妄想小説家panのブログ。

素人の小説です。

remember①

「俺たち、そんなんじゃないじゃん?」

 

そう言われたのは、私の28歳の誕生日だった。

 

1年間、恋人だと思っていた男は私がそうだと思い込んでいただけで、向こうはただの遊び相手だったらしい。

 

誕生日なのに、おめでとうも何もないから少し拗ねたら、誕生日とか記念日とか祝う仲じゃないだろう、恋人同士じゃあるまいし…そういうことだ。

 

結局、誕生日の夜だというのに、仕事帰りによく立ち寄る喫茶店のいつものカウンター席でごはんを食べる派目になった。

 

カフェというより、喫茶店という響きのよく似合う古い趣の店内が落ち着く。

レトロ風ではなくて、本当に古い。

 

栗皮色の椅子と、同じ色の重そうなテーブルに、オレンジの照明。昭和にタイムスリップしたような感覚。

 

「今回は長持ちしたほうじゃん」

 

お水のグラスと温かいおしぼりを私の前に起きながら、この店のアルバイトの郁人がカウンターの向こうで笑いながら言う。

 

「前は3ヶ月くらいだったっけ」

「前は半年は持ちました」

「そうだっけ…どれがどの彼氏の話か忘れちゃった」

 

郁人はいつも私の仕事終わりの時間に入っていることが多くて、人懐っこく、手が空いている時はおひとり様の私の話し相手になってくれる。

 

聞き上手の郁人にかかると、ついついプライベートなことを話しすぎてしまって、ここ数年の恋愛事情と仕事の人間関係の悩みなどは、ほぼ把握されてしまっている。

 

アルコールは置いていないので、騒がしい客もおらず、もうこの時間になるとひとりで仕事を持ち込んでいる客や、本を読んでいる客など、落ち着いた時間を過ごす人が多く、とても居心地がいい。

 

郁人がいない時は、それはそれでひとりの時間を楽しめるし、話し相手がいる時もそれはそれで良い。

 

この時間に働いているのは、寡黙な年配のマスターと郁人だけ。主にこだわりの珈琲を淹れるのがマスターの主な仕事で、軽食の調理と接客は郁人が担っているようだ。

 

昼間は、マスターの奥さんが郁人の仕事を任されているらしいが、私はその時間には来ることがないのでよく知らない。

 

小さなお店だから、ふたりいれば事足りるのだろう。

 

「なに食べます?」

「クリームソーダ

「と、オムライス?」

「そう」

 

私が失恋した時は、かならずクリームソーダとオムライス。それも郁人は把握している。

別にそう決めている訳では無いけど、何故かそういう気分になってしまう。

 

このお店のクリームソーダは、赤い。

 

イチゴシロップが入っていて、懐かしい色と味がする。

 

オムライスもとろとろの卵ではなく、薄い卵でしっかり巻いた昔ながらのケチャップ味だ。

 

郁人は今日にフライパンを振って、美しい楕円形に器用に包んでいく。

 

「いつ見ても綺麗」

「ありがとうございまーす。めっちゃ練習したからね」

 

失恋した時にしか食べないのはもったいないけど、これを食べたらなんとなく元気になる気がするから、自分を励ますためにと決めている。

 

郁人が言うには、中のチキンライスはマスターの奥さんの仕込みなので美味しいんだと、自分は包むだけだからと言うけど、見た目の美しさは重要だと思う。

 

「まぁ、沙和さんは美人だしまたすぐ彼氏出来るって」

「もう彼氏とか言ってる場合じゃないのよ、結婚考えないとね…」

「結婚願望あるんだ」

「そりゃあるよ。仕事で生きる!てほどのスキルもないし…やっぱりひとりで死ぬのは嫌」

「そういう理由???」

「そりゃそうよ、寂しいじゃない。郁人くんは?」

「何が?」

「彼女とかいるの?」

「今はいないよー俺、わかりやすいよ」

「なにが?」

「彼女出来たらすぐバイト休むから」

「最低じゃん!」

 

実の所、私は郁人のことをよく知らない。

 

ここでたくさん話をするけど、いつも私の話を聞いてもらうばかりで、郁人のプライベートの話はほとんど聞いたことがない。

 

歳は私より5つくらいは若いと聞いたことがある。学生ではないようだけど、昼間は何をしてるのかも知らないし、どこに住んでいるのかも知らない。

 

「ご馳走様でした」

郁人と話したり、なんとなくさっき別れた男のことを思い出して腹を立ててみたり、食後にマスターの丹精込めた珈琲を味わってみたりして、気がつくと郁人が店先にクローズの看板を出して帰ってくるところだった。

 

カウンターの中はすっかり片付いていて、私ひとりが帰れば閉店という状況になっていた。

 

「ごめん、長居しちゃった」

「全然、大丈夫。マスターが片付け早すぎるんだよ」

「ありがとう」

そう言って店を出て、駅へと歩く。

 

駅前には、女の子と飲めるようなお店がいくつかあって、露出の高い衣装の女の子達が客を誘っている。

その並びに、小さな花屋があって、珍しく深夜まで開いている。女の子のいるお店に客が花を持っていくためなんだろう。

 

店先がいい香りに溢れていて、思わず足を止めた。

 

「沙和さん!」

 

ふいに思いがけず名前を呼ばれて、肩がビクッとした。

 

「え?郁人くん?」

 

「ちょ…待って…」視線の少し先で、郁人が走って追って来たらしく、膝に手をついて息を整えていた。

 

「忘れ物…」郁人が差し出しのは、私の電車のICカードだった。慌ててレジをしたので、うっかりカバンから落ちたらしい。

 

「良かった…間に合って」

「ありがとう、走ってきてくれたの?ごめん!」

「誕生日なのにフラれるわ、ICカード無くすわじゃ最悪じゃん」

 

郁人はニッコリ笑って、姿勢を正しながら「ねぇ、花見てたの?」と聞いた。

 

「うん、いい匂いって思って見てたの」

 

「じゃ、買ってあげる」

 

「え?なんで?」

 

「誕生日でしょ?どれがいい?」

 

ごく自然に、なんの躊躇いもなく、郁人は私の手を引っ張って店の中に入った。

 

 

私の悪い癖が出た。

 

こんなちょっとしたことで

 

ちょっとした仕草や、笑顔や、言葉ですぐ人を信用したり、好きになってしまう。

 

 

そして、勝手にひとり燃え上がって勘違いして裏切られて傷つくことの繰り返し。

 

 

「めっちゃ手熱くない?大丈夫?」

 

「え?ううん、うん、大丈夫…」

 

 

きっと、顔もすごく紅くなっているはずで、そのせいで心の中の戸惑いを見透かされてしまった気がして、恥ずかしくて、顔を見られないように不自然に花を選んでいるふりをして店内を見回した。

 

「これがいい…」

 

目に止まったのは、黄色のガーベラの鉢植え。

 

「黄色好き?オムライスも好きだもんね」

 

「それは黄色だからとかじゃないじゃん」

 

「でも、元気出そうだもんね。それにしよ」

 

鉢植えにリボンをつけてもらって、改めて郁人が「誕生日おめでとう」と言って渡してくれた。

 

「ありがとう…いい誕生日になった」

 

「ほんと?だったら良かった。じゃあね」

 

「電車乗らないの?」

 

「片付けの途中で出てきたから店に帰らないと」

 

「そうだ…ごめんね!大丈夫?」

 

「大丈夫。またね」

 

そう言って手を振ると、郁人は背を向けてまた店の方向へ走って消えていった。

 

私はこの時、5つも歳下の可愛い弟のようだと思っていた彼に、恋をした。