妄想小説家panのブログ。

素人の小説です。

remember⑧

部屋に帰ると、安心したのかやっぱり少し疲れていたことに気づいて座り込んでしまった。

 

「ごめん、本当に…連れ回しちゃって」

 

「いいよ…許すからペットボトル転がってるの見なかったことにしてくれる?」

 

「そんなんでいいの?」

 

朝、私のために買ってきてくれた頭痛薬は、そのままテーブルに置き去りになっていた。

 

「郁人くんも疲れたでしょ?ごめんね、そもそも私がちゃんと起きて待ち合わせに行けたら良かったのに」

 

ソファに座り込んで、手すりに頭を置いてうなだれてる私を見て郁人は吹き出すように笑いながら「ねぇ、もうどっちも謝るのやめよっか」とと言って隣に座った。

 

「ていうか、喋り疲れた」そう言ったと思うと急に何も言わなくなって、私が頭をあげてそっちを見た時には、郁人は反対側の手すりに頭を乗せて目を瞑って寝息をたてていた。

 

部屋の中は静かで、郁人の小さな寝息だけが聞こえていて、私はソファからおりてその寝顔をすぐ傍で眺めた。

頬に手のひらをあてると、少しピクっと眉間が動いて思わず手を引っ込めたけど、またすぐに元の寝顔に戻る。

 

郁人を手に入れたい。 

私のものにしたい。

 

ずっとそう思っていた。

 

でも、あんな風に泣いて想う人がいて、私にはとてもじゃないけど叶わない。

 

だから、今こうやって私の目の前の無防備な寝顔を目に焼き付けておこう。この寝息も覚えておこう。

 

いつ、私の目の前からなくなってもいいように。

 

 

1時間ほどだっただろうか、私は飽きもせずに寝顔を眺めていたけど、急に喉が乾いて水のペットボトルを取りに冷蔵庫を開けた。

すると、その物音に気づいて郁人が目を覚ました気配がした。

 

「起きた?」

 

「…めっちゃ寝た…」

 

「寝てたね」

 

「うん…」

 

私はまた、郁人の隣に座ったけど、郁人はまだ寝転んだまま目をこすっていた。

 

「今、何時?」

 

「9時だよ、いい子は寝る時間」

 

郁人はふふっと笑って、身体を起こして「顔洗っていい?」と聞いて洗面所に向かった。

 

そして帰ってくると「帰るね」と言って、テーブルの上の車の鍵と携帯を上着のポケットにしまう。

 

「うん…」

 

帰らないで欲しい。

 

本当なら、そう言っていたと思う。

 

でも、今日だけはその頼みは聞いて貰えないとわかっている。

 

私は、郁人が好きだし

 

郁人も私を好きだといってくれるけど

 

私たちは恋人同士じゃない。

 

それだけは、忘れちゃいけない。

 

私の心の声が聞こえたみたいに、郁人はちょっと困ったような顔をしながら、私の手を取って自分に引き寄せ「ねぇ、さっき寝顔見てたでしょ」と意地悪に笑いながら言った。

 

言い訳しようと焦る私を抱き寄せて、背中をポンポンと軽く叩いて、そっと優しく離した。

 

「もし、また具合悪くなったら言って。いつでも来るから」

 

「うん、ありがとう」

 

扉がパタンと静かに閉まった時、長い一日が終わったと大きなため息が出た。

 

予想以上に重い話だった。

 

なのに、私は試すようなことを言って、胸の傷を無理やりえぐり出して、何をしようと言うんだろう。

 

でも、郁人の腕の中が暖かくて、ただただ郁人は優しい。

 

 

 

 

休み明け、仕事を終えてから郁人に会いに行った。

 

「いらっしゃい。今日、遅かったね」

「読みたい本があったから本屋さんで探してた」

 

少し前まではなんとなく気まずくて、もう行けなくなるんじゃないかと思っていたけど、郁人が自分のことを話してくれたおかげで、お互いに気持ちがスっとして、前のようにごく自然な接し方が出来るようになった気がした。

 

郁人が話してくれたことを思い出すと、どうしても気が重くはなるけど、いつものように話せることが一番嬉しかった。

 

私が新しい本を買ったと言ったから、郁人もあまり話かけて来なかったけど、心地よいいつもの日常が戻って来たと安心した。

 

でも、その日常はまたすぐに破られる。

 

そろそろ帰ろうかと本を閉じた時、入口のドアが開いて、その音に顔をあげた。

 

「あれ?沙和じゃん」

 

「志麻…」

 

テーブル席を片付けていた郁人は、志麻に気づいたけど驚いた顔もせず、カウンターを振り返って、中で新聞を拡げているマスターと目を合わせた。

マスターは無言で新聞を閉じて、裏へと消えた。

 

もう、殆ど客のいない店内を見渡して、志麻は私の隣に座る。

 

「いらっしゃいませ」郁人はあくまで冷静に、それでも志麻の目をしっかり見据えながら水とおしぼりを置く。

 

志麻は酔っているのか、少し赤い顔をしてにやけながら「なに飲んでんの?」と私に聞く。

 

「カフェオレだけど」

「じゃ、私も。冷たい方がいいな」

 

調理台の下の冷蔵庫から、冷えた濃い色のコーヒーのボトルを出して、氷の入ったグラスにミルクと半分ずつ注ぐ。

 

マドラーでかき混ぜる音が、カランと響く。

 

それを見ていた志麻が

 

「相変わらずエロい手してるよね…」と言うのを聞いて、怖い顔で郁人が睨む。

 

「ね、沙和は?沙和はもう郁人と寝たの?どうだった?良かったでしょ?」

 

「やめろよ」

 

「なんで?ただの情報共有じゃない」

 

「やめろって!」郁人の声が大きく響いて、僅かに店内にいた他の客が顔をあげたけど、郁人はかまわず「嫌がらせなら出ていけよ」と続けた。

 

郁人が大きい声を出すのを初めて聞いて、怖くなる。

 

「え、めっちゃ強気じゃん…この前はビビって蒼白になってたのにね」

 

「志麻、もうやめなよ」

 

私がそう言って志麻を止めようとした時、店内にいた2人組の客が席を立ったので、郁人は笑顔を向けてレジへと去っていった。

 

「やめない。何?なんでみんな私を悪者にするの?悪いのはこいつじゃん!」

 

「落ち着いて、大きな声出さないで…」

 

もうやめて欲しい。

 

郁人の怒る声なんて聞きたくない。

 

「私だって好きだったんだから…なのに、好きな女が出来たからって、騙して悪かったって、許してくれって謝られたって許せる???他の好きな女のためにあのプライドの高かった男が土下座して謝るのよ???余計に腹が立つ!!」

 

最後の客を見送って、郁人は外に出て看板を回収して外灯を消して店内に戻ってきた。

 

「だから、俺が悪いのはわかってるから俺のことは好きにしたらいいよ。だから、関係ない人には絡むのやめてくれよって頼んでるじゃん…」

 

「私だって頼んだじゃん…嫌だって。いいじゃん、死んじゃったんでしょ?じゃ、私に戻ってきてよ!」

 

 「やめろって!!」

 

「次は沙和なの!?」

 

「関係ないだろ!」

 

「好きにしていいって言ったよね!だったら沙和が大事だったら私の言うこと聞けば!?」

 

「何言ってんの?俺、志麻のこと好きじゃないのにそれでいいの?」

 

 

 

私は怖くて耳を塞いでいたけど、その言葉につい「郁人、待って」と郁人の腕を掴んで止めた。

 

「そんな風に言わないでよ…好きじゃないとか…ちょっとひどいよ」

 

郁人は両手を腰にあてて、大きくため息をつきながら「ごめん」と小さく言った。

 

「なにそれ、なんの余裕?沙和」

 

「もうやめようよ、志麻」

 

「やめない!絶対許さないから!」

 

そう叫んで志麻は、大きな音をたててレジ台に千円札を数枚叩きつけて「沙和の分もね!」と、店を出ていった。

 

「ちょっと私…追いかけてくるね…」

 

「…うん…帰って来る?」

 

「そのつもり」

 

「じゃ、待ってる」