【remember】 another story⑤
昼間に会ったあの若い男は、まだ大学生だと言った。授業の合間に時間をみつけて来たそうだ。
今日は学校の帰りにアルバイトがあるから、出来れば遅い時間がいいと言っていたので、仕事帰りに沙和と晩御飯を食べに行こうということになった。
「名前も忘れてたし、今日は無理に付き合ってもらってるし、奢るけど何がいい?」
「なんでもいい」
「うわそれ、面倒臭いヤツ」
「なにそれ」
「なんでもいいって言って勝手に決めたら気分じゃないとか言うじゃん」
「高畑君さぁ…」
「なに?」
「面倒臭い女と付き合ってるのね」
大人しそうな顔をしてるくせに、わりとズケズケと言うなと思って顔を眺めていると
「あれ?当たってた?」と、悪いことをして見つかったような顔をして笑った。
「私は本当になんでもいいの」
あまり時間もなかったし、適当に空いている店で食事をしながら、約束の時間を待った。
待ち合わせ場所は、駅前の広場の噴水の前のベンチで、もう時間が遅かったので噴水も止まっていて通行人も少なく静かだ。
ベンチに座ると噴水を挟んだ向こうを沙和がじっと見つめているのに気づき、視線を追うと、少し遠かったけどあの事件の場所が見えた。
「…場所変えよっか」
沙和はこっちをチラッと見て「ううん、大丈夫」と笑った。
「ごめん、気づかなくて」
「いいってば。どうせ毎朝ここ通るんだから」
話していると、僕たちの前に人影が立ち塞がって視界を遮った。
「すみません、遅くなりました」
沙和が立ち上がって「バイトお疲れ様。話すのここでいいの?」と言うと「外の方がいいです」と、言った。
彼の名前は、蓮と言ってまだ21歳だと言う。僕や神野より7つも若い。
「あのさ…神野がいなくなる前になんかあったの?」
沙和は少し離れた隣のベンチに移動して、僕は隣に座る蓮の方に体を向けて聞いた。蓮は、前を向いた姿勢で下を向きながら答える。
「亮太さんがいなくなったのは、僕のせいです…」
膝のあたりで両手を固く組んで、その両手を震わせながら話し始める。
「僕の親は真面目な人で…普通じゃないことが大嫌いで、僕はずっと自分が男性しか愛せないってことを隠してました。でも、亮太さんに出会って、あの人は誰にでも包み隠さずに生きてるから羨ましくて、僕もそうしたいって言ったんです」
でも、神野は蓮にやめた方がいいと言った。
話したからといって、隠さなかったからといって、必ずしも理解されるわけじゃない。隠して生きている方が楽なこともある。
リスクを負ってまで、人に打ち明ける必要もない。
バレちゃうまでほっとけば?
と、軽く言った。
でも、蓮は親にだけは打ち明けるべきだと言った。自分は長男だし、親はきっと普通に結婚して孫を見ることを期待してるはずだけど、それは出来ないと言うことを知っておいてもらわないといけないと。
「実家に帰って、すごい怖かったけど…思い切って両親に打ち明けたんです。一緒に暮らしてる人もいるって。そしたら、最初は驚いて信じてくれなかったんですけど…それは親にはどうすることも出来ないし、お前が幸せならいいと言ってくれたんです」
でも、それは蓮の前だけでの口先だけの言葉だった。
突然の告白に驚き、信じることが出来なかった蓮の両親がその場しのぎに息子をなだめるために理解したフリをしただけだった。
蓮の両親は、蓮のいない時を見計らって神野の部屋を訪れて、良からぬ道に誘い込んだのはお前かと、息子を返せと、いい大人の男のくせに息子を惑わせるなと、神野の人格すら否定するような、思いつく限りの罵詈雑言を吐いた。
その上、用意した手切れ金を叩きつけて帰って行ったらしい。
その日は、たぶん僕が最後に会った日だ。
朝、神野が珍しく遅刻してきたのがそのせいだと思うと、何も気づけなかった自分が歯がゆいと感じた。
その日、アルバイトで遅くなった蓮は何も知らないまま神野の部屋に帰った時には、神野はいつもと何も変わらなくて、いつも通りに蓮に接して、いつも通りに過ごしたらしい。
蓮が事実を知ったのは、次の日の朝に神野が仕事に出かけてからのことだ。
「急に両親がやって来て、お父さんとお母さんが話をしてやったから、もうお前を拐かさないようにキツく言っておいたと、だからお前はもう家に帰ってきなさいって言われて…あまりにひどいことを言ったと言うから、最初は僕も怒って両親を追い出そうとしたけど、父が…」
そこで声を詰まらせて、膝の上で組んだ両手に涙を零しながら
「あいつはしっかり手切れ金を受け取ったんだぞと聞かされて…だから俺、捨てられたんだと思って…泣く泣く…親と一緒に自分の荷物をまとめて出ていきました」と言った。
卑怯な話だ。
本人たちのいないところで都合よく話を歪めて神野を悪者にして、言いくるめようとするなんて。
「それで…しばらく何もやる気になれなくて、昨日やっと持って帰って来た荷物を開けたんです。そしたら、僕がいつも使っているカバンのポケットに、お金の入った封筒が封も開けずに入ってました」
もう、聞くのが辛くなって耳を塞ぎたいくらいだった。
「たぶん、僕がいなくなるのはわかってたと思います」
わかっていたかも知れないけど、あの日あいつは一緒に住んでいる人が待ってるからと帰って行った。
だから、いなくなるかも知れないし、でも微かにいなくならない可能性も信じていたんだと思う。
なのに、あの日帰ったら、想像していた通り蓮がいなくなっていた。
愛する人を失った部屋で、あいつはどんな気持ちでいたんだろう。考えるだけで胸が痛む。
自分の生き方を否定されて、大切なものを奪われて、絶望の淵に立って、何を思ったんだろう。
「だから、僕は慌てて家を飛び出して帰りました…もう受け入れてくれないかも知れないけど、少しでも亮太さんを疑ったことを早く謝らないとと思って…なのに居なくて、ずっと一晩寝ないで待っていたけど帰って来なくて、携帯も通じないし…」
「それで思い余って会社に来たの?」
「それ以外に行き場所なんてわからなくて…」
ふと、少しの間存在を忘れていた沙和の方を見ると、顔を伏せて泣いていた。
「泣くなよ、俺だって泣きたいよ…」
「だって、ひどすぎる…」
蓮の方に向き直って「他に行く場所ないの?悪いけど、俺だってそんなに詳しくないからさ、あいつのこと」と聞くと蓮は首を横に振るだけだ。
「申し訳ないけどさ…辛いことばっか聞いといてすまないんだけど、俺達もやっぱりわかんないんだ…でも、心配してるんだ…すげー心配してる…ほんとに…」僕も言葉に詰まってしまう。
言葉に詰まった僕の代わりに、沙和が「私達も心配してるから、何かわかったり、もしまた会えたら教えてくれる?」と、蓮の足元にしゃがみこんで僕の方に手を差し出した。
「え?なに?」
「名刺」
慌てて胸ポケットから名刺を一枚出して、紗和に渡すとそれを沙和は蓮の固く握った両手を開いて握らせた。
「なんか…辛かったね」
蓮が帰るのを見送って、僕達はまだそこに残って、憂鬱な落ち込んだ気分を共有していた。
「ムカつくけど…ひどい親だと思うけど、心配したんだよな、きっと。まだ大学生だし…そりゃなんとかしようと思うよな」
「うん、それもわかる」
「どうせなら、金もらっちゃえば良かったのにな、もったいねぇ」
「私なら貰うけどね」
「マジで?」
「貰うし、好きな人も離さない」
「強欲じゃん」
「ダメ?」
「いいんじゃない?俺はそういうの好きだけどね」
本当なら、叩きつけられた時に怒って叩き返せば良かったのにと僕なら思う。
なんで黙って言われるままに聞いていたんだろう。
知るかよ!馬鹿!って言ってやったら良かったじゃないか。
俺が、あいつが男しか愛せないってことを聞いたのは、初対面の時だ。
泊まり込みの研修で一緒のグループになり、名札を見て「名前なんて読むの?カミノ?カンノ?」って聞いたのが初めての会話で、あいつは「カンノだよ」と人懐っこく笑った。
でも、他のグループに神野のことを以前から知っているというやつがいて、わざわざそいつが俺のところに来て
「神野と同部屋なんだ、気をつけろよぉ、お前」と嫌な笑い方をして言ってきた。
「は?」と聞き返しても何も言わずにニヤニヤして離れて行ったのが気になって、研修が終わって宿泊先の部屋でふたりになった時に、そう言われたことを話した。
神野はしばらく僕から目を逸らして少し考えるような顔をして「普通、初対面の人に話すことじゃないんだけど」と前置きして、自分のことを話してくれた。
前の職場を辞めたのも、それが理由だと教えてくれた。
そして「気持ち悪かったら部屋変えてもらったらいいよ」と言った。
「別に」
「俺だって選ぶ権利あるしね」
「は?お前、失礼だなぁ」
神野はそのやり取りに笑ってたけど、本当は怖かっただろうなって、今となっては思う。
「帰ってくるの待つしかないよね」
「うん…ていうか、付き合ってもらってごめんね…なんていうか、嫌な気分にさせて」
「なんで?いいよ」
「でも、居てくれて良かった。ひとりだったら耐えられなかった」
「優しいね」
「俺?」
「うん」
「そんなこと…あんま言われないかな…さ、帰ろっか、遅くなったし送るよ」
車を停めていた駅の裏手のパーキングまで沙和と歩いた。
「いつも車だっけ?」
「いや、いつも電車だけど寝坊したりめんどくさかったらね」
「そうなんだ」
狭い道をのんびり歩いていると、後ろから誰かの足音が聞こえて、道の端を歩いていた沙和が僕の腕を掴んで引っ張る。
後ろから早足で歩いてきた背の高い黒い服の男は、僕の顔をチラッと見たと思うと、少しだけスピードを緩めて振り返りながらパーキングに入っていった。
「知ってる人?」
「知らない」
「めっちゃ見てたよ?」
「だよなぁ…」
沙和が怖がるので、少しそこで立ち止まってその男の車が出るのを待った。
エンジンをかける低い音が聞こえて、ゲートが開き、黒いスポーツカーがこっちに曲がって来る。
その男は助手席から、こっちを睨みつけるようにして、その運転席にいる女は僕たちには目もくれず車を走らせていった。
「詩織…」
「知ってる人だったの?やっぱり」
「俺の面倒くさい彼女だよ」
沙和を送る車の中で、僕が全く喋らなくなってしまったので、沙和は居心地が悪そうだった。
自分で送ると言っておいて、気を使わせるなんて申し訳ないとは思ったけど、僕の頭の中はさっきの男のことでいっぱいになっていた。
あれが、詩織の本命の男で間違いない。
詩織が先に来て誰かを待つとか、車を運転するとか、そんなことをしているのを見たことがないし、想像したこともない。
沙和もそれなりに事情を察して、何も聞いてこない。ただ、淡々と道案内をするだけだ。
「あのさ…」
僕がやっと口を開いたので、沙和は少し驚いて「え?なに?」と上擦った声で返事をした。
「あの…すごく言いにくいんだけど…」
「え?なによ」
「全然ヤラシイ意味じゃないんだけど…」
「だから、何?」沙和は思わず吹き出す。
「今日さ、泊まってってくれない?」
「は?」
「今日、ひとりになりたくないんだよ」
そう言った途端に、視界が滲んだ。
今日は、特にひとりが怖い。
ひとりになってしまったら、考えてしまうことがあまりに多すぎる。神野のことも詩織のことも。だから、誰でもいいから傍にいて欲しい。
無理なお願い事なのは百も承知で、恥ずかしくて耳まで熱くなる。
「何にもしない?」
「指1本触れない」
「じゃ…まぁ…いいよ」
「本当に?」
「だって、そんな涙ぐみながら言われたら仕方ないじゃん…でも本当に何かしたらクミに言うから」
「一番、嫌だそれ」
「でしょ?とりあえず、もう家の近くだから着替えだけ取りに行ってもらっていいよね?」