プライド番外編【福田カズキの話①】
朝、ふと目を覚ますと
リクが部屋から出ていくのが見えた。
まだ、はっきり頭が起きていなかったけど、あのシルエットはリクで間違いない。
どこへ行くんだ?
まだ体を起こすのは億劫で、まだ眠れそうだったのでウトウトするのを繰り返していると、カンカンと階段を下る音がする。
そして、俺の隣でいつの間にか起き上がっていたセイがそーっと立ち上がって部屋を出た。
セイはすぐに帰ってきて、またベッドに潜り込んだ。しばらく外にいたから、ひんやりとした空気が伝わる。
ああ、あいつあの部屋へ行ったのかもな。
馬鹿だな。
あいつは優しいけど、向こう見ずで純粋で馬鹿だ。
あの女には、帰って来ない男がいるんだ。しかもタチの悪い男だ。そいつと別れることも出来ない女に同情なんかしたらダメなんだよ。
きっとお前は傷つけられて終わりだよ。
子供の頃、うちの父はほとんど家に帰ってこなかった。子供だから、母の言う「お父さんは仕事で忙しいんだよ」と言う言葉を素直に信じていた。
夜、密かに泣いてる母を見かけたことがあっても仕事が忙しいお父さんの帰りを待つのが寂しいんだなって、そんなふうに思ってた。
そのうち、知らない女を連れて帰って来た父。知らない女は母の前で泣いて「別れて欲しい」と何度も言った。
その頃には、その理由がわかる年頃になっていたけど、信じられなくて、ただただ悲しくて、わかっていたくせに待ち続けた母も、踏ん切りをつけられなかったズルい父も、泣いて父を奪っていこうとする知らない女も、全部馬鹿だ。
だから
リクがあの女に手を出すなら
許せないかもしれない。
他人のもの欲しがるなんて泥棒だろ。
鼻の奥が痛くなってきて、誰も見ていないのに誤魔化すみたいに寝返りをした。
すると、思ったより近くにセイの顔があって手が髪に触った、セイは「危ないよ」と小さい声で言ったけど
まだ眠っていたかったし、目を開けるともしかしたら赤くなってるかも知らないから、そのまま寝ているふりをした。
セイは、避けようとしたその手を離さなかった。手の大きさを確かめるようにして少しづつ力を入れて握って、自分の頬にあてる。
不思議と
嫌な気持ちはしなかった。
薄く目を開けると、哀しそうな、泣いてるような笑っているような…でも、なんだか安心しているような顔をしてた。
だから、振り解けなかった。
なんで、そんな顔して俺の手なんか握ってんの?
俺のこと好きなの?
本当は、ちょっとだけそんな気がしてた。
なんとなく…いつの頃からかわからないけど。でも俺はずっとそれを否定して来た。
そんなわけないだろ?
男同士じゃん。
友達だろ?
でも、その手を握っているセイの顔を見ていると、そのまま顔を撫でていてあげたくなる。驚くだろうな。喜ぶのかな。
一瞬、そんなことを思ったせいか指先に力が入って、セイがハッと手を離す。
そんなこと考えてる俺が気持ち悪いな。
なんて。
どいつもこいつも
めんどくせえな。
起きたくないな。
めんどくせえ。
それからまた少し眠ってしまって、セイが起き出した頃にリクも帰ってきた。
リクは散歩だよと言ったけど、ジジイじゃあるまいしもう少しマシな言い訳をしろよと思っていると、帰り支度を始めたリクと目が合った。
口先だけニッと笑って、すぐに目を逸らす。
胸がざわざわする。
叫びたくなる気持ちをおさえていたら、吐き気がする。
リクが出ていった後、すっきりしたくて顔を洗おうと洗面所に行くと、まだそこにセイがいたので「あいつどこ行ってたの?」と聞いた。
セイが歯ブラシを片付けようとしていたその手をビクッとさせて「起きてたんだ」と言った。
「起きてたよ」
そう言うのは、かなりの決心が必要だった。
「寝たふりなんて悪趣味だね」微かに震えた声でセイが言う。
本当は、リクがどこに行ってたとか聞きたかったんじゃない。あいつは…放っておけばいつか自滅する。
それに、そうなったってリクは自分で立ち上がれる。俺はそう信じてるから、放っておけばいい。
でも、セイは違う。
いつまでも知らないふりをしていたら、ずっとあいつはこのまんまだから
「悪趣味はお前だろ?男の手握って楽しい?」
離れてやらなきゃ駄目なんだ。
大きな音をたてて、セイの足元でガラスが割れた。
本当は、もう少し遠くに投げたつもりだったけど思惑が外れて、砕け散ったガラスの破片がセイの顔を目がけて飛んだ。
後悔したけど、もう遅い。もう割れたガラスも戻らないし、俺達も戻らない。
好きだとセイは言った。
そして、それが受け入れられないのもわかっている。
でも、そんな叶わない想いを持ち続けて一緒にいてどうなるんだ。
苦しむだけじゃないか。
今は辛いだろうけど、悲しむだろうけど、忘れさせなきゃいけないんだ。
「二度と顔を見せるな」
セイが部屋を飛び出して行く。
泣いていたかも知れないし、どんな顔をしていたかも、自分の目から涙が滲んでいたから見えなかった。
《カズキも変わらなきゃダメ。そのままじゃ大切な友達をなくすよ》
ふと、忘れかかっていた幼なじみの言葉が頭の中に聞こえた。
わかってる。
もっと他にやり方があったはずだ。
あんなに傷つけることを言わなくたって、いくらて方法はあったんだろうけど、俺にはどうしても思いつかなかったんだ。
好きだと思われてても良かったし、黙っていたって良かった。
でも、それじゃあいつがずっと可哀想じゃないか。
いつまで、俺に気づかれないようにひっそりと、あんな悲しい顔で俺の手を握っていなきゃいけないんだよ。
割れたガラスも片付けないうちに、夜勤明けで帰ってきて騒ぎを聞きつけた母が隣の部屋から入ってきた。
「どうしたの?大きな声出して…なにこれ、どつしたの」ガラスの破片を集めようとして、母が指を切る。
「うるせえな!!!ほっとけよ!!!」
母の肩を掴んで外に追いやった。
頭の中は腹立たしさと自己嫌悪で満タンになって、また布団に潜り込んだ。枕に顔を押し付けて叫んで、泣いた。
そのまま子供みたいに泣き疲れて寝てしまったらしくて、目を覚ますと隣の部屋からいい匂いがした。
母ちゃんに謝らなきゃ。
自分で荒らした部屋を片付けて、母の部屋に行って「悪かった」と絆創膏を渡したけど、「遅いよ」と笑われた。すっかり、血は止まってる。
真っ赤な目をして不貞腐れてるのを見て「どうせお腹すいたから謝りに来たんでしょ」と、母は用意してくれていた昼ごはんを目の前に置いてくれた。
いつもなら、夜勤から帰ってきて寝ているはずなのに、待っていてくれたみたいだ。
何やってんのかな、本当に俺は。
母と2人でこの部屋に引っ越して来た時、決めたじゃないか。
裏切り者の父のことなんか忘れて、早く大きくなって母を守っていくんだって。
なのにまだ心配をかけて、甘えてばっかりだ。
「早く食べなさいよ、片付かないでしょ」
「いいよ、片付けとくから寝てこいよ」
何があったのか母に話すのは気が引けたし、聞いても来なかったけど、きっと心配してる。ずーっと何があったのか考えてるはずだ。
「…だから、起きたらちょっと話していい?」
母が起きるまで、自分の部屋に帰る。
今日は休みだから、いつも放ったらかしの洗濯物や片付けをする。窓を開けると電車が走っているのが見えて、ふとセイが無事に家に帰ったのか気になる。
用事をすっかり終えた頃、ちょうど母が部屋に来て「買い物に付き合って」と言う。俺がいるついでに重いものや大きなものを買っておきたいらしく、いい歳して母親と買い物なんて、恥ずかしいし面倒だったけど、朝の借りがあるから仕方なく車を出した。
これも母の気遣いだともわかっている。
車の中で、セイのことを話した。
母は驚いてたけど「あんたのどこがいいんだろうね」と笑った。
「知らねーよ」つられて笑う。
「でも、それは仕方ないね。いろんな人がいるのよ、世の中には」
「うん」
「何も悪いことはしてないのにね」
「うん…」
「だから、もう少しあんたも違う方法があったんだろうけど…馬鹿だもんね」
「うるせーな」
「そんなに顔パンパンになるくらい泣くんだったらそんなこと言わなきゃいいのに馬鹿だね、ほんとに馬鹿だわ。でもあんたも悪くない。それが本人の為だと思ってやった事なんだから仕方ない」
「うん」
「お互い、頑張って立ち直るしかないのよ」
「わかってる」
「お母さんも聞いて欲しいことあるんだけど」
「なに?」
「1階の…薫ちゃんのことなんだけど、あの子が旦那にDVを受けてるのは知ってるでしょ?」
あの家の旦那はごくたまにしか帰ってこないけど、帰って来れば大声をあげて暴れていることが多いから他のアパートの住人もよく知ってる。
母はいつも気にかけていて、別れるように言うけどなかなか踏ん切りがつかないらしい。
「DV被害者のためのシェルターも調べて説得してるんだけどなかなか決心をしてくれないのよ」
「本人がその気にならなきゃどうしようもないじゃんか」
「だけど、今日も顔に大きなアザが出来ててね…だからあんたにもちょっと気にしててあげて欲しくて。あ、でも絶対に止めに入ったら駄目よ!!危ないからね!!」
「わかってるよ」
どいつもこいつも
本当にめんどくさい奴ばっかりだ。
それからしばらくして、リクから連絡が来る。
セイがおかしい。
そう言われて
俺のせいだと。
セイを頼むと。
それしか言えなかった。
思い詰めて手首を切ったと聞かされても、何もしてやれない。二度と顔を見せるなと言ったのはこの俺だから、正直…そこまで思い詰めさせたと思わなかった。
思いつく限り、傷つくことを言ってやって
俺の事を嫌いになればいいと思っていたのに。
あんなやつ、なんで好きだったんだって思えばいいのに。
長い時間が過ぎて
《もう大丈夫》
リクからメッセージが来るのを、生きた心地もせずに待っていた。
その後、今度は母の心配が別の形で現実となる。
あの人が旦那に殴られていたのを目撃してしまったのは、よりによってリクだった。
あいつは、いつも穏やかで平和主義で、他人の喧嘩は止めようとするくせに自分がカッとなると止められないところがある。
偶然、母と帰宅時間が同じになり一緒に帰ってきたところでアパートの住人に呼びかけられ、誰かが巻き込まれているのだと聞いた。
母に警察へ通報させ、俺は部屋に入ってリクに馬乗りになって狂ったみたいに殴り続けている男を引き剥がした。
男は警察を呼ばれたと聞いて、肩を突き飛ばすように逃げていく。
「リク!!」呼びかけると返事が返ってきて、ホッとした反面、あまりにひどい殴られ方で見ていられなくて、なんだか苦しくなって
気がついたら、また俺はリクに心無い言葉を言い続けていた。
なんでお前がこんな目に合わなきゃいけないんだと腹立たしくて、バカバカしくて、いくらでも酷い言葉が口から出ていって止められなくて
「俺たち、もう終わりだよ」と言い捨てた。
それでも
リクは言い訳もしないでそれを聞いて
一言だけ言った。
「それはお前の本心なのか?」