プライド【9】
駅を降りて商店街の真ん中あたりに差し掛かると、ちょうど母親の店から客が出てきた。
中を覗くと忙しそうに立ち働いている母親が見えた。
「手伝おうか?」
「ほんと?じゃ、とりあえず床を掃いて使ったタオルが山積みだから干してくれる?」
自分の母親の店だろうが、アルバイトだろうがやることは同じだ。
だけど、家に帰ってもどうせ思い返すことはわかっている。
ひとり、薫さんのことを思い返して恥ずかしくなって、いても立ってもいられないだけだ。
今日のところは仕方ないことだ。
「どこに泊まったの?」
「カズキのとこ」
「また???友達少なっ!!!!」
「うるせえな」
「じゃ、薫ちゃんにも会った?」
「うん…まぁ…話したよ…なんか、ワケは聞かなかったんだけど美容師になれなかったって」
「そうなの…何があったのかしらね」
旦那に殴られて顔が痣だらけだなんて言えなかった。
実のところ、顔だけじゃなかった。
手足や、背中にも傷跡や痣がたくさんあって痛々しかった。
薫さんによれば、子供にはまだ手を出さないという。
僕の母親も、若くて未来に希望を持ってキラキラと輝いていた彼女しか知らない。
「まぁ、うちには寄りづらいかと思うけど…何かあったらおいでって言っておいてよ」
「わかった」
一通り仕事を終えて、母親に朝ごはんの買い物を頼まれたので商店街の中の小さなスーパーに寄る。
「お釣りは小遣いにとっときなさい」
牛乳、食パン(銘柄指定)、3連ヨーグルトを渡された千円札で買ってお釣りは400円と少しだ。
「小遣いって…小銭じゃねーかよ」
カフェでコーヒー一杯も飲めないじゃないか。
本当に、みんな僕をいつまで子供だと思っているんだ。
だけど、そろそろどこかでアルバイトを始めないと昨日の遊園地が中々の出費で生活がヤバい。
このままでは、学校と家の往復しか出来なくなる。
「バイトねぇ…寿司でも握ればぁ?」
夕飯を囲んで、投げやりに母親が言った。
今日は一日を通して忙しかったようで帰りもかなり遅くなった。
だから、今日も父親が買い物をして帰ってきた。
「寿司食おう」
そう言って、少し値段が高めのパックの寿司を3つテーブルに並べた時は、また「いくらしたの」と叱られそうだと思っていた。
「夕方値引きで半額でしたって言えばいいだろう」
「半額シール作ろう」
僕と父親ふたりでパソコンに向かって、スーパーの半額シールを作って
それはもう、半ばふざけていて単純に遊びたかっただけで、本当は怒られることなんて平気だったけど、その完成度の高さに父親は感心してくれた。
「これだこれだ、うまいじゃないかリク」
父親は嬉しそうに半額シールを貼って、ワクワクしながら待っていたけれど、疲れすぎている母親はどこにもなにも言わずバリバリとパックをめくって我先に食べ始めた。
父親はあからさまにガッカリした顔をしていたけれど、そのガッカリした顔を僕に向けて言った。
「母さんとこでバイトすればいいじゃないか」
一瞬、みんなの箸が止まる。
「いやいや、だってバイト代もらえないじゃん!聞いてよ、今日なんか400円くれただけだよ?」
「そんなにお釣りあったの?返してもらえば良かったわ…私はいいわよ、バイト代も払う。相場より安いけどね、身内割よ」
「ほらーでもバイト代くれるんだ?」
「そうね。うちもひとりアシスタント辞めちゃってね、困ってるのは困ってる。ほら最近はネット予約あるじゃない?それがもーまた訳分かんなくて、クーポンとか…若い子欲しいのよ」
「でもさ、甘やかされてない?俺」
「いいんじゃないのー?どうせ学校卒業して現場に出たらしんどい目に合うもんなんだから。美容師のアシスタントなんてブラックもブラック、漆黒なんだから。暇なら練習もさせてあげる。とりあえず、食後のカフェオレ入れてくれるかしら?バイト君」
「はいはい」
「お父さんブラックな」
コーヒーメーカーに挽いたコーヒー豆をセットして水を注ぎ、ポットに落ちるまでの間に小さめの鍋で牛乳を温めた。
父親はコーヒー豆にこだわりがあって、職場近くの専門店で挽いてもらったものを買ってくる。
正直、コーヒーの味はわからない。
でも、コーヒーの落ちる匂いとミルクの温まる甘い匂いが部屋にたちこめるのは好きだ。
僕は2人のコーヒーとカフェオレをリビングのテーブルに置き、自分の甘めのカフェオレを持って部屋に帰った。
スマホを見ると、何件かLINEメッセージが届いていたようだ。
学校のグループLINEでみんな明日の授業の持ち物を確認している。僕が返事する必要も無さそうだ。
あとは、個人的に仲の良い学校の友達の他愛もない話だったりして、ひとしきり返事を返した後、床に寝転ぶと階下で誰かが風呂に入る音が微かに聞こえた。
もう夜遅くなって、家の前の道を走る車もない。
静かだった。
こんなに静かだったっけ。
いつもと同じ。
いつもと変わらない夜なのに、何故か今日は静かで寂しさに襲われた。
今朝の出来事を思い出してしまえば余計に寂しさが増すから、早く眠ってしまいたかった。
手に入らないもの。
手に入れられないもの。
わかっていても欲しいと駄々をこねる子供のように、僕はまた泣いた。