【W】another story KENGO②
次の日の朝、僕は学校への道のりをほぼ篤志に引きずられるように歩いていた。
「やっぱ休む」
「お前が行くって言ったんだろ?ここまで来たら帰るな」
電車に乗ったら人の多さが気持ち悪くなって、学校の最寄り駅に着いた時にはもうすでに引き返したくなった。
嫌で嫌でのろのろ歩くのを後ろから篤志が押したり宥めたりしながら、始業ギリギリに教室に入る。
自業自得なんだけど、行けば行ったでヒソヒソと何か言われてる声が聞こえるし、凄く嫌だ。
「ほっとけよそんなの」
篤志は、僕が学校にいる時はいつもの友達から離れて一緒に居てくれることが多い。
無理に自分の友達の輪には入れようとしないから楽だ。
午後の授業は体育だったから、僕は頭が痛いと言って保健室に逃げた。
体育は嫌いだ。
面白くないし、なんでわざわざ自分の運動神経が悪いところを人に見られなきゃいけないんだと思う。
《ナナミなにしてる?》
《あれ?学校は?》
《学校にいるよ。体育サボって保健室で寝てる》
《体育うざいよね、私も嫌い》
保健室の窓の外はグラウンドで、今日の体育は持久走だったみたいだ。陸上部の中距離選手だった篤志が先頭集団で走るのを見ながら、ナナミとDMで話す。篤志は1ヶ月休んでいたから、戻りづらくなって部活は辞めた。
《私、ちゃんと勉強してるよ》
《偉いね》
《そう?学校行ってる健吾のほうが偉いよ》
《そうかな》
《健吾のいる学校なら通いたいかも》
《僕もナナミがいるならちゃんと来るよ》
《健吾に会いたいな》
ナナミがそう言う時は、だいたい良くない時だ。
《どうした?なんかあった?》
《なんでもない》
《なんでもないことないでしょ》
既読はついたけど、しばらく返信がないうちにグラウンドではみんな集合していて、授業の終わりが近づいていた。
保健の先生がベッドのカーテンの向こうから近づいて来る足音がしたので、慌てて携帯を隠す。
《ごめん、先生来るからまた後でね》
「安田くん、どう?頭痛いの」
「痛いです、帰っていいですか」
学校の門を出て携帯を開くと篤志から「気をつけてな」とメッセージが届いていた。黙って帰ってきたけど、怒ってないみたいだ。篤志に返信して、DMを開くけどナナミからは何も来ていない。
《どうした?ナナミ》
《授業は?》
《サボって帰ってる。それより何かあった?》
《うん》
《僕に話せる?》
《長くなるけどいい?》
《いいよ》
《昨日ね、弟の小学校で発表会があってね。親が見に行ったんだけど、夕飯の間ずーっとずーっとその話でね。凄かった!上手だった!って凄く喜んでるのを見て辛くなった》
《なんで?》
《うちの親、私がいじめられてて、心配してくれて、不登校のことも怒らないけど、私の学校に来る用事って言ったら先生に相談だとかそんなことばかりで…本当だったらこうやって発表会とか参観とか楽しみたかったのになって思ったら辛くなった》
《優しいね、ナナミ》
《なんで?》
《親のこととかちゃんと考えてあげて》
ナナミの死にたくなる理由なんて些細なことだ。ナナミだって、本気で死のうなんて思ってないと思う。
でも、自分の存在価値がわからなくなって、その不安を一番わかりやすく伝える言葉が「死にたい」なんだと思う。
途中、駅前で知らない大人に肩を叩かれる。
地域パトロールと書いた腕章を見せながら「君、学校は?」と聞く。
「体調不良で帰るとこです」
うるせぇな。
学校学校って。
行きたくても行けない気持ちも少しはわかれよって、集団生活にどうしても馴染めない不安もわかれよって、そうやっていきなり他人の悩み事に土足で踏み込むなって。
《ねえ、ナナミ》
《なに?》
《会おうよ》
ナナミがどこに住んでるのかもよく知らないし、人見知りだから知らない人と会うなんて好きじゃないのに、なんだか急に社会不適合者の烙印を押されたような気がして、同じ仲間に会いたくなったのかも知れない。
《どこに行けば会える?》
家に帰ってから僕は、ナナミに会いに行く準備を始めた。
ナナミが住んでるのは、県をふたつほど跨いだ地方都市で、まずは電車での行き方を調べる。路線の連絡が悪くてかなり時間がかかりそうだ。
家と学校の往復以外はほとんど電車にも乗ることがないから、その時点で気持ちが萎えそうになる。
でも、何か目的を持つことが久しぶりで楽しくもあった。
僕の中に微かに残る少年のような冒険心が満たされる。
「あれ?おにい、学校サボってどっか行くの?」
朝、洗面所で髪を整えるのを見て、学校に行く準備をして一度後ろを通り過ぎた恵が戻ってきて鏡越しに聞く。
「ちょっとね、母さんにもちょっと出かけてるって行っておいて」
「わかった、遅くなる?」
「うん…たぶんね、あ!恵!待って」
「なに?」
「予備充電器貸して!お願い!」
「はあー?おにい自分のは?」
「引きこもりにそんなの必要なわけないだろ?」
「仕方ないなぁ…ていうかどこ行くの?ほんと」
時間をかけて会いに行ったところで会えるとは限らない。
ナナミは僕と違って本当に引きこもりで家から出るのが怖いと言ってるから、出てこられない可能性も充分にある。
それでも、もしかしたら僕に会うために勇気を出してくれるのかも知れないと、少しだけ期待した。
あまりお金はないから、急行を乗り継いで、間違えなければ昼には着くと思う。
《おはよう、健吾》
《おはよ、ナナミ》
《本当に来てくれるの?》
《迷わなかったらね》
途中、電車は大きなビルの立ち並ぶ都会に入ったかと思うと、あっという間にただひたすら田園風景を横切る景色に変わる。
トンネルをいくつも越えて、電車を2度乗り換えて、ようやく車内アナウンスがナナミのいる街の駅名を告げた。
《もうすぐ着くよ》
《行けるかな、私》
《来れるまで待ってる》
持ってきた本を閉じて、全く知らない名前の駅で降りる。
空気の冷たさも、匂いも違う。
その知らない匂いは不安を煽るけど、ここには僕を知る人は誰もいない安心感もあった。
駅の構内にファストフード店を見つけて、外が見える席に座った。思っていた以上に大きな街で、ロータリーにはひっきりなしにバスが来る。
バスに書かれている行先も、全部聞いたことがない。
ホッとしたら急に眠くなってしまったけど、氷をガリガリと噛んで眠気を振り払った。
ナナミにもうすぐ着くよと連絡して、もう1時間ほど経つ。
DMも届いていない。
場所はわかると言っていたから、道に迷ってるわけでもないだろう。
空を見上げたら、空港が近くにあるのか飛行機が大きく見えた。
座っていると眠気に耐えられなくなってきたので、駅の外に出てみる。目の前の背の高い商業ビルを見上げると、最上階が展望台になっているようでガラス張りになっていた。
そのビルに入ってみると、すぐに展望台へのエレベーターとチケット売り場があって、少し値段は高かったけど、電車代は充分に残りそうなので昇ってみることにした。
学生割引もあったけど、平日の昼間に学生証を見せるのは気が引けてしまった。
平日の昼間は、若い客はいなくてエレベーターは僕一人だった。
そういえば、高いところは苦手だったななんて今更思い出した。
展望台には、年配の団体客がいるくらいで静かだ。ガラス張りの外を見ると足がすくんだけど、少しづつ前に出て遠くを見ると、空がひろくて綺麗で、怖さなんか忘れてしまう。
《ごめん、やっぱり行けないや》
展望台を一周して、疲れてベンチに座った頃にナナミから連絡が来た。
僕が電車を降りてから2時間と少し経っていた。2時間もナナミは悩んで、来られないと言うんだから仕方ない。
《大丈夫、DMは出来る?》
《うん》
《じゃ、ここで話そう》
《怒らないの?》
《なんで?来られなくてもいいって先に言ったでしょ?》
《だって遠かったのに》
《ナナミは人のこと考えすぎ。ナナミの家、どっち?》
《どっちって?》
《今、駅前のビルの展望台にいる》
《登ったの?》
《そう。ナナミの家どっち?》
《お城見える?》
顔を上げてガラス越しにお城を探す。
傍にいた団体のガイドさんに「すみません、お城ってどれですか?」と聞いたら、反対側を指さして教えてくれた。