妄想小説家panのブログ。

素人の小説です。

enti(エンティ) ②

それから、近いうちにまた彼女は店に来た。

 

今度は夜遅く、団体で騒ぐような客はほとんどいなくなった頃、たったひとりで来た。

 

「ひとりって変かな」そう言ってはにかみながら。

 

「全然、大丈夫ですよ」

 

彼女は携帯をさわりながら、カウンターの端っこでなんだか疲れたような顔をしていて、前に会った時の柔らかな印象とは違っていた。

 

でも、こんなところでひとりだったら危ないなと思った、まさにその時だった。酔って奥の座敷から帰ろうと出てきた団体客のひとりが、出入り口近くにいた彼女に絡み始めた。

 

「お姉さんひとりなの?」

彼女は軽く会釈だけしてまた携帯に目を落としたけど、酔っ払いはしつこくて、顔を近づけてしゃべり続ける。

「今から一緒に…」そう言って彼女の手を掴もうとしたので、助けないとと思って彼女の元に行こうとすると、その前に彼女がその手を毅然と振り払った。

酔っ払いは少しカッとした顔をしたけど、上司らしき人が後から出てきて「何やってんだ」と首根っこを掴んで連れていった。

 

「気つよっ」リヒトが僕の隣で小声で言った。

 

そんなことになって、なんとなく居づらくなった彼女はグラスの中を急いで飲み干すと「ご馳走様、また来ます」と店を出て行った。

 

僕はなんだかモヤモヤしてしまって、つい店を飛び出して彼女を追いかけた。

 

彼女はまだ、店の前で空を見上げて立ち止まっていた。

 

「あの…すみません…なんか…落ち着かなくて」

「なんで?あなたが謝ることじゃないでしょ?」

「そうなんですけど…」

「助けてくれようとしてたでしょ?でも駄目よ、あっちもお客さんなんだから。ありがとう、気にしてくれて」

「いや、ていうか…なんか…心配になって…」

「え?なにが?」

 

彼女と会ったのは、今でまだ3回目だから彼女のことはまだ何も知らないけど、どうしても今日の疲れたような、寂しがってるような顔がどうしても気になった。

 

「すごく疲れてそうだったから…大丈夫かなって…いや、大丈夫ならいいんですけど…すみません」

 

名前も知らない人に何を知ったように言ってるんだと少し恥ずかしくなった。

 

すると、急に彼女の目から涙がひとすじ流れて、更に僕は焦ってしまう。

 

「え?なに?どうしたの?」

思わず肩に手を置いて、少し小さい彼女の顔を覗き込むと、両手で顔を覆って泣き出した。

「…ごめんなさい…ごめんね…もう行っていいよ、怒られちゃう」

「帰れるわけないじゃん、泣いてんのに…」

どうせ今から帰っても怒られるのはわかってる。

 

でも、どうしよう。

どうしたら、泣き止むんだろう。

 

たぶん、ちょっとパニックになってたと自分で思う。普通だったらそんなことはしない。

でも、どうしていいかわからなくて、思わず彼女を抱きしめて背中をさすってあげた。

 

ちょうど、僕の鼻先に彼女の頭があって、まだ少しあの時と同じいい匂いが残っていた。

 

彼女は少し遠慮がちに僕のTシャツをつかんで、顔に押し当てて泣いた。

 

その左手の薬指には、ピンクゴールドの細い指輪が光っていた。

 

 

 

店に帰ると、「どこまで行ってたんだ!」としこたま叱られた。リヒトが「お客さんの忘れ物を届けに行った」と言ってくれていた。

 

もう閉店時間になっていて、リヒトがトイレを掃除していたので「ごめん」と言うと「別にあんな怒ることないのにな、どーせ客いなかったし暇だったんだからさ」と僕にトイレのブラシを渡す。

「わかったよ、やるよ」

「なに、お前あの人に惚れたの?」

「そんなわけないだろ」

「結構、年上だとは思うけど美人だし別にいいじゃん」

「でも結婚してるみたいだよ」

「マジで?」

 

 

結局、泣いてる理由は教えてくれなかった。

 

 

ひとしきり泣いて、僕の腕をほどいて

 

「ごめんね、心配してくれてありがとう」

 

そう言って、駅の方向へ消えていった。

 

「それで?連絡先とか聞いた?」

「だからそんなんじゃないって…名前も知らないし…」

 

 

 

それから、彼女が店に現れることはなくて、同じ職場の人たちの飲み会にも来なかった。

名前もわからないから、どうしてるのかも聞けないし…まぁ、よく考えたらなんの関係もないんだからかまわないんだけど。

 

「晴樹」

閉店時間になり、バイトが終わって帰ろうとした時、先輩に呼び止められた。

「店長が出かけたんだけどさ、もうちょい帰ってこられないから留守番しといてくれない?」

「え?」

「頼むわ、鍵ないしよろしく」

うちの店長はよく、店が暇だとバイトに任せてお気に入りのスナックに飲みに行く。たいてい、忙しくなって来たら呼び戻したら帰ってくるし、いない方が気楽だからいいんだけど、たまにこうやって閉店時間になっても盛り上がって帰ってこないことがある。

 

大抵、学生バイトの最年長の吉住さんが残っていてくれるんだけど、今日は休みでいなかった。

寄りによって、僕のことを毛嫌いしてる先輩の迫田とラスト勤務だったのでそもそも最悪だった。迫田は、吉住さんがいないと本当に威張り散らすから大嫌いだ。

 

リヒトは、先に帰ってしまった。

 

不貞腐れながら店のカウンターに座って携帯を開いて暇をつぶしていると、カラカラと入口の扉が開く音がした。

 

「店長、遅い…」言いかけて、椅子から飛び降りた。

 

「すみません…もう終わりですか?あ!いた!」

 

あの人だ。

 

「あ、もう終わりですけど…ごめんなさい」

「終わってるのわかってたんだけど、ちょっと通りかかったから君がまだいるかと思って…」

「え?俺?」

「良かった、いてくれて。この前ごめんなさい…」

今日は、初めて会った時の笑顔だった。

僕はホッとして「もう大丈夫ですか?」と聞いた。

 

その時、店長がようやく裏口から帰って来た。

 

「悪い悪い!晴樹ー!待たせた!」佐古田から聞いたのか、裏口から顔も出さないで声をかけてきた。

 

「もう!帰りますよ!」

「おつかれさーん!」

 

僕は咄嗟に彼女の手をひいて、慌てて荷物を持って店の外に出た。

女を連れ込んでたなんて言いふらされたら、また更に嫌なことを言われかねない。

 

「え、ちょっと恥ずかしいから離して」と言われたから、僕は立ち止まって少し意地悪を言った。

 

「なんで泣いてたの?教えてくれたら離します」

 

「そんなの聞いても仕方ないでしょ?」

 

「女の子が泣いてたら気になるでしょ?」

 

そう言うと、彼女は吹き出して「女の子?なにそれ…君より年上だよ?」

 

「関係ないよ、俺には女の子に見えるよ」

 

我ながら、この時はちょっと調子に乗ってたと思う。

 

正直、彼女のことは綺麗な人だと思ったし、笑顔が可愛かったし、泣いていたのは気になっていたけど 

 

結婚指輪をしてる手を見て、少しからかってやろうなんて思ってしまったんだ。

 

ちょっとした火遊びでも楽しんでやろうって、思っただけだったんだ。