enti(エンティ)⑤
2週間空いて、その水曜日には加奈に会えることになっていて、でも時間になって急に駄目になることもあったから、あまり期待せずに過ごそうと決めていた。
その日はバイトも入っていなかったから、学校が終わってから加奈が来られる時間までどうしようか考えていた。
「晴樹、今日みんなで遊びに行かへん?」学食で昼食を食べていると、顔見知り程度の友香に声をかけられた。友香は見た目が派手なギャルで、中身もどちらかと言うと派手というか社交的というか、目立つタイプだ。
派手で目立つに加えてゴリゴリの関西弁で声も大きく、声をかけられると周りからジロジロ見られることが多いので、僕は苦手だ。
「今日は用があるからやめとく」
「ちゃうねん、紹介したい子がいるねんかなぁ…」珍しく、友香は小声で内緒話のように言った。
「出た、関西人の❝ちゃうねん❞、違わないよ、用事あるんだってば」
「私の友達、晴樹のこと好きやねんて」
「だから?」
「喜んでよ、ちょっとは」
「だって、友香の友達でしょ?俺、派手なの苦手」
「知ってる、晴樹ってチャラいくせに大人しい地味な女食いまくってるんやろ?」
「は?」
「みんな見てるで、OL風のダサい地味な女と遊んでるとこ…」
気がついたら、手に持ってたグラスの水を友香の顔面目がけてぶっかけていた。
「化粧直してこいよ、ブス」
友香が何か金切り声で怒鳴っていたけど、聞く価値はないし目立ってしまったので、まだ食事は残っていたけど、トレイを返して学食を出た。
人の少ないところへ行って携帯を開いてメッセージを確認する。まだ加奈からは何も来ていなくてほっとする。
いつ「今日は駄目になった」って言われるか、一日中落ち着かなくて、何度も携帯を確認する。
❝お前がお前じゃないみたいで気持ちわりぃ❞
リヒトの言う通りだ。
可愛い女の子は好きだし、誰かから好きだと言われたら嬉しいし、友香が言ったみたいにチャラいって言われても若いうちは別にいいだろって、そう言われて嫌だとも思わなかったし。
だから、加奈のことだってからかうつもりで、ちょっと火遊びして、やばくなったらすぐ消しちゃえばいいやって…
「晴樹くん」
ふいに声をかけられて、肩がビクッとする。
振り返ると、友香といつも一緒にいる女友達が駆け寄って来た…名前は知らないけど、友香の友達にしては静かで穏やかそうな子だと思う。
「なに?」文句でも言いに来たのかと思って、ちょっと僕の顔が怒っていたのかも知れない。
その子は目を合わせずに話し始めた。
「あの…友香がごめん」
「なんで?謝るなら本人が謝れば?」
「違うの…私が友香に…えーっと…」
「ちゃんと喋って」
「ごめんなさい」
思いがけず彼女の目が少し潤んで、僕は自分の眉間のシワに気づく。
「ごめんごめん、イライラしてた。なに?」
八つ当たりじゃないかよ、みっともない。
「私が晴樹くんのこと好きだから、友香にお願いしたの…だから、ごめん」
「あぁ…そういうこと?」
「友香、面倒見いいんだけどちょっとバカだから…」
「ひどくない?友達だろ?」思わず吹き出すと、僕のことを好きだというその子は少し安心した顔をした。
「ごめん、名前なんて言うの?」
「マキ」
「なんで僕のこと好きなの?あんまり知らないじゃん…喋ったこともないし…」
「…あるよ」
「え?ほんと?…ごめん」
「ううん…いいよ…それに、もういいから、友香の言ったこと忘れて?私も言うつもりなかったんだけど友香が勝手に…ごめんね」
その時、携帯が鳴って1件のメッセージが届いた。
僕は息を切らして走って、待ち合わせ場所に急いだ。
「加奈、ごめん遅くなった…」
「遅くないよ、私が急に呼んだんじゃない。大丈夫だった?予定」
「大丈夫」
どうせまた断りだと、うんざりしながら携帯を開くと、加奈から半日休みを取ったから早い時間から会えないかと言うメッセージだった。
加奈は、最近あまりゆっくり会えなかったからその穴埋めだと言った。
「今日は車で来てるから何処か行こう」
加奈はカバンから黒いキーケースを出して見せる。加奈の好みじゃないそのキーケースで少し胸がザワっとしたけど、「また拗ねてる」と言われるから、顔には出さないように、小さく深呼吸して自分を落ち着かせた。
でも、車の種類も、内装も、芳香剤も全部、いつもの加奈のイメージとは違って、加奈の車じゃないことは一目瞭然だったから、つい僕は不機嫌な顔になったらしい。
「どうしたの?」
「…この匂い嫌い」
「ごめんね、キツイよね」
「やめた方がいいよ」
「窓、開けようか」
せっかく、僕と会うために旦那に車を借りて来てくれたのに、あまりに車にその存在感が強くて、つい加奈に気を使わせてしまった。
「…ごめん、大丈夫。ちょっと嫌なことあったからイライラしてた、ごめんね」
❝みんな見てるで。OL風のダサい地味な女と遊んでるとこ❞
「そうなの?愚痴なら聞こうか?」
「いいよ」
言えるわけないだろ。
ていうか、何がダサいんだよ。
少し緊張しながら、姿勢よくハンドルを握る加奈の横顔は、夕日に照らされて誰よりも綺麗なのに。
「どこ行くの?」
「こういう時は海じゃない?」加奈が無邪気に笑って言った。
「行きたい、海」
季節は、ちょうど春の気配がすっかりなくなって、夏の準備をしているような頃。
やっぱり加奈は少しだけ窓を開けてくれて、気持ちいい風が入って来る。
「高速乗るよ、ちょっと窓閉めるね」
高速道路に乗って走り出すと、少し道が混んでいて加奈は慎重にブレーキを踏みながら進む。
「ちょっと慎重すぎない?」
その緊張した顔が面白くて、つい笑ってしまった。
「だって怖いじゃない」
ふと気づくと、前が詰まり始めて僕たちの車も完全に停まった。
「混んでるね、次で降りようかな…」停まっているうちに加奈はナビの設定を変えようとしていて、僕はなんとなく窓の外を見ていた。
車のサイドミラーを見ていると、後ろから大きなトラックが迫っていた。
たぶん、トラックはしっかりこっちに気づいてブレーキも踏んで止まったんだろうけど、僕は怖くなって目を瞑る。
「晴樹?どうしたの?」
「なんでもない…」
急に気分が悪くなって、前のダッシュボードに手をついた。
「…なんでもない顔してないよ?次、降りよう」
加奈は片手で背中を撫でてくれる。
冷や汗が額を流れた。