W【13】
理沙は無事だった。
17歳の
理沙本人は顔も知らない、ひとりの家出少年が守りきった。
何が起こったのか、これから理沙に全て話していかないといけない。
友也と初めて出会った時のことから全部。
そして、その形は歪み切っていたけど、晴人が理沙を愛してたことも全部。だけど、その晴人そのものが存在しなかったこと。
晴人は確かに理沙に愛されたかったし、理沙も晴人を心から可愛がっていたし、僕もそうだった。
理沙は話し始めた時からずっと泣いていて、僕も泣いた。
「助けてあげたかった…晴人、ごめんね」
もう少し早く、傍にいた僕たちが晴人の心の歪みに気づいてあげていれば生きて救えたんじゃないかと思う。
晴人は僕を憎んでいたと言うけど、だったら何故あの時、僕があげた服を着ていたんだ。
僕達は、僕達を殺そうとした晴人を何故だか憎みきれずにいる。
だからしばらくは、理沙は立ち直れないかも知れない。でも、大きな犠牲を払って守ってもらったんだから、僕は必ず彼女を幸せにしないといけないんだ。
あのマンションの部屋はそのまま置いて、僕と理沙は新しく違うところで部屋を借りた。
しばらくして、警察の捜査なども終えたので部屋を引き払うために、置いてきた荷物を片付ける必要があった。
久しぶりに鍵を開けてドアを開けると、こもった匂いがする。廊下からリビングにつながるドアは大きく開け放たれていて、すぐに僕の目に大きな窓とベランダが飛び込んだ。
僕の足元から、そこまで、直線上に血がこびり付いた跡が残っている。
《今度は一緒に地獄まで堕ちてやるよ》
友也の声が聞こえた気がした。
「カッコつけたこと言いやがって…」
僕は何も出来なかった。
ただ、自分や自分の大事なものを守りたくて必死になっていただけだ。
それに比べて、友也はいろんな人のために死んだ。
僕と、梨沙と、子供のため。
それと、自分の代わりに苦しんで生きてきた弟のため。
生きて償わせる方法はあったのに、あいつは自分の手で終わらせてやることを選んだ。その選択はきっと間違ってる。
でも、もしかしたら
自分が過去に触れられたくなかったのと同じように、生きて自分の過去を暴かれ、好奇心の目にさらされる苦しみを友樹が受けることを恐れたのかも知れない。
理沙の店は一旦は休業した後、僕が仕事を辞めて受け継ぐことに決めた。
僕の両親からも、理沙の両親からも、これから子供が産まれるという時に仕事を辞めることを大反対された。当然のことだ。
でも、それは理沙の希望だったから理沙が矢面に立って説得してくれた。
理沙自身は、まだこの店には来られない。
どうしても、晴人との楽しかった日々を思い出してしまうからだ。
今でも、営業の再開に向けての作業の合間に、ふとカウンターに座ると、晴人があの無邪気なくしゃっとした笑顔で
「なに飲みますか」
と聞いてくれるような気がする。
「毎度!」
酒屋の田辺さんが「よいしょ」と半開きのシャッターをくぐって入ってきた。
「こんにちは」
「結婚おめでとう」そう言って、高そうなワインをくれた。「ありがとうございます。理沙が飲めるようになるまで大事に置いときます」と言った。
「お昼なんか食べませんか?今、試作してるんで」
「俺、ダイエット中だけど仕方ないなぁ」
田辺さんは豪快に笑って、自分のぽってりとしたお腹をさする。
そしてカウンターに座って「大変だったな」と言う。
「そうですね…まぁ、めっちゃ大変でした」
僕たちの事件は、一時的に世間の好奇心の的になった。
どこから調べて来るのか、友也の犯罪歴や、友也と友樹の悲惨な生い立ちや、ドラマのような事件の結末を脚色を加えながら騒ぎ立てた。
「彼らは可哀想な生い立ちだったみたいだけど…親に恵まれなかった子供が必ずしも不幸になるとは限らないんだからね」
「そうですね」
「僕はね、今は幸せになれたよ」
「田辺さん…」
「運が良かったんだね、僕は」
僕は何も知らなかったけど、同じ境遇だったであろう晴人を思って、田辺さんは目頭を押さえた。
梅雨を迎える頃、僕と理沙の子供が生まれた。
あの友也が命と引き換えに守ってくれた子だ。
いろんな想いが重なって、僕はずっと泣いていたし、理沙はそれを笑わずに見守っていてくれた。
あれからずっと、出来ることなら友也に謝りたいと思い続けている。歪みきって、腐りきったやつだったけど、それはきっと自分でコントロール出来なかったことで、自分がそうだったように、傷つく子供を見たくないというひとつの気持ちにだけは真っ直ぐだった。
理沙が退院する日、朝から車で病院に向かっていると、自転車の高校生が道を渡ろうとしていたので、停まって道を譲った。
だけど高校生は、道を渡らずに自転車を降りてこっちを見ている。
不思議に思ってその顔を見た時、僕は少しは友也に恩を返せた気がした。
その涼し気な一重の目は、間違いなくアツシだった。
僕が初めて見るその幼い口元を緩めて、アツシははにかんだ。
思っていたよりずっと、子供だった。
そして、僕に深く深く頭を下げて、再び自転車に乗って走り、道の向こうの同じ制服の友人と合流して去っていった。
もう、友也に謝ることは出来ないけど
最後の願いは叶えられたみたいだ。
「え?待って…いきなり、なに泣いてるの?」
理沙を迎えに病院の部屋に入った時、なんだかホッとして、僕は号泣してしまう。
「嬉し涙だよ」
僕が今、見たことを話すと理沙は顔も知らない少年の幸せを願ってくれた。
そして、僕たちの3人の生活が始まった。
僕達は、その小さな手を2人で握って
絶対に幸せにしようと誓う。
【完】