哲もない夜空がそこにあるだけだ。

 

よく見ると、知っている顔だと気づく。

 

彼女が空を見上げていた顔を下ろしたので、僕は慌ててその場を去った。

 

あの子が沙和だ。