われても末に逢はむとぞ思ふ①
潮風が顔に強くあたって、砂が舞った。
僕は真っ直ぐ海を眺めていたけど、その砂が目に入りそうで顔を背ける。
その顔を背けた先にいるあいつは、舞い散る砂も強い風も気にしないで、ただ真っ直ぐ前を向いて、線の細い儚げな横顔を見せていた。
「渉、もう帰ろう」
渉はその声にこっちを向きもしないで、立ち上がって堤防から砂浜に飛び降りた。
「おい!危ない!」
砂浜に足をついて、膝からバランスを崩して、そのまま転がって、制服を砂まみれにして仰向けに寝転ぶ。
それを追って飛び降りた僕を見上げて渉は「こんな高さ、いくらでも飛べたのにな」と小さく呟いた。
「歩けるか?」
渉は、僕の少し後ろを傷めた足をかばいながら歩く。僕は渉のカバンを持って、少し歩く速度を緩める。
「航平と話すの久しぶりだな」
「そうだな、前は毎日バカみたいに喋ってたのにな」
渉とは小学校からの幼なじみで、中学高校と同じ部活にも入っていたくらいだけど、渉が部活を辞めてからは、ほとんど話すこともなくなってしまった。
小学生の時に地元のバレーボールクラブに入団して、明るくて人懐っこくていつも周りに人がいた渉と、人見知りで引っ込み思案だった僕とでは対照的だった。でも、2人とも誰よりも真面目に休まずに練習に参加していて、高学年になって、僕がキャプテンで渉が副キャプテンになった頃には、誰もが認める親友同士だった。
中学でバレー部に入って、3年間2人とも部活に熱中して過ごした。
そして、高校も当たり前のように地元の強豪校に入学したけど、高校では今までのようにはいかなくて、練習もずっと厳しいし、中学ではエースアタッカーだった僕よりずっと身長の高い奴らがいっぱいいて、自信を無くして、あんなに楽しかった部活の時間がただただ憂鬱になっていった。
でも、渉は僕より背も小さかったし、試合に出るどころかベンチに入る機会もほとんど無かったのに、それでも変わらず明るくて誰よりも声を出して、先輩達にも可愛がられ、チームのムードメーカーだった。
「足、大丈夫か」
「もう慣れた」
渉は身長は低かったけど、僕よりもずっと高く軽く跳んだ。
高く跳んで、滞空時間も長くて、フォームが綺麗で、見蕩れるくらいだった。
そんな渉が変わってしまったのは、足を大怪我して部活を辞めてからだ。
そこからは、僕がこれまで知っていた渉ではなくなってしまった。
その日、渉と僕は部活に行くために校舎の三階から外階段を降りていた。そこに、後ろから友達同士でふざけあって階段を降りてくるやつらがいて、渉と僕はそれを避けて、追い抜かさせた。
その時、そのひとりが足を滑らせて、咄嗟に渉の背負っているリュックを掴んだ。部活用のリュックは重くて、それをきっかけにバランスを崩して、渉は落ちていった。
一瞬、ぐっと膝に力を入れてこらえようとしたけど、勢いは止まらず、身体をひねりながら、踊り場まで落ちた。
僕はそれを呆然と見ていることしか出来なかった。
渉を掴んだやつは、階段のてすりにしがみついて、三段ほど踏み外して止まった。
渉は膝を負傷して、しばらく歩けなくなって、部活の練習にも参加出来なくなって
誰よりも真面目にひたむきに頑張って来た渉の気持ちは、その時にポッキリと音を立てて折れたのだと、後に本人が言った。
正直、さっきの堤防の高さから跳んで立てなかった渉を見て、心が痛んだ。
渉は相変わらず、明るくていつも笑ってはいたけど、部活を辞めてからは付き合う仲間がすっかり変わってしまった。
典型的な話だ。
いわゆる、悪い仲間と付き合いはじめて、同じクラスの僕ともほとんど話すこともなくなった。
お互いに、話したくなかったんだろう。
僕もなんて言えばいいかわからなかったし、渉も後ろめたさがあったんだと思う。
それに僕にも後ろめたさがあった。
あの時、僕が教室に忘れ物をしたから、渉はそれを待っていてくれていた。もし、僕が忘れ物なんてしなかったら、渉に待ってもらっていなかったら、あんなことにはならなかったんだと。
今日、渉に会ったのは偶然だ。
最寄りのバス停から、海沿いの通学路を歩いている途中で、堤防に座って、まっすぐ海が波打つのを見ている渉の背中を見つけた。
ひとりでいるところが珍しくて、そして悩んでいるような怒っているような横顔が気になって、思わず声をかけた。
「渉」
眉間に皺を寄せたまま渉はこっちを振り返って、無言で手を振る。
そこから、なんてことない会話が始まって、今に至る。
傷めた足を着いて転んで、しばらく立てなかったのを手を貸して起こして、横には並ばずに僕が先に帰り道を歩く。
「戻って来ないの?渉」
「なんで?戻るわけないでしょ」
「そっか」
「スポ根漫画じゃないんだからさ、今さら心入れ替えて頑張りますなんて、絶対ねーから」
もう何回も何回も聞かれてうんざりしている質問に、少し渉は苛立って言った。
「でもさ、航平」
ふいに名前を呼ばれて、振り返る。
「俺、まだ航平のこと好きだよ」
渉は、真っ直ぐに僕を見てそう言った。
「…つってね」僕があからさまに動揺した顔をしたので、渉はニカッと笑って「嘘だよ。もう忘れた。カバン、ありがとう」と手を差し出した。
渉の笑顔が僕に向けられたのも、久しぶりだった。
渉のカバンを肩から外して渡すと、「じゃあな」と僕を追い抜いて行った。
渉の後ろ姿を見送りながら、胸がザワつく。
俺、航平のこと好きだよ。
そう言われたのは、渉が怪我をするほんの少し前のことだ。
背中から腰に手をまわして抱きつかれて、ずっと好きだったって、驚いて振り返って顔を見たら、あまりに思い詰めた顔をしていたから、振りほどくことも出来なかった。
何か言ってあげなくちゃいけない。
なんて言えば、渉を傷つけないで済むんだろう。
焦りながら、それでも必死に考えて、やっと僕の口から出たのは
「ごめん…俺、よくわかんないや」
それだけだった。
それでも、渉はその言葉で表情を和らげて「だよな」と手を離した。僕の鼻先に漂っていた渉のシャツの洗剤の匂いも離れていった。
そして、「ごめん、忘れて」とさっきみたいにニカッと笑った。
だから
僕に好きだと言ってから、渉はそんなことも忘れたかのようにいつもと変わらなくて、僕も出来る限りそうしたけど、やはりふとした時に思い出して、渉と目を合わせられない時もあった。
だから、渉が怪我をして部活を辞めて、僕から離れていったことで、少しホッとしている自分もいた。
でも、何故だろう。
渉から、忘れたと言われた時、少しだけ胸が痛んだような気がした。