妄想小説家panのブログ。

素人の小説です。

われても末に逢はむとぞ思ふ③

「あの時、本当はちゃんと踏ん張れたんだ…でも…このまま落ちたら…辞められるって思った」

 

「なに言ってるかわかんない…なんでだよ…辞めたかったら辞めたら良かったじゃないか」

 

僕がそう言うと、渉はさっきまでとは打って変わって静かにこう言った。

 

「航平はさ…楽しいか?今」

 

その質問に答えられない僕を見て渉は笑った。

 

「ほら見ろ。楽しくなかったら辞めたらいいじゃないか…なんで辞めないんだよ。ずっとやって来たから?周りの目が怖いから?後悔するかも知れないから?逃げたと思われたくないから?そうだろ?」

 

渉は、いつも楽しそうだった。

 

誰よりも明るくて、誰よりも大きな声を出して、誰よりも真面目で。

 

なのに、その笑顔の裏側は、僕と同じだったんだと今この時になって初めて知った。

 

いや、本当は僕なんかよりずっと深い深い、海の底のような暗闇に沈んでいたのかも知れない。

 

厳しい練習について行くのがやっとで、それでも報われない日々に、唇を噛んで、僕よりずっと耐えてきていたんだ。

 

「航平のせいだよ」

 

「…俺のせい?」

 

「毎日毎日、もう嫌だったけど…航平がいたから、航平と一緒に居たかったから頑張ってたんだよ」

 

俺、航平のこと好きだよ。

 

あの時の渉の震えるような声が、今また僕の脳裏を掠めた。

 

渉は、あの時と全く同じ匂いがした。

 

「言わなきゃ良かった…わからないって言われて、航平と一緒にいることも辛くなったらどうしようもないのに、馬鹿すぎるよ俺って」

 

そう言うと、僕を睨んだままの渉の両方の眼から大きな涙がこぼれて、僕の胸を濡らした。

そして、そこに覆い被さるように渉は顔を埋めて声を上げて泣く。

 

やっぱり

 

僕のせいだ。

 

あの時、手を差し伸べて助けてあげていればと思っていた。

 

渉がバレーを辞めたのは、僕が助けてやれなかったせいだと心のどこかで思っていた。

 

でも、あの時にはもう遅かったんだ。

 

「渉…ごめん」

 

思わず、目の前の渉の頭を触ると、渉は顔をゆっくりとあげて、僕の顔に近づく。

 

渉の唇が僕の唇に触れる。

 

泣いた渉の頬が冷たい。

 

そして一度は顔を離して、今度はさっきより長くキスをしながら、渉は僕のベルトを外す。

 

「何してんの?拒めよ」

 

そう言って、顔をあげた渉はニヤッと笑ったけど、僕はもう拒めなかった。

 

僕がまた拒めば、今度こそ渉を壊してしまうような気がして怖かった。

 

「嘘だよ」

 

渉がそう言って笑って離れようとしたから、僕はそこから逃げれば良かった。逃げれば、また何もなかったようにやり過ごせたはずだった。

 

「昨日もそう言っただろ。本当に嘘なのか?またそうやって誤魔化して、俺のせいにして生きてくのかよ」

 

「…なんだよ、それ」渉の笑顔が歪む。

 

「無理に笑うなよ」

 

「お前こそ後悔するなよ」

 

そう言い捨てた渉の顔が降りていくのを、僕は途中まで見ていたけど、やっぱりどうしても怖くなって、目を強く瞑った。

 

あとは、ただその時が過ぎるのを待った。

 

無意識に僕の声が漏れる度に、渉の舌と手の動きが変わる。

 

「声聞こえるだろ、静かにしろよ」

 

渉は一度顔を上げ手を伸ばして、僕の口を塞いで、指を入れる。「噛んで、航平」言われるままにその指を噛むと、渉のもう片方の手に力が入り、僕はその腕を掴みながら、また更に強く指を噛んだ。

 

微かに、血の味がした。

 

渉が僕から離れた後、僕はただ呆然と部屋の天井を見上げた。

 

「ごめん…航平」

 

その僕を渉は傍に膝をついて座って、見下ろす。

 

「…帰る」

 

勢いよく起き上がって、目の前がぐるっと回ってまた倒れそうになったのを渉が支えて、強く抱き寄せた。

 

そして、小さい声だけどまるで叫ぶように

 

「ごめん。もう二度と近づかない。さよなら、航平」

 

と、言った。

 

幼い頃からずっと一緒だった、自分の半身のようにすら思っていた渉と僕は、その日、決別した。

 

 

 

伊村の件は、結局のところ伊村の虚言だった。

 

伊村は、クラス内でいざこざがあり孤立していて、その日も同じクラスの連中に絡まれ、もみ合ううちに階段から落ち、それを問い質された伊村だったが、本当の相手を言えばまた自分の立場が悪くなると思い、咄嗟に渉の名前を出したらしい。

 

渉なら、みんなが納得するだろうと。

 

例え渉が否定しても、その疑いは拭えないだろうと。

 

渉は、伊村を恨んでなんかいないのに。

 

むしろ、苦しみから解放させてくれたのだから、ある意味では感謝すらしているかも知れないのに、誰もそれを知らない。

 

そして僕は、部活を辞めた。

 

渉が僕と一緒にいられることを糧として頑張って来られたように、僕もいつか渉が戻ってくる日を待っていたのかも知れない。

 

その希望がなくなった今、僕にはもう苦しさしか残らなかった。

 

川田に辞める理由をしつこく問われたけど「辞める理由も辞めない理由もない」と答えた。

 

渉は、言った通りにそれから二度と僕には近づかなかった。

 

しばらくは、僕が噛んだ指に貼られた絆創膏が目に入ることがあったけど

 

話すことはもちろん、目が合うことすら一度もなく、学年が変わるとクラスも離れ、僕の生活から完全に渉は消えてしまった。