【W】another story KENGO⑧
本当に迎えに来ると思わなかった。
僕はただ、帰宅ラッシュが始まって人が増えてしまったのが怖くなって、急にひとりになったのが怖くなって、長い時間ずっとそこで動けなくなっていた。
雨が降り出して、寒さに震え始めた頃。
「遠すぎるよ」
力強くて暖かい低い声が聞こえた。
「帰るぞ」
差し伸べられた手をつかんで、立ち上がって、その傘に入った。
篤志は何も聞かないし、何も怒らないで、ただ泣きながら歩く僕にペースを合わせてくれる。
「めちゃくちゃ遠かったんだけど」
「ごめん」
「部活も休んだし」
「ごめん」
「ICのチャージも空っぽだし」
「ごめんね」
「生きてたからいいよ」
電車はほぼ満員で息苦しかったけど、窓の外に小さくナナミの家の傍のゴルフ練習場のネットが見えて、僕は心の中で手を振った。
電車を乗り換えて家の最寄り駅に近づくにつれて、車内は人が少なくなっていって、ようやく座れるようになった。
「篤志、なんにも聞かないの?」
「なにが?」
「なんであんなところに行ったのかとか、何があったのとか」
「話したかったら話せば?話したくないことは聞かないよ」
「…ちょっとだけ話したい」
「じゃ、聞くよ」
ナナミのこと。
母と妹のこと。
母の恋人のこと。
ここに来た理由。
結局、ふたりで死ねなかったこと。
ナナミを裏切った形になってしまったこと。
ちょっとって言いながら、僕はずっと一方的に話し続けていて、篤志はそれを相槌も打たずに黙って聞いてくれた。
「ナナミ…怒ってるよね」
「どうかなぁ…今は怒ってるかもね」
「だよね…大丈夫かな」
篤志は考え込んだ後、「大丈夫なんじゃない?」と言って続けた。
「この前、言ったじゃん…俺のこと守ってくれた人の話」
「うん」
「あんま話したくないんだけどさ」
「うん、知ってる」
「その人も、自分のことを忘れて生きろって言ったんだ…俺たちはなにも関係なかったって、お前は何も知らなかったんだって、だから帰れって言った」
篤志は顔を背けて、ちょっと鼻をすすって続ける。
「…関係ないなんて、そんなわけないじゃんね…勝手に巻きこんでおいて、関係ないとか忘れろとかふざけんなって思ったけどさ…でも今でも恨めないし…会えるもんなら会いたいよ。会って…そうだな、ありがとうって言いたい」
「好きだったの?その人」
「男だし」篤志はちょっと笑って「お前はまだ会えるじゃん、話も出来るし、わかってもらおうと思ったらわかってもらえるじゃん…」
「…そうだね」
「死んだら終わりだ…」
「うん」
「お前はお前のペースでいいんだって」
降りる駅について、改札を出たら急にホッとして身体中の力が抜けるみたいだった。
「大丈夫か?健吾」
「うん…疲れた…ていうか、帰りにくいんだけどどうしよう…」
「だろうな」
「ていうか…」
「なに?」
「帰ってもいいのかな…」
そう言った瞬間に、頭に衝撃が走って足がもつれて冷たい床に尻もちをついた。
「いいに決まってんだろ!バカ!」
「叩かなくてもいいだろ!」歩けないくらい疲れていたのに、信じられないくらい大きい声が出た。
「そんなの痛がっててよく死ぬとか言ったな!バカ!」
「はあ?関係ないじゃん!バカバカうるせーな!」
「バカはバカだろ!バーカ!」
「うるさい!バカ!」
まだ駅にはたくさんの人がいるのに、大きな声を出して小学生みたいなことを言い合った。まるでお互いに、胸に詰まって苦しかったものを全部吐き出すみたいに。
少しすっきりしたら、今度は篤志が口を尖らせている顔が面白くなってきて、つい尻もちをむいたまんま笑い転げてしまって、それを見て篤志も「なに笑ってんだよ」と笑った。
「もう!起きろよ!」と差し伸べられた手にしがみついて立とうとするけど、力が入らなくてそのまんま2人で通路の端っこに座り込んだ。
「疲れたな…」
「うん、ごめんね…迎えに来てもらって」
「いいよ」
「家に電話して迎えに来てもらう」
「そうしろ、俺は自転車だから」
「ありがとう」
「おぅ、またな」
母に電話をすると、いつもと変わりなくただ優しく「今から行くからね」と言った。
車の後部座席に乗って、自分でも呆れるくらい小さい声で「ごめんなさい」と言うと、母はちゃんと「おかえり」と言ってくれた。
家に帰ると恵が待っていて、涙声で「おにい、良かった…」としがみついて来た。
僕がいなくなっても誰もなんとも思わないなんて思った自分が情けなくて、僕も恵を抱きしめながら泣いた。
疲れてうとうとしながら温かいお風呂に入って、早く眠りたかったけどリビングで母と恵が笑ってテレビを見ていたから、なんだかものすごくホッとして、僕もその後ろのソファに寝転んでテレビを眺めた。
「おにい、寝そう」
「風邪ひかないでよ」
「うん…あのさぁ…こないだの人、また来る?」
「誰?」
「ママの彼氏?」
「うん…今度は会うよ…謝る」
結局、そう言ったあとに僕はそのまま眠ってしまって、真夜中に目を覚ますと頭から毛布がかけられていた。
ダイニングテーブルに置いていた携帯を手にとってDMを開くと、ナナミからメッセージが届いていた。