妄想小説家panのブログ。

素人の小説です。

われても末に逢はむとぞ思ふ⑤

「そんな絶望したみたいな顔するなよ、あの時と同じだな」

 

僕の顔の横に両腕を立てながら、見下ろして渉が言った。

 

「2度と近づかないって言っただろ」

 

「覚えてるよ。だったら無視すれば良かっただろ?」

 

僕が目を逸らして黙り込んでいると、渉は僕から離れて、テーブルの上の僕の携帯を手に取る。

 

「何してんだよ、返せ」慌てて身体を起こして手を伸ばすと「また立ちくらみするよ」と、また笑って、僕に携帯を返した。

 

「俺の番号入れといた」

 

「そんなのいらないよ」

 

「本当?まぁ、いいや…いらなかったら消せばいいよ」

 

そう言いながら乱れた髪を軽く整えて、脱いだスーツのジャケットを抱えて立ち上がり

 

「続きがしたくなったら、連絡してよ」

 

僕を見下ろしながらそう言い残して、渉は部屋を出ていった。

 

ドアが閉まる瞬間に、僕はその携帯を投げつけたけど、その音を聞いてドアの向こうで渉の高い笑い声が聞こえた。

 

 

 

 

「画面バキバキじゃん…どしたの?」

 

同僚の片野修也が僕の携帯を覗き込んで笑って言った。

 

「うるさいな、仕事しろ」

 

「昨日ごめんな、俺の代わりに残ってもらって。ちゃんと帰れた?」

 

「お前のせいで散々な目に合った。最悪だよ」

 

「は?どういうこと?でもさ、おかげで忘れてたの気付かれずに済んだ」

 

昨日、仕事が遅くなったのは片野が結婚記念日を忘れていて、離婚の危機だと泣きついて来たせいだ。

 

その埋め合わせで、今日は片野の奢りで晩御飯を食べながら、よく喋る片野の話に半分上の空で相槌を打った。

 

窓際の席で、車道を流れる車のライトを眺めていると、ふいに昨日あいつの車に乗ってしまったことを後悔して、思い出して鳥肌がたつ。

 

「どした?聞いてないだろ、俺の話」

「うん」

「正直かよ。なんだよ、昨日なんかあった?」

 

言えるわけないだろ。

 

「久しぶりに会った友達がさ…クズ野郎になってたら、お前ならどうする?」

 

「は?なにそれ」そう言って片野は、それでもしばらく真面目な顔をして、腕を組んで考え込んだ。

 

「それはどういう意味で?例えば生活が乱れてる…つまりパチンカスだったり犯罪だったり?それとも内面的に?」

 

「内面的に」

 

「それは…ムズいなぁ…お前にとってはクズかも知んないけど、他の誰かにはそうじゃないかも知れないし、例えお前が軌道修正してやろうとしてもそれはお前に合わせた仕様にしたいだけだろ?」

 

「軌道修正してやろうなんて思ってないな…それはもうとっくに試した」

 

「じゃ、もう離れるしかないな」

 

「そうだな」

 

「それが昨日の最悪な話?何年ぶり?」

 

「10年」

 

「そりゃ変わるだろ、10年も経ったら」

 

変わった…と思った。

 

再会した一瞬は。

 

優しそうな、穏やかな、柔らかい表情をして笑ったあの時は、変わったんだと思った。

 

でも…そもそも、昔の渉はそうだったんじゃないかと思う。

 

そう。

 

変わったというより、元の渉に戻ったんだと思って嬉しかったんだ。

 

でも、そうじゃなかった。

 

例えるなら、高校生の頃に芽生えた心の闇に、今は渉の人格全てが覆い尽くされてしまったような、そんな気がした。

 

どれが本当の渉なんだろうと、考えたからって僕には関係ないとさえ思う。

 

でも、あいつ本人があの頃みたいに、まだ真っ暗な海の底でもがいて苦しんでるんじゃないかと、何故だか心配になってしまう自分が嫌になる。

 

心配なんてしなければいい。

 

心配なんてしないで、僕がこのまま何も言わなければ、何も行動を起こさなければ、二度と会うことなんてないのだから。

 

そもそも、あいつも僕に助けて欲しいとすら思っていないかも知れないのに。

 

「あれ?航平さん、修也さん」

 

そろそろ食事を終えて出ようとした頃、少し離れたテーブルにいた同じ部署の後輩、林雪乃と瀬川奈々美が僕たちに声をかけた。

 

「一緒に座っていいですか?」雪乃が馴れ馴れしく修也の肩に手を置いて、甘い鼻にかかった声で言う。僕の苦手なタイプだ。

 

「俺、もう帰るよ」

 

「えー?修也さんも帰ります?」

 

「修也は暇そうだから残しとくよ、じゃーね」

 

雪乃と修也が不倫関係だということも、もちろん知っていて知らないふりをしている。

 

修也は押しの強い女に弱い。

 

昨日、結婚記念日だから早く帰ったくせによくやるもんだと思いながら、店の外に出て駅の方向へ歩き出すと、まだ少しひんやりした風が吹いていて、気持ちが良かった。

 

「航平さん」

 

呼ばれて振り返ると、小走りでさっき雪乃と一緒にいたはずの菜々美が駆け寄って来た。

 

「なに?どうしたの?」

 

「私も帰るって出てきました」

 

「なんで?」

 

「だって…え?知ってますよね?」

 

「知ってるよ、あいつら付き合ってんでしょ?」

 

「そうです、だから気を利かせて出てきました」

 

「大変だね」

 

「そういうわけでちょっと私に付き合ってもらえませんか?」

 

「どういうわけで何を?」

 

「食後のデザート食べ損ねたんです。スタバでいいんで付き合ってください」

 

いつも馴れ馴れしくて押しが強くて、派手な雪乃の陰に隠れて目立たない菜々美が、意外に強引なことを言ったから、つい吹き出してしまう。

 

「なんで笑うんですか?」

 

「別に。いいよ、奢ってあげる」

 

「本当ですか?じゃ、めっちゃ大きいのにします」

 

「いいよ」

 

駅前まで、菜々美の歩幅に合わせてゆっくりと話しながら歩く。

 

「瀬川さんて甘いもの好きなんだ」

 

「好きですよ。航平さんは?」

 

「あんまり…」

 

店内に入ると、時間が少し遅いにも関わらずそれなりに何人か並んでいて、その間に渡されたメニューを菜々美は嬉しそうに独り言を言いながら眺めた。

 

「航平さん、なんにします?」

「普通にコーヒーでいいかな」

「え?つまんないですね」

「つまんないとかある?」

「私、バニラクリームフラペチーノにします」

「甘そ…」

「甘いですよ、そりゃ」

 

菜々美は道路に沿ってガラス張りになった背の高いカウンター席に座って、一番小さいサイズの僕のカップと、自分のベンティのカップを並べて携帯で、嬉しそうに写真を撮った。

 

「なにそれ、そんな大きいの飲めるの?」

 

「自分では買ったことないです。奢りだから!」

 

「俺も撮っていい?」

 

「いいですよー私、これ航平さんの電話のアイコンにします。航平さんも私のにしてくださいよ」

 

「じゃ、そうしよう」

 

「出来ます?」

 

「出来るよ、それくらい」

 

ふいに手元の携帯の画面を覗かれて、菜々美の巻いた髪が鼻をくすぐって、咄嗟にそれを手で軽く払う。

 

「あ、すみません…ていうか、画面バキバキですよ?なんで?」

 

菜々美が声をあげて笑いながら、僕の携帯の画面を面白がって触る。

あまりに天真爛漫に笑うから、その顔を真剣に見つめてしまって、それに気づいた菜々美は急に笑うのを止めた。

 

「あれ?怒ってます?」

「え?なんで?」

「からかっちゃダメなことだったかなって」

「携帯の画面のこと?別に落としただけだよ」

「そうなんですか?例えば…浮気して彼女に壊されたとかじゃなくて?」

「違うよ」

 

菜々美は最後まで美味しそうに、その大きなサイズのバニラクリームフラペチーノを飲み干して、満足気な笑顔になる。

 

「ご馳走さまでした、美味しかったです」

 

「喜んでもらえて良かった」

 

「また、なんかあったら付き合ってくれます?」

 

「いいよ」

 

「じゃ、また明日」

 

「うん、気をつけて」

 

手を振りながら改札の向こうに消えていく、菜々美の後ろ姿を見送った。なんとなく、少しだけ暗く落ちていた気分が軽くなった気がした。