W【7】
倒れている川上を介抱して、落ち着きを取り戻させて話を聞いた。
「お前がやってんの?いつもいつも」
川上は腹を押さえながら、涙目で首を横に振る。
「お前だけじゃないのか…なんでこんなことすんの?友也に言われてやってんの?」
「違う…」
「じゃ、なんでだよ」
「最初は…悪ふざけだったんだよ…友也が可哀想だから…吉見たちをこらしめてやろうぜって、仲間内で言い始めて…最初は友也がやられたことやり返すくらいで…そしたら、みんなどんどんなんか楽しくなって来てて…」
「バイクも?お前らか?」
川上は震えながら頷く。
「あれは、俺じゃない…でも誰かがやった」
「犯罪だぞ」
「そうなんだよ…犯罪なんだよ…だから、怖くなってきて…でも今さら抜けたら…」
「自分がやられるって?」
「そう…」
「バカじゃねーの」
きっと、きっかけは些細なことだ。
ただ、みんな友也のことが好きで、友達だから守ってやりたくて、ほんのイタズラ心と正義感で始まったことだ。
「それに…」
「それに?」
「友也がキレただろ?あれ見て怖くなって…あいつキレさせたらヤバいって思って…」
「ご機嫌良くしたかったのか」
「うん」
「火事は?」
「わからない…わからないけど、みんな誰かがやったと思ってる…疑心暗鬼なんだよ…」
完全に
無意識に
みんな友也に操られていたんだ。
川上は、全部自分たちが暴走した結果だと思っているけど、果たしてそうだろうか。
友也は気づいていたはずだ。
気づいていて、暴走を止めなかったんだ。
みんなが暴走するのを笑ってみていたんだ。
「今みたいなことは?初めてか?友也が制裁するようなことは」
「初めてだと思う…だから、怖くて…」
「怖かっただろうな」
「いつも、あんなに穏やかで明るくて笑ってて…なのにすげー怖かった…あんな怖い顔見たことないよ…」
川上が泣き出したので、周りの目が気になる。
「お前が小さい子巻き込んだからだよ」
友也の身体中の傷跡や火傷は、たぶん虐待を受けたものだ。
意図的に、服の上から見えないところばかりだ。
小さい頃、自分がそんな恐ろしい目にあっている友也にとって、小さい子供を巻き込むことが許せなかったんだろう。
見過ごせなかったんだ。
きっと、川上が自慢げにクラスの誰かに話したのを聞いていたに違いない。
「ていうか…お前やられっぱなしだったの?」
川上と友也、友也は華奢な方だから体格的には川上のほうが少し大きいくらいなのに、ここまで一方的なやられ方があるかと思った。少しくらい反撃しても良さそうだ。
「あいつ、怖いんだよ…人を蹴ったり殴ることに1パーセントも躊躇がないよ…人だと思ってないみたいに、ボールみたいに蹴るんだ」
翌日、川上は学校を休んだ。
あれから、川上が落ち着いて歩けるようになるまで介抱してやり、家まで送り届けたが尋常じゃない怯え方をしていた。
吉見には電話をかけて、弟はもう心配しなくていいと言ってやった。
そして、何故か友也も学校を休んだ。
この日は、一学期の終業式だったので昼までに授業が終わる。夏休みに入る前に、友也と話しておこうと思い、クラスメイト達に友也の家を知らないかと聞くが誰も知らないという。
忠実な犬のくせに、誰もご主人様の家を知らないのかよと喉元まで出そうになる。
僕は担任のところへ行き、吉見の時と同じように友也に夏休みの課題を届けるという口実で家を聞き出した。
行き方を調べると、友也がいつも乗る路線の最寄り駅から更にバスを乗り継いで20分ほどかかる公営団地だ。そこそこ遠くて面倒だなと思ったけど、もう課題も預かってしまったから行くしかない。
バスを降りると、すぐに三階建てのコンクリートの建物が三棟あって、友也の家は真ん中の二階ということだ。途中、団地の住人のために作られたであろう公園があったけど、手入れされておらず背の高い雑草が遊具を埋めつくしている。
その公園を囲ったフェンスに沿って、ペンキの剥げたベンチがいくつもあって、そのひとつにシルバーカーを押した老人が3人、こちらを見ながら話をしている。
こんにちはと声をかけるけど、聞こえないのか知らない顔を警戒しているのか返事はない。
バスを降りる前は天気も良かったがいつの間にか雨雲が立ちこめていて、ここだけとても静かで異次元に迷い込んだみたいだった。確か、朝の予報では夕立になると言っていた。
友也の部屋のインターフォンを鳴らすと、ブーという古いブザー音がした。しばらくして、警戒するように扉が開き、火傷跡の痛々しい腕が見えた。
「なに?なんの用?」
「夏休みの課題、届けに来た」
「入る?」
意外にすんなりと招き入れられた。
部屋の中は、古いけど整理されていて、外の空気に比べて澄んでいる気がする。
「ひとり?婆ちゃんは?」
「婆ちゃんは入院してる」
最近までは一緒に住んでいたんだろう、テレビの前には新聞の広告で作った小物入れや人形が並んでいた。
「これ、うちの婆ちゃんも作ってたわ」
「どこの婆ちゃんも作るだろ、だいたい」
「今日、なんで休んだの?」
「ちょっと風邪っぽい」
「薬とかあんの?飲んだ?」
「お前さぁ…なんなの?」友也が眉間にシワを寄せてイラついた口調で言う。
「なに心配した風なこと言ってんの?どうせなんか言いたいことあって来たんだろ?」
「お前こそなんなの?何がしたいの?吉見といい山岸といい、お前の周りが暴走してんの見ててなんとも思わないの?それとも王様気分で見てるわけ?」
「知らねーよ、俺はひとつも頼んだ覚えないし」
「見事だよな、いつもニコニコして明るく振舞ってみんなに好かれる努力は」
「それの何が悪いの?」
「悪くないよ。俺だってお前のことを良い奴だと思ったし、だから吉見からも山岸からも守ってやらなきゃと思ったよ。だけどお前はそれを逆手にとって自分を認めないやつ、邪魔になるやつが痛い目に合うのを見て楽しんでるじゃないか、それが間違ってるんだよ」
「俺はなんもやってない。川上は、やり過ぎたから忠告しただけだよ」
「お前がやり過ぎだ、暴力じゃなくてもいいだろ」
僕がそう言うと、友也は立ち上がってテーブルの上の水のペットボトルを1口飲んで、それを僕に投げつけた。
「暴力じゃなくていいなら!なんで俺みたいな目に合う子供がいるんだよ!!」
ペットボトルは僕を逸れて壁にぶつかり、水しぶきがかかった。
「うるさけりゃ殴ればいいんだよ!泣いたら泣かなくなるまで痛めつけたらいいんだよ!俺は物心ついた時から、そうやって育てられて来てんだよ!なんで俺だけなんだよ!!」
「友也、やめろ」
興奮気味の友也を止めようと、思わず腕を掴んだ。でも、掴んだ僕のその手に火傷の痕の感触が伝わって、一瞬たじろいだのを友也は見逃さなかった。思い切り振りほどいて「気持ちわりぃって顔してんじゃねえよ」と言った。
「お前は結局、偽善者なんだよ。そんなの正義じゃねーよ。お前に俺が助けられんのかよ」
返す言葉はなかった。
「山岸みたいに人の弱みを勝手に暴くやつも、その弱みに遠慮なくつかみかかって来るお前も、死ねばいいんだよ」
僕には手に負えないほどの深い闇が、そこにはあった。
「帰れよ、殺すぞ?」
そのまま夏休みに入り、友也はもちろん他のクラスメイト達とも会わないまま過ごした。ただ、吉見の様子だけは時々見に行くことにしていた。
そして、二学期を迎えた日。
吉見が僕の説得に応じて登校した。クラスメイト達はザワついて不穏な空気が流れていたけど、それは友也が教室に現れた時に更に暗く重くなった。
いつもなら、「おはよう」と無邪気に満面の笑みで現れる友也が無表情で教室内を見渡し、夏服の袖から痣とケロイドだらけの腕を出して、無言で自分の席についた。
誰も話しかけるものもいない。
吉見が友也に近づき「俺が悪かった」と言ったが見向きもしないで鼻で笑う。もちろん、僕の方に振り向くこともない。
それから、あんなに友也に執着し忠実だったクラスメイトたちは呪いが解けたように、友也に近付きもしなくなった。
なんだろう。
胸がモヤモヤする。
これで平和になったのか?
これで良かったのか?
朝から大雨が降ったある日。
授業の途中で警報が出て、帰宅することになった。この大雨の中どうやって帰ろうかと言いながら、みんな喜んで次々に帰り支度をして教室から出て行って、気づくと窓際の席でじっと雨を眺めている友也がいた。
「帰らないのか?」
声をかけてみる。いつもなら、無視されるところだ。
だけどこの日は振り向いて「帰るよ」と言った後に少し間を置いて「婆ちゃん、死んだ」と小さく呟いた。
「え…」
昨日まで、友也が数日休んでいたのは知っていたけど理由は聞いていなかった。
「ずっと婆ちゃん…遠くて会えなかったから俺が虐待されてるの知らなくて…引き取ってからは自分の息子がこんなことして申し訳ない申し訳ないって、俺の身体を見る度にいっつも泣いてたよ。それに、小さい弟がいたけど、2人も婆ちゃんひとりじゃ育てられなくて置いてきたのも泣いて悔やんでた。だから、せめて俺は毎日幸せそうに笑っててやろうって思ったんだよ…でも難しかったな…」
それきり、何も言わなくなってしまった。
それからしばらくしたある日のことだ。
朝、登校すると何人かの教師が友也の席を取り囲んで、友也を連れていこうとしているところだった。
「どこ行くんですか」僕が言うと、ひとりの教師が制して「君には関係ない」と言った。
友也も抵抗せず席を立ち、そのまま囲まれるように教室を出た。たった一度、振り返って冷たい目で睨んだかと思うと、口の端だけをあげて笑った。
それが、最後だった。
あの日、友也は学校に来ていた警察に連れていかれた。
山岸の家の火事は、放火だった。
これは唯一、友也自身がやったことだ。
山岸は、友也の一番触れてはいけないところを暴いてしまったからだ。その恨みは凄まじかったんだろう。
俺はやってないと言ったじゃないか。
あれは嘘だった。
そして、不本意とはいえ友也の触れてはいけない部分を精神的にも身体的にも土足で踏み込んで触れてしまった僕にも
凄まじい恨みを抱いたまま、友也は目の前から消えた。