妄想小説家panのブログ。

素人の小説です。

another story⑦

家に帰れるようになった頃には、もう日が落ちようとしていて、私は郁人の1日を無駄にしてしまったことが申し訳なくなって、重い気分のまま郁人の運転する車の助手席に乗り込んだ。

 

すると、ふわっと微かに芳香剤ではなく自然な花の香りがして後部座席を振り返ったけど、座席には何もなくて気のせいかと、また姿勢を直す。

 

「どうしたの?気分悪い?」

 

「ううん…なんかいい匂いがしたから」

 

「あぁ…ちょっとね」

 

「ていうか、ごめんね…大事な休みの日なのに無駄にさせちゃって」

 

「無駄じゃないでしょ?俺がいかなかったらどうしてたの?」

 

「でもなんか他に予定なかったの?」

 

「うん…まぁ…沙和さんと会ったあとに行こうと思ってたとこはあったけど…」

 

「やっぱり?ごめん…もう間に合わない?」

 

郁人は車の時計を確認して、しばらく考え込んだ後

 

「家に帰る前にちょっと寄っていい?すぐ用は終わるし」

 

「私も行っていいとこ?」

 

「まぁ…そうだなぁ…あんまり連れて行くとこじゃないけどいい?」

 

「え、怖いんだけど…なにそれ」

 

「どうしても暗くなる前に行きたいんだよね、怖いし」

 

「え、だから怖いって…」

 

車は少し郊外の方へ進んで行く。

 

「マスターの娘さんが亡くなってるんだけど…今日が命日だから花でも供えて来て欲しいって頼まれてんの」

 

「マスターは行かないの?」

 

「あの人ね、俺のこと嫌いだからね」

 

「どういうこと?」

 

「ま、おいおい話すよ」

 

車は街を通り過ぎ、工場地帯を抜けて、カーブが繰り返す山道を登って行く。

時々、視界が拓けてガードレールの下に街並みが拡がるのが見えた。

 

「大丈夫?気持ち悪くない?」

 

「うん…景色が気持ちいい」

 

しばらく走り続けて、先の全く見えない急なカーブに差し掛かる手前、そこで車はスピードを落とす。

ちょうどそこには、車が2台ほど停められるスペースがあり、その先に木のベンチとしっかりした手すりがあって、その景色が眺められるようになっていて、今もバイクを停めて下を眺めている集団がいた。

 

駐車場に車を停めて、郁人はトランクから花束をふたつ取り出して、人けの無い端の方に歩いていく。

さっきの香りは、この花束だったみたいだ。

 

車を停めてから郁人はずっと無言で、私もついて行っていいのかどうかわからずに車から見ていると、郁人がこっちを振り返った。

 

恐る恐る車から降りると、また郁人は歩き出したから私は小走りで追いかける。

 

そして、郁人は道の端っこでしゃがみこんでそっと花を添えて手を合わせる。

長い時間、目を瞑ってピクリとも動かずに手を合わせているその横顔を私はずっと見ていた。

 

頼まれたから来たと言ったけど、きっとその人は郁人にとっても特別な人だったとわかる。

 

背後で、バイクが走り去っていくエンジン音が聞こえて、あたりは静まり返る。

 

カサカサという風が葉をこする音だけが聞こえた。

 

静かに目を開けて、供えた花束をしばらく眺めて顔を両手で覆って、ひとつ深呼吸をして、私の方を向いた。

 

「えっと…聞きたいこと山ほどあるでしょ」

 

「すっごいある」

 

「本当はね、ここは沙和さんを連れてくるべきところじゃないんだけど…でもここに来たほうが話し始めやすいと思ったから、やっぱり連れて来た」

 

そう言いながら、ゆっくり立ち上がって私に手を差し伸べた。私もその手を握って、ゆっくりその隣に立った。

 

「マスターの娘さん…ていうのは、実は俺の元カノね。…名前はマオって言うんだけど」

 

「…そうなんだ」

 

「そこで死んだ、事故で」

 

自分がふたつ花を供えた場所を指さして、その時のことを思い出すように言った。

 

「俺だけ生き残っちゃった…」

 

「あとひとりは誰?」

 

私が聞くと、しばらく押し黙って「あとひとりは…」そう口に出した途端に目じりからひとすじ涙が零れて

 

「名前なんか無いよ…産まれて来る前にマオとここで死んじゃったから…」

 

そう早口で吐き出すように言い切ると、郁人は膝から崩れてアスファルトにうずくまるようにして、堪えきれずに声をあげて泣いた。

 

 

《色恋で客孕まして死なせたようなやつに情なんか必要ないでしょ》

 

 

志麻が言っていたのがこのことだとしたら、随分と話が違う。

 

私には、声が枯れそうなくらい泣いている郁人の背中を撫でてあげることしか出来なくて、それが悔しくて仕方がない。

 

何年経っても、こんな風に泣かなければいけないくらい、郁人は彼女のことを愛していたし、自分だけが生きていることに激しい後悔をしている。

 

今の私に、助けられる方法が見当たらない。

 

私も、郁人に気づかれないように顔を拭った。私には顔もわからない人だけど、郁人の心の痛みが伝染したかのように涙が止まらない。

 

そして、ほんの少しの嫉妬心もあった。

 

「…ごめん…」

 

郁人が、まだ顔を地面に伏せたまま掠れた声で言った。

 

「ごめんね…帰ろう…」

 

ようやく顔をあげると、上着の袖で顔を思い切り拭って、郁人は勢いよく立ち上がり、車の停めてある方へ歩き出した。

 

「大丈夫?」

「うん、大丈夫…」

「ほんと?」

「うん…だって、今日はたくさん沙和さんに話さないといけないことがあるから」

 

「もういいよ」

 

「なんで?」

 

「だって話すの辛いじゃない…もういいよ」

 

そう言うと、先を歩いていた郁人は振り返り少し戻って、また私の手を握って「辛くなったらまた撫でてくれるでしょ?」と、赤い目をして言った。

 

「でも…ごめんね…本当は早く帰らせないといけなかったのに」

 

「ううん、私はもう大丈夫…でも、悪かったと思ってるんだったら、そこで何か買って」

 

暗くなりかけた中で、駐車場の隅にポツンと光っている自動販売機を指さして言うと「わかった、何がいい?」と笑ってくれた。

 

郁人の笑顔が見られて、ホッとした。

 

「何でもいい。私の好きそうなの」

 

「難し…」

 

私は先に助手席に乗り込んで、郁人が走って戻ってくるのを待った。

 

「お待たせ」と言って差し出したのは、少しレトロなデザインの缶のレモンスカッシュで「好きだもんね、それ」と言った。

 

「うん…ありがとう」本当は、私はレモンスカッシュが好きなんじゃなくて、郁人の手がレモンスカッシュを作る工程を見ているのが好きなだけだけど。

 

車を走らせて、来た道を戻りながら郁人は少しづつ私の知りたいことを話してくれた。

 

自分がユウキという名前でホストをやっていたのは本当で、最初は実家を出て一人暮らしをするための費用を稼ぎたくて、友達と軽いノリで始めたそうだけど、もともと人懐っこい性格の郁人は先輩たちにも可愛がられて、客からもそれなりに人気が出て来るのに時間はそんなにかからなかった。

 

「正直、若かったしめっちゃ調子に乗ってたよ…本気で好きだって言ってくる客もいたし…志麻が言ったように、色恋もした。その気にさせて、自分だけのものだと思わせて、店に通わせてお金使わせて」

 

志麻もそのうちのひとりだったらしい。

 

志麻はどっぷりと郁人に惚れ込んで、店に通った。でも、志麻の思い入れが強すぎることに店も郁人も気づいて、少しづつ遠ざけるようになると、今度はストーカーのような行動をするようになった。

 

「そりゃそうだよね、俺が悪いんだもんね…本当に馬鹿だったし最低なやつだったって思う」

 

その頃に、郁人はマオと出会った。

 

「俺がマオと出会ったのは、あの店でさ…本当にたまたま朝帰りした時にふらっと寄っただけ。その頃には、ちょっともう疲れてて、腐ってる俺には直視出来ないくらい笑顔が綺麗で…」

 

マオと付き合うようになってからは、マオは仕事を辞めろとは言わなかったけど、郁人は色恋にはもう手を出さないと決めたし、頃合を見て仕事を辞めようと考えた。

 

でも、それを許さなかったのが志麻だ。

 

志麻のストーカー行為は、マオにまで及ぶようになる。

 

最初は強く振舞っていたマオも、志麻の執拗な嫌がらせに心を病んでいき、郁人と言い争うことも多くなった。

 

3年前の今日も、気分転換にと郁人が誘ってあの場所までふたりで車で出かけた。

昨日まで喧嘩をしていて、その日も途中まで仏頂面をしていたマオも、目の前に拓けた景色にようやく明るい笑顔を見せる。

 

「その時、マオが俺の方を向いて…何か言いたそうにしてた。言おうか言わないでおこうか…そんな顔をして目を見たんだ」

 

その時。

 

その手前の急な下りのカーブを曲がりきれなかった車がふたりに飛び込んで来た…と、郁人は後で知らされたけど実際のところその場面は記憶にはないらしい。

 

「もの凄いブレーキ音がして振り返ったのだけ、そこまでは覚えてる」

 

目を覚ました時に告げられたのは

 

恋人の死と

 

彼女のお腹には子供がいたということ。

 

「マオは、それを言おうとしてたんだと思う…なのに、喜んでもあげられなかった…」

 

私はただその話を、声が震えそうになる度に肩を撫でながら聞くことしか出来ないでいる。

 

「正直、俺も死にたかったって思った。今からでも間に合うかなって…今からでもマオや子供に会えるかなってずーっと考えてた」

 

そんな自暴自棄になっていた郁人を救ったのは、他の誰でもないマオの父親であり、郁人の働いている店のマスターだった。

 

「死んで楽になろうなんて甘いんだって、お前は大事な娘と産まれるはずだった孫を守れずに死なせてしまったんだから生きて償えってさ。ずっと俺の目の届くところでマオのことを忘れずに償って生きていけってさ」

 

あの年配で物静かなマスターからはにわかに信じ難い話だ。

 

「最初は…ふざけんなって思ったけど、本当のところは俺が元の生活に戻らないように、生きる気力を失ってしまわないように、助けてくれたんだよ。マオもいつも俺の事を心配していたから、マオのためにそうしてくれたんだと思う」

 

「そうだね…」

 

「まぁ、お互い嫌いだけどね」郁人はそう言って笑った。

 

「嘘でしょ?」

 

「だってあの人、喋んないから何考えてるかわかんないもん…でも、夢だったんだって。マオとマオが選んだ相手に店を手伝ってもらって、自分はのんびり珈琲だけ入れて過ごしたかったんだってさ。叶えてあげたかったな…だから、俺はあの人達に尽くすよ」

 

そこまで話し終えたところで、私の住むマンションが見えて、郁人は近くのパーキングに車を停めた。

 

「玄関まで送って帰る」

 

「帰るの?」

 

「だって部屋見ないでっていうじゃん」

 

「もう見たでしょ?」

 

「見たよ、空のペットボトル転がってた」

 

「やめてよ、もう」

 

「一緒にいて欲しいの?俺なんかに?」

 

「いて欲しいの」