enti(エンティ)④
長い石の階段を上ると、急に視界がひらけて空気が澄んだ。
天気が良くて、程よく風が吹いて、空が絵に描いたように青い。
両親の命日がちょうど日曜日だったから、僕はひとり両親の眠っている霊園に向かった。いつもは学校やバイトがあるからと言い訳して、祖父母や伯父たちにお参りをしてもらっていたから、来るのは本当に久しぶりだ。
事故が起きた日も、こんな天気の良い日曜日だった。
僕は部活の練習で学校に行っていて、両親は少し遠出をして買い物に行っていた。その頃はもう、ちょっとした反抗期だったから一緒に買い物に行くなんてことはなかったけど、母は毎回「晴樹も行く?」と聞いた。
その日も「晴樹も行く?」と聞いたけど、もちろん部活の練習が大事だったから断った。
それが最後。
車はトラックに挟まれてぺちゃんこで、遺体は全部布に覆われてて1ミリも見えなくなってて、遺品なんて言えるものは何もなかったけど、きっと僕のために買ってくれたらしい通学用のスニーカーだけが残った。
お墓の前に座って、両親の最後の顔を思い出そうとするけど、本当にいつもの何も変わらない朝だったから、どうしても思い出せないでいる。
あれから、加奈と会うのはだいたい水曜日の夜。
僕のバイトが終わって、朝まで一緒にいられる日もあるし、いられない時はほんの2時間くらい僕の部屋にいて帰ってしまう。
でも、全く会えない時は会えない。
加奈の都合次第。
「そんなのただのセフレじゃんか」
リヒトはそう言って呆れる。
「いいんだよ、別にそれで」
「だいたいそう言うんだよ…浮気相手の方は」
この日は、急に会えなくなった日で、一緒にバイトに入ってたリヒトに言うと僕の家で呑もうと言ってくれた。
なのに、その日はそのリヒトの言葉に少しカッとしてしまった。飲んでいた缶ビールをリヒトに向かって投げた。
まだ中身が入っていたから、リヒトの額に当たって飛沫が飛んだ。
流石にヤバいとハッとしたけど、どうしていいかわからなくて「ごめん」と言うのがやっとだった。
「痛てぇ…目に入った」
リヒトはしばらく目をおさえて、ひとつ大きく深呼吸して立ち上がった。
「遊ばれんなって言っただろ。つまんねーな、振り回されやがって…お前がお前がじゃないみたいで気持ちわりぃ」そう静かに言ったと思うと、思い切りテーブルを蹴って、部屋を出ていった。
何やってんだろうな…て、思い始めたのはその時だ。
リヒトが出ていった散らかったままの部屋で床に仰向けに転がって、窓から外を見ていたら涙がこぼれて来た。
加奈と会えないからとか、リヒトと喧嘩したからとか、そんなことじゃなくて自分に情けなくて止まらないけど、拭うのも面倒だ。
それから少しして、リヒトが出ていったまま鍵の開いていた部屋のドアが開いた。
とにかく面倒で、顔だけそっちを向けた。
「なに寝てんだ」
「リヒト」
テーブルの周りは缶ビールの缶が転がって、床が濡れていたので、リヒトはそれを避けてベッドに飛び乗る。
「飲み直すぞ、起きろ」僕を見下ろして、新しい缶ビールを差し出した。
「帰ったんじゃなかったのかよ」
「なんで?」
「怒ってたから」
「怒ってるよ。帰ろうと思ったよ。でも、俺も言いすぎた」
「ごめん」
「いいよもう。でも、本当の話、俺は今のお前は嫌い」
「うん…」
「でもまぁ…俺がいないと困るだろ?」
「うん…」
「泣くな、気持ちわりぃ」
頭が痛くなるくらい、少しの間泣いた。
でもその間、リヒトはずっと、時々眠ってしまいそうになりながら、落ち着くまで黙ってそこにいてくれた。
僕がひとりになってしまってから、ずっとそうだ。