【remember】 another story④
最初から、あなたはただの浮気だと言われていた。男の気配を隠そうとする気なんて1%も無くて、それどころかわざと嫉妬させて喜んでいる。
そのくせ、そうやって僕の腕を噛んで、自分の痕を残そうとする。
身体だけの関係なら、もっと素直でわかりやすくて従順なほうがいい。
詩織は、面倒な女だ。
でも、そう思いながら離れられないのは、ひとりになるのが嫌なんじゃなくて、僕が詩織を好きだからだ
別れようと言い出せば、きっと詩織はすんなりと受け入れて帰っていくのはわかってる。そして、僕がそれを言い出せないのもわかってる。
そろそろ鬱陶しいから潮時だとか
逆恨みが怖くて別れを切り出せないとか
そんなのは全部言い訳で、自分に言い聞かせて思い込んでるだけだ。
詩織は全部見抜いてる。
だから
そんなくだらない挑発も、ただ僕は受け入れるしかない。
「これ、やるわ」
喫煙所のテーブルに肘をついているクミの前に、詩織が持ってきた地ビールの入った袋を置いた。力加減を間違えて、意外に大きな音が響いた。
「なに怒ってんの?…ていうかこれどうしたの?」
「貰ったけどいらないからやる、どうせ飲むだろ?」
「ありがたいけどさ、昼間っからこんなの女の子に持ち歩かせないでくれない?なにこれ、どこ行ったの?」
「だから俺じゃないって、貰ったの」
「ふーん…ありがとう」
その時、喫煙所のアクリル板の窓を叩く音がしてドアが開いた。
「あ、沙和。見てこれ貰ったから一緒に飲もうよ」とクミがビールの入った袋を高くあげる。
ドアから首だけを中に入れて、煙草の匂いに少し顔をしかめながら沙和は「高畑君、ちょっといいかな…」と僕を手招きした。
「俺?」
クミが言うには話したことがあるらしいけど、俺の中では話したことがなかったから、少し緊張する。紗和の肩を軽く外に押し出して、喫煙所から出て話を聞くことにした。
「今、神野君の知り合いだって人が来てて…神野君の居場所を教えて欲しいって言ってるの」
「神野の?」
「うん、上司が対応して、今は休んでいるし、個人情報は教えられないって言って帰そうと思ってるんだけど、高畑君は神野君と仲が良かったし知ってる人かなと思って」
仲が良かったとはいえ、プライベートな付き合いのある人物までは知らない。そう言うと沙和が「なんだか、ちょっと思い詰めた感じがして気になる」と言った。
「まだいる?その人」
「結構しつこく食い下がってはいたけど…来てくれる?ちょっと」
紗和に連れられていくと、ちょうど誰かが廊下に出てきて去って行くところだった。
「あの人」
沙和がそう言ったから、僕は走ってその人が外に出たタイミングで追いついて声をかけた。
振り返ったのは、まだ20代前半くらいだろうか。涼し気な顔をした若い男で、沙和の上司の対応に不満があったのだろう不機嫌な顔で「なんですか?」と言った。
追いかけて声をかけたものの、なんだと聞かれたら答えに困った。
「えーっと…」
その若い男は、僕と沙和を不審そうに眉間に皺を寄せて交互に見た。
「俺、神野の友達なんだけど…」
眉間に皺を寄せていた顔は、僕のその言葉でハッとして表情が弛んだ。
「あ、でもごめん。俺も何も知らないんだけど…君は誰?」
何も知らないと聞いて少し残念そうな顔はしたけど、もう僕たちを睨むのはやめて、僕の質問に少し戸惑って目をそらす。
「えっと…友達です…いや、でも…違う…」
「もしかして、神野と一緒に住んでた人?」
彼は、驚いた顔をして、それでもまだ恐る恐るといった感じで僕を見た。
「大丈夫、神野のそういうことは俺も知ってるし…え?知ってるよね?」横にいる紗和に同意を求めると、彼女は笑顔で頷いた。
そう聞くと、その男は急に両手で顔を覆って
「…じゃあ…亮太さんは…あの人はどこに行ったんですか…」
と言って肩を震わせた。
とりあえず、その場は沙和とふたりで彼をなだめて、僕達も突然神野がいなくなって戸惑っているということ、何も知らないから力にはなれないけど話を聞かせて欲しいと言って、仕事が終わる時間にまた会う約束をした。
「沙和…さんも一緒に来てくれる?俺ひとりじゃちょっと怖いかな」
「怖いって?」
「なんか…聞きたいって言ったのは俺だけど、でも俺に抱えきれる話かなって不安になって来た」
「いいよ。ていうかさ」
「なに?」
「私の名前、覚えていなかったんだって?」
クミか。
「それは…ごめん」
「いいよ、別に」
「もう覚えたよ」
「ほんっとにチャラい」